2019年12月に、夫は進行性核上性麻痺と診断されました。
3年で車椅子、5年で寝たきりと言われている難病ですが、まだ、寝たきりにはなっていません。
昼間はリビングで過ごしています。
介助は必要だけど、歩いてトイレに行ってます。
私は、たまに、自分の過去のブログを読み返しています。
こんなことあったんだ、あんなことあったんだと。
懐かしいというより、切ないです。
診断当時は、杖つきながらも、まだ、1人で歩けてたんだなあと。
難病になったのは誰のせいでもない。
誰が悪いわけでもない。
何か悪いことをしたからではない。
ましてや、何かの罰があたったわけではない。
誰が難病になったっておかしくない
そして、難病になること自体は、そんなに珍しいことでもありません。
進行性核上性麻痺は、1万人に1人くらいの病気かな。
多系統萎縮症やALSは、もうちょい少ないくらいです。
一つ一つの病気は珍しくても、難病はたくさんあります。
指定難病だけでも300種類以上です。
希少癌は指定難病ではありませんが、10万人に6例未満の珍しい癌です。
けれど、癌全体の2割が希少癌なんだそうです。
一つ一つの病気が希少であっても、希少疾病に罹患する人の数は希少ではないのです。
診断されたばかりの頃は、とにかくあせってました。
根本的な治療法がない病気。リハビリで進行を遅らせるしかない病気。
とにかくリハビリしないと、早くリハビリ始めないとって、あせってました。
今から思うと、そんなにあせる必要なかったんですが。
夫はリハビリにも前向きでしたけど、だから進行が遅くなったという実感はないです。
リハビリしなかった夫と、リハビリを続けてきた夫を比べることなんて出来ないから。
実感はなくても、そこんところは信じないと仕方ないでしょうか。
ただ、どれだけリハビリ頑張ったとしても、進行はとめられません。
そもそも、この病気になったとかならないとか関係なく、老化は誰にも止められない。
人はいつかは死ぬ存在です。
どうせ死ぬのに、何故、生まれて来ないといけなかったんだろう。
今まで生きてきて、楽しいこともいっぱいありました。
今でも、幸せを感じる瞬間はたくさんあります。
でも、若い頃のようにワクワクすることは、もう、ないかな。
私は、ただただ切なくて、こんな思いをするなら生まれて来なくて良かったのにと思っちゃう。
夫は、私に、長生きしてくれと言うから、私には生きる理由があります。
夫が亡くなったら、私は何を理由に生きていくのだろう。
それは、その時が来たら、また考えるしかないでしょうか。
もしかしたら、私の方が先に逝っちゃうことだってあるかもしれませんし。