久しぶりに長いブログを、最近していなかったテーマ「こころに触れる」で書きたいと思います。
そして、みなさんからの忌憚無きご意見をお伺いできればありがたい限りです。
6月23日。
昨年参加させていただいた不登校・登校拒否全国連絡会で同じ分科会になってからお世話になっている奈良教育大学の立石先生からご招待していただいた、日本社会教育学会・第37回関西研究集会(主催:日本社会教育学会 関西支部)に参加してきた。
今回のテーマは「若者支援を読み解く。」
事前に頂いた内容紹介資料には「支援のあり方」「若者支援と社会教育の課題」「教育と労働の接続」「現代の貧困」といったテーマと共に「居場所づくりや仲間づくり」の言葉があった。
☆ ここで居場所づくりについての弊事務所の取り組みを少し…。
うちの事務所は小さい事務所である。カウンセリングで細々と生計を立てる傍ら、できるだけ副業をせず、どうにか運営していこう!そういった事務所である。
そんな事務所で、居場所づくりを始めた理由は至って直線的な話である。
○ 引きこもりの当事者さんと関わる→外に出て居場所になるところがあればいいな!→うちみたいな事務所だから出来ることがあるのでは?
○ 発達障害の当事者さんと関わる→外に出て居場所になるところがあればいいな!→うちみたいな事務所だから出来ることがあるのでは?
●結果:であれば、居場所づくり始めてみよう!
そのためにいろいろな会であったり、集まりであったり、お話を聞きに行ったり…。
それでもやっぱり難しい。
こんなこと書いていいのか賛否は分かれるだろうが、うちの事務所は民間。公的機関でも取り組んでいることを、うちの事務所でやる。(つまり、無料で行っている公的機関がある中で、お金をもらってやるということです)で、あればうちでやるメリットを作らないといけない。私が…。
そのためには1に勉強2に勉強、34が実践、5に反省・・・といった具合である。
今でも日々勉強、新しいことを…といろいろ考えている。外部的な働きもあまりしてないので、人はなかなか増えているとは言い難い。毎回効果的なこと、すごいことを出来ているとも言えるかは分からない。ただ、一生懸命やっている。もちろん「やっているつもり」にしないように。
手ごたえがある、おもしろかった内容は他所では出来ない、しないようなことをやれた時。
手ごたえがイマイチな時は、他所で聞いた内容の発展的内容をしようとした時、と相場が決まってきている気がする。
その中で、ちょうど事務所の居場所づくりも分岐点に立っている。HPに居場所づくりのページを作って参加者を募ったり、ボランティアを募集していろいろなことを出来たらと考えるようになり、それに向けて着々と準備を進めているからだ。現状までは、カウンセリングで関わったことのある人だけであったが、それを居場所づくりに来てくれる人もOKにして、活動を広げていく。
言葉にすれば簡単だが、考えることは山のように増える。
メンバーの問題、トラブルの予習。性別や障害への配慮…。挙げ出せばきりがない。
居場所づくり外部委員の小林さんが手伝ってくれたり、時には議論したり、新しい試みを持ってきてくれたり…。それでもなかなか実情は動かしにくいなぁと感じる日々であった。
春からやろうと言って企画が、流れに流れていく。
HPの仮ページを置こうといわれても、仕組み作りで悩んでしまい、中々できず、結局小林さんのページだけとりあえず置いてみたり。
そんな中で迎えた6月23日だった。
☆ なぜ私は事務所を始めたのか?
私は心理学関係で実践をしている立場として珍しく、大学院を出ていない。だから臨床心理士と言う資格をもっていない。この仕事をしてから、よく聞かれる質問で「どこの大学院を?」「臨床心理士の資格は?」というものがある。
今日も聞かれた。
あまり他者に言う機会もなく今まできたので、いい機会だと思って「なぜ、事務所を始めたのか?」ということを簡単に掛ける範囲で書いてみようと思う。
私は今だからこそ言えるのだろうが、大学時代に自分の大学が嫌いだったと思う。
今でもその気がある。
ただ、高校時代から夢は「一度しかない人生、やりたいことをやる!」「それはカウンセリング事務所だ!」と思っていた。
なぜそういう風に思ったか、または、もっと前から遡って説明した方がいいこともあるのだろうが、それだけで一つの話が書けてしまうので、また機会があれば。
話を戻す。
大学時代は休学して、地方の旅館に住み込みで働く、友人がオーナーをすることになったホストクラブの手伝いをする、塾の先生のバイトをする・・・等、大学以外のことに全力投球だった。
そんな自分の当時を振り返ると、色々な説明が出来る。一番しっくりきたのは「アパシー(シンドローム)」というものだった。
そんな私ではあるが、心理学の勉強は好きだった。自分で本を買って読む。教授に本を借りて読む。論文を読む。しかし、授業は嫌いだった。出席もしない。大学で行く場所といえば講義室以外。研究室。図書室。保健室。喫煙所。人が少なくて、勉強しているのを見られない所。無駄なプライドが見え隠れしている。4年目ぐらいからテストに出て、ぎりぎりで単位をもらう。もらえなかったらしょうがないという気持ちだった。だが、もちろんのごとく留年。結局、5年半在籍。うち半年は休学。卒業して半年は、研究生。真面目に授業に出ていた時期は最初の半年と、最後の1年ぐらいかもしれない。自分では真面目に大学生をしていた認識はない。そんな過ごし方だったからか、知識が深いところはとてつもなく深いが、ないところはない(事務所を始めるときに均す(ならす)ことは非常に苦労した。今でも昔ほどではないが、知識が偏っているとは思う)。
そんな私は学生時代にいろいろな臨床心理士さんに出会った。いい人が2、あかん人8ぐらいの割合。そうずっと感じてきた。その中で、臨床心理士を取る気は2回生ぐらいでなくなった。
でも大学院には行きたかった。大学生活5年目ぐらいにはまた、そう思っていた。が、臨床心理系ではなく社会心理学・もしくは社会学。カウンセリング事務所をやりたいという夢はあきらめていた。
大学院にしても「行きたい!」と言いつつ、あきらめがどこかにあった。2回生ぐらいには感じていたのかもしれない。いやもっと前からかもしれない。
加えて、英語が出来ないコンプレックスが半端じゃなかった。
高校時代は不登校だったこともあり、(そもそも中学時代から英語に苦手意識があり、もっと言うと勉強しなかった)そこそこの進学校だった高校で一学年何百人とおる中で、最下位だったことがあった。それ以来テストもあんまり出なかった。追試は高2で7教科。公立高校なら間違いなく留年だったであろう。高3でも追試は5教科。センター試験の勉強を周りがしている頃、私は追試の勉強と言う名前のサポタージュ。
そんな私が大学に合格したのはなんでなんやろう、といつも思っていた。それと同時に来るジレンマ。小学校や中学校の時、こんな大学に来るなんて想像もしなかった。
一回の教養の英語。今でもなんとなく覚えている。周りの人が簡単すぎるという英語があんまりわからなかった。
周りを見下しつつ学校に来ていた(当時はそう感じていなかった)私が授業をサボり気味になるのに、時間はかからなかった。
心理学関係の授業は「こんなもん、高校時代に勉強したし面白くない!」でサボる。
学校に行く必要がなくなる。行っても、喫煙所。よくて図書室。
そんな英語の勉強と向き合わないといけなくなった。私が所属したゼミ(ゼミの教授がうちにけーへんかと誘ってくれた。本当にうれしかった)は大学で1、2を争うほどの厳しいゼミ=英語を読ますゼミだったから。
自分が和訳する番。自分でやりだして2ページ目であきらめた。塾のバイト先の英語担当の後輩に手伝ってもらうが、ほとんどやってもらうことになる。そうしてやってもらったのを手直し(今から考えれば、教授は相当に助けてくれたと思う。しかし恩を全然返せてないなと思う)。
自分の卒論に必要な英語論文。手伝ってもらう→やってもらう。内容がなんとなくわかるので、意味に合うように手直し。
そのうち日本語の論文ばかり読む。
大学院の勉強。専門は後回しにして、英語の勉強。一生懸命してもボロボロ。働いていた塾で相談したところ、中1からやり直せとのこと。中3をやる頃には心が折れていた。
専門の勉強は理解できるが、英語の勉強は心が折れる。でも周りのこともあるし、やってみるものの全然わからない。
半年研究生をしている間もそんな感じ。内心、進学をあきらめていたと思う。
無理して難しい大学院に行こうとしていた気もする。もう見返すならここしかない。だけど、見返せる見込みもない。
受験間際。親父が仕事を辞めることになった。離婚しているうちの家。
奨学金で大学院進学となった。「勉強しないと」と思ったが、3日後に終了する。
奨学金について問題があったのだった。調べてみると、うちの家には色々と事情があり、奨学金が下りないことが分かった。
それが分かった瞬間、それ以上調べるのをやめてしまった。教授や友人のアドバイスもほとんど耳に入らない。優秀な生徒となって学費免除を狙うこともできたが、私には無縁の話だった。
2週間後、仕事を探して数社の面接を受ける。塾業界の会社である。
それまでの経験からいけるだろうという魂胆であった。会社はネットで探した。バイト先の塾長先生(この方も大変いい方だったし、お世話になった。いろいろなことを教えてもらった。雑談の大切さもこの方に教わった。就職の話も頂いたのに結局、「英語」でフイにした。)には「英語ができないと厳しい」と言われる。
しかし、意気揚々といった面接では、鼻をへし折られる。英語の問題、英語以前の問題。
やっと手ごたえを得たある塾では「4月からの予定は明けといてくれ」と言われたのにもかかわらず不合格。
その2日後、名古屋に面接に。2次面接から。
センター試験の日と同じ感覚に陥る。(センターの日の朝、行きたくないという理由で休んだ過去が・・・。)
そして本来なら新幹線に乗っている時間、私は大阪の雀荘にいた。
しかし2時間ぐらいして、「これじゃあかんよな」と思い、初めてハローワークに行く。
そこである塾を見つけて、受けてみようと思った。
受けた理由は、“家と近かったから“という理由だった。
そこから何故かその日に面接を行い、内定を貰う。
世の中よくわからなかった。
しかしその塾選びがトラブル。(詳細は伏せます。)
よくよく悩んだ末に入社。今までの塾との関係はなくなってしまった。
入社した塾はご夫婦が運営されていて、いい塾だったと思う。
しかし、今までの塾とやり方の違いに戸惑いもどかしい日々だった。
出来るはずのことが出来ていない自分。
そんな時、昔から仲の良かった知人に会った。
夜の関係の仕事をしている人だった。昔は取引先の営業マン。今は新進気鋭の社長。
「夜の仕事ではいろんなトラブルを抱えている人がいる。病んでいる人もいる。居場所もない。そんな人を助ける人がおらんのかなぁ。」
と言う話になった。
「それを出来る人は少ないだろう。」そんな話。
「努力し続ければ必ず結果が出る。あきらめたら、止まったらそこで終わる。」
営業マンが、社長としてがんばっているからこそ、思うところしかない話だった。
昔の関係があったからこそ、重たかった。
就職した塾では、英語を教えないといけなかったので英語の勉強をした。
“仕事だからあたりまえ”
そうやって取り組んだ英語は楽しかった。
思えばそうだった。仕事となると、だいたいなんでもやっていた。
そこから心理学の勉強をやり始めるのはすぐだった。
お金の算段も、経営の基礎知識も。事務所選び。いろんなことをやった。
寝る間を惜しんでも、「惜しんでいる」という気持ちはなかった。
資格を取ろうかと思ったが止めた。お金の無駄な気がしたからだ。
(今となれば取得しといてもよかった気がする。)
塾を辞める話をした時、塾長先生は快く送り出してくれた。今から思えば急な話だと思うし、迷惑ばかりかけた。失礼もした。内心はいろんなことを思っていただろうと今ならわかる気がする。
事務所の開業初年度に送った年賀状は返ってこなかった。
いろいろな人に助けられ、そしていろいろな人と縁が切れた開業になってしまった。
自分が足りないことばかりだったことに嫌でも気付かされる。
今でも後悔することが山のようにある。
そしてやっとこの項の最初の話。
「どこの大学院を?」「臨床心理士の資格は?」
今でもこの質問はたまに尋ねられる。
今となっては、はっきり言える。
「学士卒です。」「もっていません。」
この仕事を始めてから、周りの勧めもあり、資格を取った。(今日何の資格取りましたっけって聞かれて、忘れていました(笑))
でも人に何を取ったか言わないようにしている。スタッフぐらいしか知らないんじゃないだろうか。
スタッフすらあまり知らないかもしれない。
それはコンプレックスからではない。今では、はっきり言える。
前は資格取ったらうれしいんだろうなと思っていたが、持ってみたら何にも変わらないことに気づいた。
自分そして事務所の実力が大事なことが、再認識できた。
もし将来、臨床心理士や検討中の国家資格を取らないと、開業できなくなったとしたら…その時に、お金と時間があれば、臨床心理士なり、国家資格を取ります。
でも取る余裕がなかったら、事務所を畳むか、資格を持っていて信頼できる知り合いに譲ります。
実力をつける。だから勉強をする。
人生で最も勉強している気がする。
そうしてきた結果が、学会に誘われたことなのかな、と勝手に思っている。
(違うかったら、立石さんごめんなさい。)
だからこそ社会教育学会なんていう人生で関わったことのない分野の学会(行かせてもらってみたら、事務所でやっていること、事務所で考えてきたこと、居場所づくりやひきこもりのお子さんがいる家庭と向き合うために勉強してきたことが、そのまんまあてはまるものであった)に行くために勉強した。緊張した。あんまり普段しないのに。でもその勉強、半分事務所半分自分のためなのにすごく楽しかった。英語の時とは違った。
自分でもトートロジー的なことやメタ的な感じがする。
自分のためが半分しかない。でも、大きい半分だと思っている。だって、事務所の肩書があっての参加であるから、どうしても全部自分のためとはいかない。
そんな中で自分のためがある。
それで自分がいろんなものを得て、社会や相談者さん、利用者さんに還元する。
自分の事務所が小さいうちは、私が大きくならないと、やっていけないと思っている。
だから自分のためは人のためが含まれる。
でも会社は自分の会社。
なんだかんだ考えた結果が、「せんでもええことを自分がやりたくてやってる。そしてそれが楽しいし、プレッシャーだ。」と言うこと。
全然寝れなかったり、疲れが取れなかったり、年を感じた。でも楽しかった。
そんな6月23日でした。
長くなったので、その2に続けます。
その2では、学会の内容について詳しく書ける範囲で触れたいと思います。
追記:こんなPSIにボランティアや研修生に来ている人を募集しています。
ボランティアの人、居場所づくり手伝ってください!ファシリテーター的な人を養成できたらと思います。また、こういった学会や社外・社内研修にも招待します。
研修生にはカウンセリング事務所の実情やどんなことを勉強・実践しているか、何でも教えます。症例研究は難しいですが、面白いと思います。時間がある人には、とことん付き合います。ない人にはない人に合わせてカリキュラムを組みます。はっきりいって民間レベルでは、他で出来ないと思います。(但し、研修費として月10000円を頂きます。そこはお許しを・・・)。その代わり多くのものを得て、社会に還元してください。
どちらも興味のある人はHPの問い合わせより、メールをください。
HP:http://www.psi-rl.com/index.html
↑ちなみにHPの写真は、私(代表)、カウンセラー、研修生、相談者、居場所づくり利用者が映っています。こんな感じの事務所です。若い人間がみんな一生懸命やってます。
そんな感じの写真なので、誰が誰かを説明しづらい(笑)。また映っていないメンバーもいます。
やりたいことはやればいい、やりたくないことはやらんでいい、参加したいことはしたらいい、参加したくないものはしなかったらいい、こんな感じのスタンスです。
タイトルとして「ボランティア募集について」「研修生について」をつけて、代表竹内宛でお願いします。たぶん夏ぐらいにはが人数いっぱいになって閉め切るので、お早めに。
(去年の卒業生は学校の先生と、障害者支援施設の職員をしています。うちのような小さい事務所で正規採用されるより、公的施設の方の就職することを薦めています。)