後輩「でくさんは、どうしてこれまでこの環境でやってこられたんですか」
4月から私にも職場に後輩ができ、「教える」ことが業務に加わりました。その実、私が教えられることは殆どなく、一緒に悩んだり、調べたり、上司に相談する内容を整理するのが実際のところです。初めての後輩、かわいい後輩。ここまで構うと後々環境が変わった時につらくなるかもしれないなと思いながらも、部署異動になる前に業務を身につけてしまえば環境が変わっても仕事そのものはできるので、優しい環境にいるうちにバンバン上司に質問し、諸々の疑問を解消して業務をスムーズに身につける手助けになればと結局は多分甘々です。ただ、優しい環境というのは私の捉え方であり、後輩にとってはまた違うようで・・・
本当にこまごまとしたことを要求してくるんですよ、上は。業務のことだから詳しく言えないけれど。その点では群を抜いて厳しい環境であることは間違いなく、他部署の職員には理解されないある種孤独な環境であるともいえます。その厳しさは、部署異動が頻繁なこの会社において、それに慣れた10年選手の先輩も閉口したり、ボロが出て後輩の視線が気になったりと誰もが息苦しい職場だと思います。
仕事とは本来そういうものだという理屈はいったんおいて、「この部署は他と比べて厳しいのか」という後輩の問いには、逆に「厳しい」という答えになります。
私もそうだったのですが、新人の頃は目の前の仕事がつらすぎて、他はどうなのか、異動すれば希望が見えるのかを知りたくなります。私のいる職場は私以外職員が総入れ替えしており、それに伴い体制も引っくり返っている状態のため変わらないのは場所が岐阜であるということだけです。ほぼほぼ異動しているようなもんなので、以前の状況はどうだったのか、とてもよく訊かれます。
あと、私の職場は下積み期間が長いので、私も下っ端の扱いです。同じ下っ端でまだまだ俗っぽさが残る私には業務以外の質問もしやすいのだそうです。
後輩はとても感情豊かで、本人には失礼ですが見ていて面白いです。特に、怒っているのは痛快なほどで、
「前と言ってること違うじゃん!矛盾してるし!辻褄が合わないし!」
「先輩のミスを押しつけられた!いくら先輩の方が失うものが大きいからってえええええ」
「私はいつ現場に出してもらえるんですか!?他の部署の人たちは雑用ももちろんするけど経験もさせてもらえるって聞きました!なんでうちは!?」
という、たぶん世の常だなという不満から、
「この職場は本当に上からの情報が下りてこないですよね!会議の有無も、当日の状況を察してこちらから確認しに行かないとわからない!」
私「私より上の先輩方までには情報が下りているみたいだよ。しかし、会議の中止も直前になって知る立場なのに、先輩方の予定を聞いて会議の日時を調整することもしない、そんな受身の姿勢はダメだよと言われてもねぇ・・・ま、理不尽さはいつものことだけど」
「なんで!?変更するんだったら変更する側が伝達するのが筋じゃないですか!?それは確実におかしいですよ!」
私「・・・おかしいことなの?」
「おかしいことですよ!私たちだって職員なんだから言ってもらえるのが普通ですよ!?」
私「職・・・員・・・・・・?」
と、なんだか目の覚めるようなことを言われるようなこともありました。
(私は積年の日勤教育(笑)で少しおかしくなっているところがあり、家畜みたいな感覚を覚えることはあっても職員の一員であると感じることはありませんでした)
以前の仕事も現在と真逆の方向で大概ゆがんでいましたが、今回といい、ちょうどいいタイミングでまともな人(というか染まっていない人)がいろいろと疑問を呈していろんな視点を見せてくれるので、感覚が引き戻されるのですよね。そういう人とタイミングが運良く巡ってくるから、やっていけてるんじゃないですかね。
あとは岐阜のカフェが美味しいから?私の場合、誰がという特定の人がいるわけではないように思います。違う世界にいる人たちがそれぞれ判断材料を提供してくれるので、大体のことは思い詰めるまでもないんですよね。
今の環境が優しいというのは、以前と比べて・・・であったり、私の目から見た後輩の立場が・・・であったりしますが、不満はもちろんものすごくあって、
・出勤時間や昼休憩の過ごし方まで指導が入る(私、同期の中でも類稀な入社以来無遅刻無欠勤なんですけど!?)
・自分が使わないポットの用意を毎日しなければならない意味が分からない
・ミスを押しつけられるどころか先輩に相談すると間違ったことを教えられてミスの上塗りをさせられ、私のミスとして露呈する
→それが恐ろしくて直属でない更に上の上司に相談すると、その更に上の偉い人から「自分の立場をわきまえろ」と怒られ、先輩が理由であることは理由にならない
・マニュアルや見本がない状況で行わねばならないことが非常に多い。むしろ、業務をしながらマニュアルを作る。そのため、できないことを咎められたりチェックを常に受ける状況である。後輩の方が見本あり→マニュアル作りなし→上司のチェックなしという状況であるため実は早く現場に出られている
等々、もはや上の上の人たちもアレなので希望が持てないことです。言語化するとものすごくストレスになるため、考えないようにしていたのですが、おかしいのは何も私ばかりではないといえそうなので、“ストレス”として発散してしまおうかと。それまでは、「それはそういうものであってそう思わない私は社会というものを理解していないのかもしれない」と真面目に捉えていました。
・・・そういえば、一度、やはりどうしても私の社員教育が偏っている気がすると本社に申し出たことがありますが、その際の回答が「会社への貢献度、実績の年数として、君と上司、どちらの言うことを信じられると思うかな?」でした。この言葉を聞いた時くらいかな、すごくね、人の言葉を余裕もって聞くことができるようになったんですよ。
後輩からは「一人の環境でどうしてこれまでやってこられたんですか」とも訊かれたのですけど、自分が普通でないという視点に立って事を行なうと、大抵は結構やっていけます。ただ、自分で決めることがとても恐ろしくなるけどね。
多分、そこから染めていくことが始まるのでしょうね。
薬のお世話になることになった友人が、服用までの経緯を喜々として語ってくれて、「今まで見えていなかった病んでいくまでの過程やメカニズム的なものを追うことができて、楽しい」と言っていたのを思い出しました。確かに。人が染まっていく過程もこういう感じなんでしょうね。
・・・ただ、社会がどうなのかはもうどうでもよくて、総合的に考えると「貢献数も実績数も少ない」私が「ミスをしたり押しつけられたりする」と、首を切られる対象になることは間違いないことだと思うので、のうのうとしてはいられないなと思いました。
P.S. 今になって何故こちらのブログにこの記事を載せたくなったのかなと不思議だったのですけれど、誰でもいいから伝えたかったのだと思います。お目汚し失礼しました。