クチコミは「利用者の本当の声」なのか?


皆さんは、利用したお店やサービスについて、ネットにクチコミを投稿したことがありますか?

Amazonのような通販サイトに限らず、飲食店、商業施設、さらには医療機関まで。地図上に載るほぼすべての場所が、今やネットのクチコミにさらされる時代になりました。

一見便利な仕組みですが、クチコミはアカウントさえあれば誰でも書けてしまう。だからこそ、そこにはさまざまな「意図」が入り込む余地があります。

たとえば──

 •ライバル店を貶めるために、利用者を装って低評価を書く

 •身内や関係者が、応援のつもりで高評価を投稿する

あってはならないことですが、仕組み上は可能です。(プラットフォーム側が情報開示に応じれば投稿者は特定できますが、実際にそこまでたどり着くケースは稀でしょう)


Amazonが行った「クチコミ改革」

こうした問題を踏まえ、Amazonではかなり前から、実際に購入したアカウントや一定の利用実績があるアカウントしかレビューを書けない仕組みに変更されています。

それでも万全とは言えませんが、「誰でも書けるクチコミ」の弊害に対する、ひとつの明確な問題意識の表れだと思います。


医療機関のクチコミは、特に偏りやすい

医療機関のクチコミを眺めていると、あることに気づきます。

「良い体験をしたから書こう」という動機よりも、不満や怒りを吐き出すために書かれたものの方が、どうしても目立つのです。しかも面白いことに、そうしたネガティブな投稿に限って「参考になった」「いいね」の反応が多い。

考えてみれば当然で、満足して普通に通院できた人ほど、わざわざクチコミを書こうとは思わないものです。


良いお店ほど、そっとしておきたい心理

飲食店でも同じです。

「ここは穴場で、本当にいいお店だな」と思ったとき、積極的にネットで宣伝して混雑させるよりも、親しい人にだけそっと教えたい──そんな気持ちになること、ありませんか?

(登録者数や再生回数を稼ぎたいインフルエンサーやYouTuberは、また別の話ですが)

だからこそ、良い評価ほどネット上には集まりにくく、結果としてクチコミはネガティブに偏りやすくなる構造があるのです。


不自然に多すぎる高評価は、逆に怪しい

一方で、件数が異常に多く、しかも高評価ばかり並んでいるクチコミを見ると、今度は逆に「何か見返りがあるのでは?」と疑ってしまう。

実際、こんな経験はありませんか?

•「クチコミを投稿してくれたらドリンク1杯サービス」

•「投稿画面を見せたら次回の割引券」

スタッフに投稿画面を見せてからお店を出る──そんな経験をした人も少なくないはずです。

ここで一度、立ち止まって考えてみたいのです。

その一杯のドリンクのために書いた★5が、次に店を選ぶ誰かの判断を狂わせているかもしれない。


「ちょっとしたオマケ目当て」の軽い気持ちの積み重ねが、あの不自然な高評価の山を作っている可能性はないでしょうか。クチコミに振り回されていると嘆く自分自身もまた、知らず知らずのうちに、そのクチコミ経済圏の一部になっているのかもしれません。



クチコミは「相性を見る材料」くらいがちょうどいいかも

医療機関のクチコミをよく見ていると、良い・悪いという単純な話ではなく、**「合う・合わない(マッチング)」**の問題だと感じることがあります。

ある人には合わなかった場所が、別の人にとっては居心地の良い場所になる。逆もまた然り。

だからクチコミは、「正解を探すもの」ではなく、自分との相性を考えるためのヒント。その程度に受け取るのが、ちょうど良いのかもしれません。

そして同時に、自分が書く一行も、誰かの選択にそっと影響を与えているということ。それだけは、少しだけ心の片隅に置いておきたいですね。