え、ほぼ2年半・・・ぶり・・・?
とはいえ、全然最近の話ではないのですけど、どうしても書いておきたかったので、書きますね!
実は、去りし半年以上前、地元での演劇活動(映像撮影)のために熊本に帰郷した時に、行ってきたのですよ、新選組尾形さんが文字を刻んだ石碑を見にね!
あるんですよ、尾形さんが熊本でも確かに生きていたという、その証が、現在も!(めちゃ興奮)
それは、熊本県山鹿市鹿北町多久(やまがしかほくまちたく)の原(はる)にある、「溝渠疏鑿記念碑」(こうきょそさくきねんひ)です!
私が探し当てたわけではないので、詳細は書けないのですが、見つけてくださったかたが先にいて、こちらのサイトを参考に多久まで車をかっ飛ばしてきました。
そう、ここはもう車でしか行けない。絶対にどこかあらぬ道に導かれて、辿り着けないどころか家に帰れるかどうかも怪しくなるのではないかと踏んでいましたが、意外や意外、一発で辿り着けました。
あ、あったー!
これは、尾形さんに歓迎されていると受け取ってもいいのでしょうか??(爆)
拡大するとこんな感じ。みなさーん!これが尾形しゃんの筆跡ですよー!!(そこ!?)
(右側面)
(左側面)
(背面)
(正面下部)
(背面下部)
はぁはぁ・・・舐めるように撮ってしまったそれにしても字が読めん。てか見えん。
ですが、私の崇拝する瑠璃子さんが文面も調べておられるようです。瑠璃子さん、どれだけすごいお人なの
さるくさんも素敵すぎる
Twitterでのお二人の個人的なやり取りを拝見して書かれている文面を知ったので、引用は避けますが、「溝渠疏鑿記念碑」で画像検索をするとすぐに出てきます
「溝渠疏鑿記念碑」は、高台にあるため田でなく畑しか作れなかった原集落の人々を助けようと、その土地を担当する手永(てなが、肥後熊本藩特有の制度で、惣庄屋(そうじょうや)といわれる地元の有力者が藩から任命を受けて土地を管理する、いわゆる民間委託)が用水路を造ったことを記念する碑。用水路ができたのは、文政10(1827)年から1年あまり。この碑が建設されたのは明治36(1903)年5月で、尾形さんが66歳の頃になります。
この用水路ができたとき、尾形さんはまだ生まれてなかったんですねー。
そして、そのすぐ近くには新しめの別の記念碑が。
「岳間地区活性化総合事業 圃場整備・集落道整備 原工区」
岳間(たけま)は嶽間と同じで、尾形さんが晩年に住んでいたあの嶽間のことです(説明になってるか?)
この碑は平成26(2014)年7月に建設されたもので、先述した用水路の整備から180余年の月日が経ち、原地区の土地整備が一段落ついたことを記念する碑です。
スパンが長い。そして、比較的最近のことではございませんか。
尾形さんは確かに、この嶽間村の原地区がゆっくりと発展するはざまにいました。
新選組時代の京都にいた頃と比べると、嶽間での時の流れは悠久のものにも感じられたかもしれません。
2つの石碑を囲む原の景色です。
恐らく、尾形さんが見た景色とあまり変わりはないのではないでしょうか(パノラマ写真なので、空間に歪みが出ています)。
ところで、石碑の後ろに大きめの建物があり、気になって思わず行ってみました。
そこにあったのは、JA鹿本の製茶工場!
そうです、岳間はお茶が有名なのでした。深蒸し茶といって、普通の煎茶に比べて2~3倍の時間をかけて茶葉の芽を蒸し上げる製法により作られた、濃く深い緑の水色(すいしょく)とまろやかでコクのある甘みが特徴のお茶です。
私が現在活動させていただいている静岡県西部も深蒸し茶の地域なので、今更ながらなんだか運命を感じてしまいました。高台の地はお茶向きなのでしょうね
最近は熊本を代表するお菓子メーカー「お菓子の香梅」とコラボレーションもしているようです。
頑張ってる岳間!その調子で、いけ!尾形俊太郎ゆかりの地としても売り出せるし、可能性は無限大だぞ!(爆)
また、実は違う機会のときに、尾形さんがかつていた住まいの近くにある岳間渓谷に行ってきて、美しい写真をバシャバシャ撮ったので、記事に載せようと思っていたのですが、今しがたデータを確認したら、な、ぬぁい!
間違えて削除してしまったみたいです
これはもう一回行くしか・・・!
とても綺麗な場所で、尾形さんが日常的にここで水を汲んでいたりとかしたら羨ましい限りなので、絶対に紹介したいところの一つです!今、一緒に行った友人にデータを持っていないか確認中~~あったら絶対載せます!
あっぶぁ・・・もうGWも終了ですね・・・私もコロナのおかげで熊本に帰れず、もはやリモート帰省みたいな記事でしたが、久々の投稿、いかがでしたでしょうか?これからまた更新は控えめになるかもしれませんが、今後も、HPともどもよろしくお願いします