皆さん、はじめまして。
PSJ9期生のヒデさんです。
どうぞよろしくお願いします。
まず始めに、僕がpsjに入学させていただくことになった
経緯をお話させていただきます。
現在31歳になりますが、ざっと今までの人生を振り返ってみますと、
僕の人生は恐れと、不安と、無価値感と恥という感情に支配されていた
と思います。
これらをベースにして人生が構築されてきていたので、いつも極端に安心感と
安定感を求め、変化することを極端に嫌う人間になってしまいました。
僕のアイデンティティは、安心できること、、を最重要目的として作り上げられてきたのです。
服を選ぶにしても、これなら、人に拒絶されない、、これなら目立たない、、 視線にさらされない、、
笑われない、、と、「恐れ」をもとにして選んでいました。
ですから、こんなことがしてみたい、、とか、こんなことをするとワクワクするな、、
とかいった感覚とはまったく無縁の人生を生きてきました。
この「恐怖」から何かを「選択」し、「安心感」が第一、、という生の構造に、
自分の本質が叫び声をあげていたのでしょうか、、何もかもぶち壊してやりたい、、と
どこかで感じていた中学2年生の時、Xjapanの楽曲を聴いて、魂を揺さぶられる体験を します。
衣食住は満たされているものの、「生きること」ができずに、半ば緩やかな自殺を遂げていた自分にヨシキが、「出てこい!!」と分厚い壁に亀裂が入る様なショックを与え、
何かを訴えかけてくるようでした。
そこからは、表現できない様な圧倒的な力が自分を飲み込み、ただただあの楽曲がもつフィーリングに
自分が溶け込んでゆきたい、、とドラムをはじめ、身体を壊して出来なくなるまでたたき続けました。
小学2年生という多感な時期に、父親を自殺で失ったヨシキの愛を求めて絶望と狂気の中で
苦しみのたうちまわる想いが、僕にそっと寄り添ってくれたのでしょう。
抑え続けてきた自分の思いがあふれ出てきました。ただただ、愛が欲しい、、、
僕は無価値じゃない、、、このヨシキの圧倒的な力を借りて周囲をのみこんでいってやろう、、
高校2年の冬に、初めて人前でXの楽曲を披露し、人生で初めて、賞賛されると言う経験をします。
生まれて初めて感じた、「安心感」でした。
そして、もっと凄くなれば、、 もっと格好良くなれば、、 さらに大きな安心感を
手に入れることができるのでは、、と、「自分以外の何者かになる」方向へ人生の舵をきり始めたのです。
高3のときに梅田にあるショップでジャンポール ゴルチエのロングコートを見つけます。
格好いいな、、と一目惚れし、翌日に即購入、、。
何か自分を大きく見せて、価値あるものに
見せてくれるような気がして、それからはゴルチエの店に入りり、、。
もっと強く、もっと格好良く、もっと賞賛が欲しい、もっと安心していたい、、もっともっと、、、。
「人生は自分以外のものになればいいんだ、、」と思い、どんどんそれがエスカレートしてゆきます。
そしてその頃から、毎日の猛練習で、身体にガタがきだします。
これが出来なくなれば、僕に存在価値はなくなってしまう、、、そこから加速度的に
身体も、心も疲弊してゆき、いったん「手に入れた」安心感は消え去ってゆくようでした。
一体どこへ向かえばいいのだろう、、。
わからないものの、親の意見もあり、とりあえず 進学しようと予備校へ通うものの、そのころから、先天性の脳の病のために毎日勉強するも、
成績は少しづつ下降してゆき、何となく知能も低下してゆくような気配、、。
ただでさえ自分に無価値感を感じていましたので、何もかもを奪い去られるような気分でした。
それから、5年ほどは痛みとうずきで身動きがとれず、あらゆる療法を試しました。
身体を鍛えれば、、とボクシングジムにも通いました。
殴りあえば、僕の恐怖心も克服できるかもしれないとも、、。
そして殴られても大丈夫であるかどうか、という検査をするために脳外科へ、、。
そこで、はじめてコーヒー缶2本分くらいの水(髄液)が左脳を圧迫していることが判明、、。
ボクシングだけは、やってはダメと言われます。ここでも鎧を着込むことに失敗、、。
ひょっとするとこの脳の圧迫が、僕が今まで感じてきた「生き辛さ」の原因なのかも、、と思い、
嫌がるドクターを説得し、脳の開頭手術を決意、、。この時23歳、、。
けれども、術後、僕が「牢獄」にいることには変わりありませんでした。
腰痛は最終的に、気功療法で改善してゆきました。
ですが、肉体的な痛みが消えた途端、精神的な不調へ、、、。
元気になりたい、、と思い、24歳の時に、九州に気功をまなぶために合宿に参加します。
そして人に施術するようになり、少し料金も頂くようになるものの、自分自身がどんどん
情緒不安定になってゆきます。一体何が起こっているのだろう、、?と必死に情報を探しました。
ちょうどその頃に、父が病のため、他界、、。追い討ちをかけられるような気分でした。
精神的に対処できる限度を超えだしたため、メンタルクリニックを受診、、。
不安神経症と診断され、投薬治療を開始、、。副作用の眠気とダルさ、そして半年くらい経つと
下がただれ始め、ご飯が食べられなくなってゆきます。この時25歳、、。
もうこの頃には、ただただ、苦しみが早く終わって欲しい、、とだけ思う様になっていきます。
そして、平安を強くもとめるようになり、何か心が落ち着くための「瞑想」のようなものがいいのでは?
と、探し始めます。
偶然、統合医療で有名な帯津良一先生が、長野県の「水輪」というところで、
養生塾というものを開催されるということでしたので、また瞑想の指導もあるということでしたので、
参加することに、、。この水輪という場所は、重度の脳障害をもった娘さんをもった夫婦が、悩み苦しみをもつ人が、それを超えてゆく強さを得るため、自己を見つめるために作った施設です。
そしてそんなことが縁で、瞑想を学ぶことと、日々の普通の生活のなかで、自己を見つめ、
苦しみを乗り越えてゆくために作られたワークスタディというものに参加することを決意、、。
自殺願望に苛まれていた人、精神的な病の人、アルコール中毒だったひと、など様々な苦しみを
味わってきた人が集い、お互いを高めあっていました。
僕も、この場と人の力を借りて、自己を変えてゆこう!と当時乗っていた車を売ってまでの決意で
参加するも、、40日目くらいで、やる気が失せるどころか、こんなことを選択した僕が愚かだった、、
とまるで収容所に収監された人の気分に、、。
飯綱高原という、標高1000メートルくらいのところにありましたので、山の中です。
財布と携帯は預けていましたので、夜布団にもぐりながら、逃げるなら今夜しかない、、、 でも、熊に襲われはしないか、、?^^;とか、追ってはこられないだろうか、、など、
当時の決意は、跡形もなく消え去っていました。
この時、僕の中には、自分の意思よりも強い力が存在することに気づき、絶望の中へ落ちてゆきました。
この頃から、「死」にあこがれるようになってゆきます。
すべてからの解放、、、。何も無いという平安、、、。
ひょんなことから、「死後体験」という本をゲットします。
それには、モンロー研究所というところがあって、ヘミシンクという音響技術を用いて死後の世界や、深い瞑想状態を体験できると書かれてあり、
日本語通訳付のツアーもありますとのことで、参加を決意。この時27歳、、。
初めての海外でしたが、研究所の暗いブースのなかで、ヘッドフォンをつけて一日中
ヘミシンクを聞いて過ごすというものでした、、。
皆、24名くらいでしたが、様々なビジョンを見たり、不思議な体験をされたりということでしたが、
僕は、怒りや、恐怖や、うつ状態がやってくるのがほとんどで、帰りの空港までのバス内で、
絶望に打ちひしがれていました。これが2007年の12月のことです。
そして、もうこれまでか、、と思っていたときに、ミクシーの友人の知人が
ある瞑想を紹介してくれます。
ヘミシンクと同じ技術を使ったHolosyncという ものです。
内心、「もうええって、、」とふてくされていましたが、とりあえず内容だけでも 読んでみようと、じっくりと読んでみることにしました。
そして、ある発見がありました、、。
僕が変わろう!とするあらゆる試みが、なぜ上手くいかないのかを記してあったからです、、。
それは、僕のあり方そのものが、強く安心安全と結びついている為に、変化を促された際に、
変化すること、今のあり方を手放すことは危険だ、、、と無意識が判断し、自動的に抵抗を起こすためである、、
ということでした。
そしてそれを書いているセラピストのビルハリス自身が、ぼくと同じような
状態を経験し、かつそれを超えてきたということでした。
無意識の中をかき混ぜ、直面できなかった痛みや恐怖などの、抑圧された感情を浮上させて解放すること、、。
固く安全と結びついた自分のあり方を、対処できる速度で崩壊させて、再構築すること、、。
意図的に混乱を引き起こしていたとはいえ、猛抵抗が起こる中での4年半でした。
ですから、僕は、人が慣れ親しんだ生の構造が根本的変化にさらされて、対処できる限界を超えるような
経験をするときにどういう状態になるか?ということに対しては、理解があるほうだと思います。
瞑想により引き起こされる浄化の内面的なプロセスを、ジャッジすることなく、ただ見つめるということを
繰り返してきたので、自分の光と闇、様々な側面を抱きしめてやることが出来る様になってきています。
嫌いなひと、許せない人、というのが自分の中からどんどん減っていっているようです。
どんどん余分なものがそぎ落とされていっていたのでしょうか、、そんな中、少しづつ
自分のことも大切にしてあげないとな、、と思い、よし!おしゃれしてみよう!と、
イメージコンサルタントのコンサルティングを受けました。けれど似合う色はわかったものの、
あまり素敵になったな、、という気がせず、周囲の反応もあまりなかったので、やっぱりだめか、、と
あきらめかけていましたが、とうとう見つけました! ファッションレスキュー!名前もドンピシャ^^
そして始めは、政近準子プレミアムというサービスを受けようとしました。
がしかし、自分にとってはあまりに大きな飛躍だったせいか、よけいに無価値感や劣等感、
自己否定が浮上してきて、夜はうなされ、、日中は恥と焦燥感にさらされていました。
この混沌を超えてゆこう!と思ったものの、ビフォーアフター的なものになってもしょうがない、、と
断念、、。けれど、僕だってオシャレして自分を大切にしたい、、という想いは、もう止められないほど
強くなっていましたから、中村龍太さん担当の政近準子監修プランに変更していただきました。
このまま死ねない、、。そんな想いでした。
心の叫びが、抵抗を一瞬だけ凌駕したのです。
「お前はそんなサービスを受けるには値しない、、」とか否定的な声のオンパレードでしたが、
何とかサービスを受ける日まで、やり過ごし、カウンセリング当日を迎えます。
昼の12時から夜の6時まで、カウンセリングを行っていただきました。
この時ばかりは、混乱しないように、自分をプッシュするのをお休みしていました。
ファッションという感性をとても大切にする仕事をされているせいか、頭でというよりは、
肌で自分の話を感じてくれる様な気がして、ジャッジメントを感じさせない雰囲気を作り出して くれていましたので、とても安心感をもって話すことができました。
そして、僕のイメージに合うと言ってくださった、メゾン マルタン マルジェラへ、、。
パンツを試着して値札を見てびっくり、、。65000円とありました、、。
これでスイッチが入り、「やはり僕は騙され利用されるのか、、」と、お二人の
本物に袖を通して欲しい、、という真心とは、まったく違った次元にいってしまい、
店を出る時には、恐怖感と絶望感で混沌としていましたが、次のベネトンシスレーで の試着の嵐、、。
これによって、「やっぱり、お二人は真剣に僕に寄り添ってくれているかもしれない、、」と
再び心を開くことができ、とても素敵なアイテムも選んでいただけました。
お二方の本当に服が好きで、情熱をもって取り組んでいる姿が 僕のなかの何かに響いたのでしょうか、、。
何かを愛してしている人達の中に身を置いてみたい、、そして
装うことについても深めてみたい、、それが入学を希望した理由です。
まだ僕自身が何かにワクワクするような状態になっていないので、プロになるかどうかというのはわかりません。
僕の人生のテーマは、苦しみの終焉、そして満ち足りた生を生きることです。
そして自分からあふれ出すものを分かち合うような生き方をすること、、、。
そのために、余分なものをそぎ落として、そぎ落として、ありのままの自分にくつろぐこと、、
本質を生きること、、。
たったこれだけの文章を書くのに、11時間もかかってしまいました。
長い文章を読んでくださってありがとうございました、、。
わかりにくく、長かったと思います。
でも、これが僕の精一杯の自己紹介、自己PRでした。
どうぞ皆さん、よろしくお願いします。
明日は、なおゆさんです。