ホモサピエンスの強みは、身近な者同士の助け合いにあった。体型的に大きく力持ちで脳容量も多かったネアンデールタール人を駆逐して生き残ったのは、ホモサピエンスの助け合いの力=「協働力」であったと言われている。
そして、産業革命以後のホモサピエンス社会では、資本制により商品交換が広がり、わずらわしい共同体での助け合いに代わってケアサービスをお金で買うようになっていった。その結果、今では、都市部の世帯数の50%以上が一人世帯で暮らすようになっている。
サブスクリプション・ビジネスで、衣食住の身辺商品を定額で買えるところまでは、便利で良さそう(?)だが、いよいよ家族内の助け合いまで商品化されて、定額でケアサービスを消費するようになることを考えると恐ろしい。高齢者介護は、すでに国家主導によるケアサービスのサブスクリプション・ビジネスのようなものである。
ペットのサブスクリプションは、毎月定額を払うと気分次第で好きなペットをとっかえひっかえできる。もうこれは実現している?。そして、ついに子供も、妻も、、、? 離婚が一般化すると実態としてサブスクリプションに近い。
さて、末は自分自身のサブスクリプションである。遺伝子が商品化されるようになると、サブスクリプションにより気分次第で遺伝子を交換し、身体のパーツ交換をするようになる。自分自身の意思についても、AIの方がより有利な意思決定ができることがわかるようになると、、、。魂を定額で買うようなものとなる。
「武器としての『資本論』」(白井聡著)を読みつつ、サブプスクリプション・ビジネスの浸透を想像すると、資本制の末恐ろしさが襲ってくる。これは、どうもSFではない。
ヨーロッパ中に資本制が浸透しはじめる1860年頃、マルクスは、労働が商品化する末に、こうなっていくことを指摘していたようである。