「対等な対話」って何だっけ?

昨日のつぶやきの中で、安易に「対等な対話」という言葉を使い、その必要性を書いては見たものの、それってどんな状態なのか、気になったので、ひも解いてみた。

量子力学や神経心理学から哲学的思考に傾倒したデヴィット・ボームの『ダイアローグ』によると、

「対話」とは、勝ち負けの決着をつけようとするディスカッションや取引や交渉とは違い、人々の意識それ自体の理解を目的としたものである。誰もが異なった想定や意見を持っていることを前提として、また個人的な経験や知識から一旦離れて、人々の間を通って流れている意味の流れを共有すること。対話の狙いは、集団の思考プロセスを変えることにある。

プロセス・コンサルテーションを提唱しているエドガー・H・シャインの『人を助けるとはどういうことか』によると、

支援者は、多くの専門家や医師のようにクライアントに対して上位に立つべきではない。有効な支援関係を確立するためには、相手の立場を確保し、様々な事柄を打ち明けられるような状況を作る必要がある。そのために「控えめな問いかけ」から始まる「対話」が求められる。

これらを参考にすると、そもそも本来の「対話」は対等な関係を前提としないと成り立たないようである。だから「対等な対話」という表現を使う必要はなかったわけだ。それでも「対等な対話」という表現を使いたくなったのは、主従関係を持ち込んだ「疑似対話」が少なからずあると感じていたからだと思う。

「対話と助け合い」というテーマで本日発信されていた安藤さち子さん(三児?の母&農家&ファシリテーター)のブログに触発されて。

彼女らの問いは、「助け合い」に留まらず「支援する」「支援される」関係や「教える」「習う」関係にも通ずるものがあるように思う。まずは、その発信内容を引用させていただく。

「対話のない助け合いなんてあるだろうか? 対話と助け合いはセットなのではないか?とか。この問いに含まれているのは、仲間だから助けるとか、知り合いじゃないから関係ない、
ではないところにも助け合いがあることを表現したい気持ちがあります。時々、うまく助け合えない時があるな、とも思っています。すごくコミュニケーションをとったと思っていても、それが全然対話になっていなくて、、、」  中略
「それで、仲間だからとか同じ日本国民だから、とかで動く助け合いの精神でないものを今、すごく感じていて、それは、きっとある、って私は思っています。」

ここから私のつぶやき…「援助」「支援」「教育」どれも主役は、「~される」側なのだけれど、どうしても「~する」側に力や情報やノウハウがある場合が多く、対等な対話をセットし忘れてしまう。ここにミスマッチが起こる原因がありそうだ。

見知らぬ誰かに「○○通りはどう行ったらいいですか?」と道を尋ねられた場合でも、最後にたどり着きたい場所とか、そこで何をしたいかまでやり取りする対話があれば、相手の意図に合った案が出せて、ことさら喜ばれることになるかもしれない。

これは、子供に何かを教えるときとか、コンサルの支援場面でも同じ。どんなにいい知恵があったとしても、どんなに効果的なプログラムを持っていたとしても、出すタイミングが悪いとちっとも役立たない。逆に説教ぽくなり、押し付けになり疎まれてしまう。

対話をセットすること、心します。安藤さとち子さんに感謝です。

ウィルスとも共生してきた驚異的な生命力を持つ「クマムシ」について調べてみた。

肉眼では確認しにくい微小な動物であり、熱帯から極地方、超深海底から高山、温泉の中まで、海洋・陸水・陸上のほとんどありとあらゆる環境に生息する。

クマムシは地球上で最もたくましい動物と考えられている。緩歩(かんぽ)動物と総称されるこの小さな生物は、凍えるような寒さや長期の渇水、大量の放射線に耐えられるだけではない。知られている限り、真空でも生き延びられる唯一の動物だ。通常、クマムシの寿命は1ヶ月から1年ほどだが、乾眠状態のクマムシは9年間生きのびれる。緩歩動物の最初の化石は、カンブリア紀の岩石から見つかっている。

クマムシには全体の17.5%にも相当する大量の外来DNAが含まれているという。その大部分は細菌(16%)のものだが、菌類(0.7%)や植物(0.5%)、古細菌(0.1%)、ウイルス(0.1%)のDNAもあった。 クマムシは遺伝子の「水平伝播」によって外来DNAを獲得する。通常は親から子にDNAが受け継がれるが、水平伝播は異なる生物の遺伝物質が直接取り込まれる現象だ。

ここから「つぶやき」…人類が滅亡し、地球温暖化で地表面上に生息するほとんどの生物が絶滅しても「クマムシ」はしぶとく生き残る可能性がある。

動物行動学者リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子論」によれば、生き物は遺伝子の乗り物に過ぎない。利己的な遺伝子にとって、環境変化に耐えられる都合の良い乗り物である生物種だけが生かされてきた結果、今があるわけだ。

少しは人類とも遺伝子をシェアする「クマムシ」が生き残れば、いずれ(長い年月がかかると思うが)生命あふれる地球、いや遺伝子あふれる地球に戻れる。これは、人類を乗り物とする遺伝子にとってもSDG’s的ストーリーの一つじゃないの?