岐阜人攻略書 | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

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ふふっ、風流にござるろう??

清酒「女城主」の色が清らかすぎて私の清らかでない真実を映し込むのを隠そうとしても隠しきれなかったが・・・まぁ気にしないで欲しい・・・

 

 

都道府県における面積の広さランキング第7位にして、可住地面積の割合ランキングが第45位にまで下がる岐阜県。県の西側と東側(「東濃(とうのう)」地域)を行き来するのに尾張名古屋を経由する必要があるというとことん山に翻弄された面妖な県であります。私はどちらかというと県の西側を住まいとしておるのですが、東濃地域(多治見・土岐・恵那・中津川)に行くことは割合あり、先日も恵那市(えなし)に行って



こんなものを見てきました(明治期~大正期に使われていた水車だそうです。直径24mの超巨大なもの)。

 

 

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(阿木川ダム)

 
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(上2枚「岐阜のマチュピチュ」(岐阜の自称笑)・岩村城跡。森 蘭丸が城主だった頃もあるようです。城としては明治維新まで機能しました)
 
恵那市は自然と歴史の両面において見応えのある地でありまするが(美濃市と同じように岩村町(旧岩村藩)に国の重要伝統的建造物保存地区があります)、幕末でいうと佐藤 一斎(さとう・いっさい、1772~1859)という人がこの旧岩村藩の藩士だったそうです。一斎は昌平黌で教鞭を執った著名な儒学者で、佐久間 象山・渡辺 崋山・大橋 訥庵・そして我らが横井 小楠ちゃんが彼の弟子にあたるのだそうです。ついでに、宮部 鼎蔵さんと同じ御船町出身に松崎 慊堂(まつざき・こうどう、1771~1844)という人がおるのですが、この人と一斎先生は同門の友人であると同時に二人並んで「大儒」といわれていたのだとか。
 
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重要伝統的建造物保存地区である岩村本通りを歩くと、一斎先生の著書「言志四録」の言葉が建物の一軒一軒にありました。そのうちの一つ、たまたま目に入ったものをパシャリ。

 

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「史を読む者は 須(すべか)らく形迹(けいせき)に就きて 以て情熱を討(たず)ね出すを要すべし」(「情熱」は恐らく「情実」の誤り)

(訳:歴史を読む者は、表面上の形跡から情実(=真実)を探し出さねばならない)

 

 

恵那は食べ物も美味しいようで、1番上の写真の真実を映す清酒は恵那の醸造会社さんのもので、隣の和菓子は恵那および中津川の名物栗きんとんを用いた水まんじゅうです。思わず買って、しばらく眺めておりました。

 

 

 

さて。

 

 

 

岐阜へ移住して早1年。神奈川では横浜さんが大都会だったこともあって神奈川の人がどんなもんかさしたるまとめもできずに去りましたが、岐阜は地方なので早くもいろいろな特徴が見えてきています。今回は、私が関わった岐阜のひとびとについて独断と偏見のつぶやきをしようと思います。岐阜の人、怒らないで・・・・・・(爆)

 

 

まず、話が長い。

私が岐阜に越してきてからほぼほぼ変わっていない印象です。

「で?」と聞き返したくなることも割とあります。

つらつら周辺のことや事実についてめんめんと語り、つまりは何を言いたいのか、着地点はどこなのか、話の核はどれなのかはっきり見えないことが多いです。

その割にこちらが真意を掴み損ねると急に攻撃的になられたりして「私はあなたのためにこんなに時間を使ってここまで腹を割って話をしたのに!ぷん!」とされるので、「こっちの時間だって有限なのに一方的に幻滅されて終わりかよ!どこが腹割ってんだよ!腹筋のことか!?ぷん!」と言い返したくなる時もあります。

 

このように、岐阜人に対する第一印象は実はそれほど良かったわけではなく、会話してもウィットはあまりなく(話に乗ってこず)、接客もこれはまぁ当然かもしれませんが関東と比べると愛想もないし、周囲の客の様子をあまり見ていない(店員を呼んでも気づいてもらえないことが多い)、そんな感じです。

 

岐阜に来た当初はよくわからない訴えによる苦情の対応ばかりしていたこともあり、イライラはMAX、ねこは懐かないし、「私は神奈川からはるばる縁もゆかりもない地域の人たちのはけ口になりに来たのか?解せん!この地域の人たちの役に立ちたいと思えん!」と結構すさんでおりました。「岐阜 県民性」でネット検索してはため息をついたり(あんまり好評価がない笑)、他県の知り合いより各地での状況を収集しては「これは岐阜特有なのか・・・めんどくさ・・・」と、話が長いに加えてめんどくさいというオプションが私の中でつきました。

 

 

その「めんどくさい」がだんだんクセになってきたのがねこが初めて自分からすり寄ってきた頃、岐阜に来て半年くらいのことで、私はもともと外食好きなので外食文化のある岐阜に来たのはその点運命のような感じで、足繁く喫茶店に通っておりまして、個人経営のお店が多いのでよく顔を覚えてもらえます。とはいえ私も自分から話しかけるタイプではないので、淡々と食べて、しばらくぼーっとして、ただ帰るだけなんですけど、それを何回もいろんなお店で繰り返しているうちに、だんだんと店員さんとの距離が縮まっていきました。「お客さん、いつもこちらを注文されますけど、こちらの素材をこれに変えるとどう思います?」と聞かれることもあったり。はは~ん、岐阜の人や岐阜のねこを攻略するのにとにかく大切なのは回数と時間だということが掴めてきました。

 

何を言いたいのかよくわからない話も、何度も何度も粘り強く聞いているうちに「それがおぬしの本心か」というのをようやくポロリと出してくれることがわかってきましたし、本当にただただ話を聞いて欲しいだけの人でこちらがきちんと話を聞いているのか試している場合もありますし、それが岐阜人の駆け引きの仕方なのねと感じる部分も出てきました。そういや岐阜(特に美濃地方)の「輪中根性」って聞いたことがある。よそ者への警戒心が非常に強くて、「輪中(わじゅう)」(懐)に入ると人情味に溢れる、岐阜の県民性を表す言葉です。加えて中途半端に距離の近い京都の影響を受けていることもあって、なかなか本心を表さない遠回しな部分が複雑に絡み合っているようです。めんどくさ・・・

 

でも、こちらも岐阜人をどうしてやろうかという邪心があるわけでもありませんし、回数を重ねれば重ねるほど会話のレパートリーが増えていって楽しいです。

 

ついつい「で?」「何がして欲しいの?」「結論は?」と要点を端的に求めてしまいがちな昨今ですが、岐阜側の視点で考えると「要点?はっ、何が重要か、自分の胸に手を当てて考えてみな!」ということかもしれません。岐阜では自転車も傘も盗まれません。我々が何者であるのか、そんな若干戦国時代の名残がある身の潔白の証明が、岐阜の地においては最も重要なのかもしれません。

 

 

相変わらず毎日のように喫茶店巡りしている現在ですが、最近では「新作のデザートの味見してみます?」「今日は特別です」とデザートをサービスしてもらえたり、「旅行に行ってきました!」とおみやげをもらったりしていて、私もそろそろお返ししないとなぁと思っているところです。地方の個人経営のお店の良さだなぁと思っています。

 

 

と、いうわけで、私が分析した結果をまとめてみると

 

①岐阜人は基本話が長い

②岐阜人は基本めんどくさい

③岐阜人に時間と手間を惜しむな

④岐阜人の前では常に潔白でいろ

⑤嫌気がさしたらとりあえず、戦国のしきたりと思え

 

 

総合すると、偶然にもこういった結論になりそうです。

 

「須らく形迹に就きて 以て情実を討ね出すを要すべし」

 

(岐阜人に限らず)人の真意も会話の表面をなぞってるだけではわからないということですね。それはま、わかるけど。。。

 

 

岐阜は今日も今日とて平和ですが、平和なのはその分、戦国乱世の頃を本能が忘れていないからなのかもしれないなと思いましたまる。