12月17日の夢、自宅にいると不審な者が周囲をうろついて、窓をこじ開けて室内に侵入しようといていました。

私は暫く様子を眺めていると、不審な者は遂に室内に侵入しましたから、飛び出して前に行きお前たちは何者だと怒鳴りました。

彼らは驚いて後退りしましたが、私は何を盗みに入ったのだと問いかけました。

彼らは私に見つかってしまい、少し怯えて恐縮し大人しくしている様でした。

私は警察に突き出さないから条件として、彼らに何を盗みに入ったのかの理由を尋ねました。

彼らの話によると、お宅には何でも凄いモノがあるとか、憧れ・羨望のモノがあるとか、何かの権利を持っているとか、或いは何かの証明書や認定書とか、パスポートの様なモノが有る筈だから探しに来たと言いました。

 

私は貧乏で大金や貴金属や宝石類とか、その様な高い価値の有るモノは持っていないし、何かを登録された権利も証明も認定も取得したと言う事は、身に覚えはないと答えました。

この様なやり取りの話しをしていると、自宅の周囲に人影が見えたので、彼らに尋ねると仲間は自分たちだけで他にはいないと答えました。

どうやら他のグループも何かを狙っている様でした。

暫くすると、室内でも不審な物音がしましたから見に行くと、引き出しなどが荒らされて散らかっていました。

特に各種のお知らせが届いていた書類入れの引き出しは無残な姿でした。

私は一体、何を探しに来たのだろうかと疑問に思いました。

 

夢から覚めて考えてみると、2020-10-02「旧掲示板2007年9月10日の夢、拾い上げたピースはアイテムだった」の事柄を思い出しました。

登録された権利や証明や認定は「キー」に相当するモノだと言えます。

利己的で邪悪なネガティブの人々は、五次元の「新しき世界」へ入ることは叶わないので、今まで人類を道連れにしてお仕舞いにする人類削減計画を何回も実行しました。

ところが、何れも上手く行かずに失敗して悔しく苦々しく羨ましく思っていますから、今度は五次元の「新しき世界」へ入る資格や権利を得て認定された者から、その権利や認定やパスポートを奪おうと目論んでいると思われます。

ネガティブの人々は、魂が未熟で地球と人類の次元上昇(アセンション)には、追て行けなく可なり焦っていると思われます。

ネガティブの人々が五次元の「新しき世界」へ入れる人々から、権利や認定を奪おうと目論んでいたとしても、五次元へ入れる人々は高尚であり民度が高く聖人君子並の存在なのです。

ですから、諺に有る「君子危うきに近寄らず」と言われて人格・品性が高く高徳でもあり、誰であろうと害したり傷つけたりすることは出来ずに何かを盗む事は叶わないでしょう。

それは、一定の霊的なレベルに達すれば誰であろうとも、あらゆる災難・災禍・病禍・事件・犯罪・事故などは避けたり遭遇しても、不思議にも無事に済む事ことが出来るのです。

 

今の時期に、人類は霊的な目覚めから真の人間である神性に覚醒するに従い、魂・霊性が進化向上して霊的なステップアップが起こり、次元的・霊的な上位の階層へ進みつつあって次第に五次元世界へと繋がり、移行する局面に入ろうとしていますから、皆はうかうかしてはいられないでしょう。

しかし、今までの悪習慣を改めて抜け出すのは容易ではありませんから、ネガティブな生き方からは決別する勇気と覚悟が必要であり、高尚な志を掲げて霊性の進化向上に勉めるには、世界の諸聖人が示された共通する教説の真理を学んで実践し、利他心で自然の秩序と摂理に調和して適合する様に生きることから始めます。

 

人には「108の煩悩」があると言われますが、その中でも怒りのパワーは強くて怒りに狂うと物事への正しい思考を停止させたり、誤解も解けずに意思決定の判断を鈍らせて方向を間違えることもあります。

そして、頭に血が上り「怒り心頭」の侭では他者に危害を加えて害や傷を及ぼしたり、最悪の場合は我を忘れて殺人にまで至り、自らの人生を台無しにすることもあります。

怒りに至るのは、目前の損得とか欲望から来ることが殆どでしょう。

 

私たちの地上で生活で、欲望・所有欲から自分のモノと言う横柄・下劣で偏狭な勘違いの考えから、魂の体験学習や試練に必要な教材(人も含む)や機会として必要に応じて「天から貸与されて、何かを学び用が無くなれば引き上げられる」と言う、高次元的な考え方が自らの未熟な心・精神を解放することで、思考・意識を高めて何事にも動じない心・境地が養われるのです。

 

現世は魂の体験学習を行う場所であり、精神・意識・想念が創りだした幻想・幻影・マトリックス・ホログラムの世界とは、「般若心経」の「色即是空」と「空即是色」の意味や説明と同じです。

この世は変化無常であり実在・常恒ではなく、虚空とか無常とか仮想とか借り物とか妄念・妄心の世界だとか言われて、人生の環境、境遇は心の影などとも言われる所以です。

上位の階層領域へ行けば誰であろうと、認識・感覚が拡大して自ずと分かるでしょう。

 

熟達した皆さんは意識・言動が高尚で准聖人君子であり、霊的な目覚めは勿論の事、神性への覚醒・理解・認識を得ておられますが、一方では生活に追われてそれと同じ様な霊的な気付きも目覚めにも至らず、霊性の目覚めから神性への覚醒・理解・認識を得られなく持てない、数多くの未熟な魂の人々もいるのが現状です。

 

今の時期は人類の霊的な「篩い分け」により、愛念と利他的な生き方で高次元の世界へ向かう人々と、今まで通り邪悪で利己的な生き方を送り、様々な災難・災害や紛争や事件や事故に巻き込まれて悲惨な人生を送る人々と、二極化したパラレルワールドは大きく分かれています。

 

皆さんがアセンドするかどうかは皆さんの霊的なバイブレーションが、皆さんを上昇させる臨界レベルかどうかにより決まります。

旧新どちらの世界へ進むかは貴方の潜在意識や霊性・魂の持つ、波動・周波数・振動の状態がどちらの領域に一致するかどうか次第です。

皆さんは自分のバイブレーションに応じて居心地が良く感じる、幾つも有る階層の方向・領域に引き寄せられて行きます。

 

利己的で、殺人・傷害・詐欺・泥棒・恐喝・不正・偽装・粉飾などの犯罪者を始め、虐待や乱暴・暴力や噓偽りや虚栄や薬物中毒の生き方とか、自尊心を傷つけられて逆上したり、人を見下すとか気に食わないと怒鳴り散らしているとか、貪欲・執着・依存・自我・溺愛・傲慢が強いなどの様では、知らない内にネガティブな最下位階層領域の選択をしたことになります。

人格・品性(魂の霊的なレベル)の低い者は、自由意志と言動により彼らなりの偏狭で誤った生き方から、殆どの場合は他者の犠牲(傷つけ害する)によって、自己の目的を遂げようとするものですが、当然に自己責任(カルマ)が生じて来ます。

 

そしてそれを何度も試みて一寸成功しても、やがてそれは失敗に陥ってしまうのです。

この人たちは霊性が未熟で霊的に目覚めてなく、これからも現世で魂の体験学習が必要ですから、試練や苦難や痛手を受けて辛い人生が待ち受ける、邪悪な下位のパラレルワールドのタイムラインへと続き、五次元世界へは縁遠い領域と言えます。

但し、他のソウルたちより霊権的に劣るとか無能とか出来損ないと言う意味ではありません。

 

この現世で同じ世界の次元領域に見えて相互に住んで居ようとも、各自の意識状態の違いから人は夫々の見方や視点や捉え方や、観念・認識・感覚の把握する違いや真実を見極める心により、世界観とか人生観とか生き方や価値観は全く異なっているのです。

皆さんが目にし感覚が認識して体験している現世のリアリティー世界は、各自の魂・霊性のレベルに因る波動・バイブレーションの違いにより、相応しい心・意識の境地・心境に応じて現世に差異が生じてきます。

自由意志は素晴らしいツールで自分の進歩の進むペースを決めて、教訓・課題を学ぶまで同じレッスンを繰り返すことが出来るのです。

 

私たちは生き方を正して心に潜む蟠りを取り除き嫌な事象を「吾唯足知」と気付いて悟り、相手を責めず「水に流す」ということが出来れば、光明エネルギーの作用で浄化排毒の赦しと解放が起こり、誤った意識のブロックが解けていくので、肉体にも精神にも魂にも良い方向に作用すると思います。

ここで、霊性に目覚て高くなり神性に覚醒を遂げて高徳となれるのは、貧富や身分や年齢とかの差とか地位・名家・名門・名誉・名声などとは、全く関係がありません。

 

この現象界に魂・霊が肉体を纏い人間として人格・品性を完成させる目的で、神の分霊が神の子として降臨して来たのであり如来とも言い、品性が完成すれば霊格は菩薩の段階・位になります。

人としてより良く幸せに生きるには精神の修養は必須であり、人生としての生き方である正しい基準となるべき思想や思考を身に付けるべきで、正しく有益な人生観を学ぶ心掛けも大切な事柄で、高尚な意識と言動に努力する心遣いは不可欠だと言えます。

 

皆さんは今と言う、特別な時期に高次元から大量に流入する光明波動を受けて、絶好の一遇チャンスを生かして日々の生活で明るく陽気な気持ちや前向きな姿勢で、利他心と嬉しい楽しい有り難いと言う感謝の気持ちを現すと、意識の高尚・高揚が伴い人格・品性が高まって行きます。

日々の暮らしで自己を磨いて純化させ、さらに意識と言動を真理に叶う様に心掛けて高尚にすることにより、霊性が一段と高くなり神性に覚醒を遂げて高徳となれば、順次にポジティブな上位の階層領域帯へ前進して、次元上昇は容易に行なわれる様になり、五次元世界へと移行する局面に入ります。

 

次元上昇を容易にするには、には目先の損得を判断する感情で知らない内にネガティブで、不要な荷物・感情を素直に下ろして手放す必要があります。

さらには同様な足枷も外す必要があったり、内気で弱い意志から知らない内にネガティブな自己暗示を掛けて、「自縄自縛」に陥っている場合もありますから、ポジティブな逆暗示を掛けて解き放つ必要があります。

これは執念や執着や依存とか罪悪感とか利己的や責任逃れで相手を責めるとか、自己限定や自己卑下などに因る処から来ると言えます。

 

日々の生活で、皆さん自身の思考・想念や情緒・感情のネガティブなエネルギーを、「己に背く」如くに知らない内に自らを裁き自己に向けて発し自らを傷つけ害して、「自己処罰と浄化排毒と清算」をするが如く、破壊・破滅するための爆弾・砲弾・諸刃の剣なる非創造のエネルギーとして、作用していることに今こそ気付き再認識しましょう。

 

支配する者たちは利己的で世知辛く生き馬の目を抜く様な生き様で、目先の損得で庶民を駒の様に扱い隷属の労役として見下し、無理難題を押し付けて酷使させるのです。

日常的に理不尽や不条理の成果を要求して押し通す有様で、無理な目標とか期日を設けて使役を強要させ急がせたり焦らせたりで追い詰めて、難儀を余儀なくさせて心身共に疲労困憊して、抑圧と収奪され長い間も生活の質が向上する事なく引き戻されているのが現状です。

しかし私たちはここで不安・恐怖を抱くのではなく、発想の転換を行い視点・観点を変えてこれも与えられた体験学習の試練だと、「困難に戯れる」様に前向きな心構えになれば打ち勝つ勇気が出て何事が起きて来ようとも、それに対処出来る知恵が湧く様になり気持ちは楽になります。

 

例え、人格・品性を完成させる准聖人並みの一寸手前で、努力の甲斐も無く不幸にして今世の寿命が尽きて死に至る事があろうとも、決して元の木阿弥に戻ることはありませんから、狼狽えたり恐れたり落胆したり残念がったり諦める必要は全くありません。

死後の世界でも現世と同様に霊格・霊性を高めて完成させて准聖人並みに至れます。