この世界と人間の運命は、その大元を辿れば、
デミウルゴスによる展開と、創造主の介入によって流れていると言える。
巻かれたゼンマイが必ず元に戻るように、デミウルゴスによる造物は必ず無に帰する定めにある。
そのプロセスが即ち、一切の「苦」の体験となる。
そしてもし、この世界がデミウルゴスによる造物のみによるのであれば、この世界の獄苦は現状よりも遥かに過酷なものになっていただろう。人間の思考が、現実よりも遥かに恐ろしい世界を想像できるということが、その根拠である。
しかし現実は、想像し得る限りの獄苦を巡り続ける、というところまでには至っていない。
如何なる状態にあっても、その奥には必ず希望の光が灯っており、
その光に気づいた者は、時にそれを現実のものとする。
この希望の灯の起源は、デミウルゴスではない。
夢幻の其れとは真逆の性質を有する、あらゆる光を放射し続ける永遠の実在である。
その実在によって、世界は未だ世界と言える形を維持し、
人は未だ人と言える形を辛うじて維持しているのである。
そして今、世界の運命への、デミウルゴスと真の創造主の関わり方に、
大きな変化が起こっている。
気づいたのなら、逸早く、選択する方がよい。
※デミウルゴス…グノーシス派で「造者主」とされる存在。グノーシス派では、不完全なこの世と人間を造った存在は、完全な存在ではなく、デミウルゴスであると考えている。完全な存在を創造主と呼ぶなら、創造主とは反対にあらゆる不完全性を有する存在と言ってよいだろう。