ふしめ | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

こんにちは。
宮崎を熊本の隣県と油断し、当日高速バスに飛び乗りする気でいたら、要予約であった上に満席で、しかも鉄道で行くにはいったん鹿児島に出て北上するしかなく、片道5時間で1万円かかるという陸の孤島っぷりに絶句したでうくです。岐阜に行くのと所要時間が変わらないんですけど。
熊本は連日うだるような暑さで、昼間は何もする気が起きません。


今回は福岡・熊本・宮崎縦断を計画していて(宮崎は前述した通り頓挫しましたが・・・)、

松村・永鳥兄弟の信仰する太宰府天満宮で大雨に見舞われ、境内が停電したり、

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※ 復旧した後

門司港で焼きカレーを食べようとしたらロバート秋山に遭遇したり、

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※ 秋山の父が経営する海上レストラン

何かと心臓に悪い旅でした。



しかし、もっと心臓に悪いのが熊本の実家に帰ってからで、

母「やっぱり我が家もいろいろあった。これから親族
と話し合うつもりだから、岐阜にいられなくなったらごめんね?」

と、まさかの宣告を受けました。うん、地震もあったし、岐阜を撤退することは視野に入れてたけどさ、福岡で遊んでいる場合じゃなかったよね、私?←



地震の影響はというと、実家の近所にある店が一気に3店舗(物理的にも商業的にも)潰れたり、最も震度の大きかった益城町では「これでも回復した方なのか・・・」というくらいひしゃげた建物が未だに多かったですが、そちらに気を取られていると地面にトラップ張ってあります。
地割れや地殻変動が起こっているので、以前は平面だった道なのが、段差ができていたり坂道になっていたりするのですよね。歩きだとつまずき程度で済みますけど、自転車だと転びそうになったり自動車だとガクッときたりするので要注意でした。


余震は、毎日どこかしらで起きているような感じで速報の出ない日がないですが、殆どが震度1で、私が体感したのは震度2の時の1回くらいですかね。「コレ絶対震度3はあるでしょ」って思いましたが震度2の扱いで、「なんで!?こんなにテレビが揺れてんのに!」とテレビに向かってキレてました。神奈川に住んでいた時も「ちょっと待って!コレ絶対震度4はあるでしょ!」と思った余震が速報にすら載らなくて、「おのれ!辺境の地カワサキ!」呪い、大地震を受けた地域は今でも地震計が壊れていると勝手に思っています。てか、これまで5年間密かに思ってたけど、横浜以外神奈川のイメージ違くない神奈川!?(爆
登戸の辺境具合と津久井の異境具合を私は忘れない・・・・・・

 
 
今回の帰郷ではお彼岸系のお話が多くあり、ここ1~2年で周囲がいろいろと変わりそうです。私自身はここ10年くらい「びっくりするほど見た目も中身も変わらない」と言われ続けていますが、10年も経てば私は変わらなくとも周囲が変わることがあるわけで、熊本にずっと残っているのと神奈川・岐阜と居場所を変えてきたのとではどちらが変わらぬ私でいただろうと陥没した実家の洗面所の壁を見ながら哲学的な思いに耽る。変わろうが変わるまいが私自身は別にどうでもよいのだけれども、「変わらない」ということは、人によっては安心感を与えるようだ。


 

熊本県あるあるネタば投稿すっばい!

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別にあるあるネタ言ってないけどな。
 
 
ついでの話で、刀剣乱舞好きのかたには、ぜひともこちらの飲み物を買って頂きたいです。
 
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「蛍丸」サイダー。私は刀剣はさっぱり詳しくないですが、国宝となった刀「蛍丸」が奉納されていたのが阿蘇氏ゆかりの阿蘇神社と伝わっています。
阿蘇神社は熊本地震で国の重要文化財である楼門が全壊し、熊本城とともに熊本人の心の拠り所として優先的に復興させる場所に位置づけられています。

 
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説明書き。サイダーの味はマスカット、1本300円しますが代金の内100円は阿蘇神社の復興資金に充てられます。
 
 
父の代からの我が家の馴染みで、よしくにさんを始めとした細川オールスターズを祀る出水神社はこんな感じになっていますが
 
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※ 参考に2014年の初詣時の出水神社。少なくとも、2016年の初詣までは、このような拝殿と
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ポール(国旗掲揚台)の部分に立派な鳥居があったのじゃ。
(こちらの記事にも出水神社および水前寺成趣園の画像あり)
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自然の神秘か、それとも自然を利用した細川がすごいのか、出水神社の向かいにある水前寺成趣園
 
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見る限りちょー無傷。水位こそ低いものの、一時期あった湧き水が出ない問題いつの間にか解決して、庭園の池に水が戻っていました。熊本はここ数日夕立も降っていない。それでいてこの水位まできた。

熊本の交通網の発達の遅れは、掘ると湧き水が出るので地下鉄が造れないのが原因の一つなのですが、我が家も近所で井戸が発見され、そこに水が湧いていたので今回の震災時にはその水でしのげたという話を親から聞き、捨てる神あれば拾う神あるというか、自然の他に昔の人に助けられたのねと感じました。江戸末期か明治期にタイムスリップしたような心持ち。
熊本被災の歴史を辿ってみると、今回のような大地震は明治22(1889)年以来で、ペリー来航の6年前、つまり宮部さんや彦斎、尾形さんのいた弘化4(1847)年にも大地震があり、今回同様熊本城の石垣が崩壊したのだそう。


完全復興まで、まだまだ時間はかかりそうだけど・・・
 
(以下、最近撮った熊本城の写真)
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頑張るばい!(今回は熊本城おもてなし武将隊の皆さんもご一緒に)
 
 
わたくしの方はさしあたり、明日には岐阜に戻って来てますけどね!(爆