ここ数年、髪のボリュームがなかったので「あらやだ・・・頭薄くなっちゃった?」と思っておりましたが、じめじめした岐阜の梅雨を迎えて髪のボリュームが復活したと同時にぴょんぴょんクセが出始め、スタイリングに苦労するようになりました。どう考えても湿気のせい。
そう考えると、神奈川はやはり湿気は少ない方だったんだな、と思います。梅雨時期も肌がベタベタすることはなかったし、雨が降ったら気温がぐっと下がりますもんね。晴れの日と雨の日の寒暖差が激しかったことが、関東に引っ越した当初とても驚いたことでした。
熊本もなんですが、岐阜は山に囲まれているので雨が降っても気温が下がらないんですよ。なので、ベタベタ、じめじめ、湿気がすごい。私としてはそちらの方が慣れている感覚ですが。
遠くに目をやると山が霧がかって、まるで墨絵のように白と黒の濃淡の景色になります。美しいですよ。
はてさて。。。小説家になろうの方では現在も『義友伝』を連載中ですが、女人がなかなか出ないことを嘆く声がちらちら届きます。わかる・・・執筆中あまりの男臭さに何度か発狂しかけましたが、花燃ゆで女性を出しすぎると碌なことにならないと学んだので、本筋である尊皇攘夷運動と関係のないかたがたにはことごとく欠席していただきました。
それでも、久坂 玄瑞の物語なので辰路さんくらいは出すべきだったかなと後悔中。しかしながら、辰路さんを出したところでどう話を進めればいいのか今でもわかりません。やること確かにやってますが文(ふみ)を出した手前書きにくいのは女性心理としてはあることにはある。
エロスは他で満たしてくれはべろん・・・
むしろ、久坂さんを通して肥後人を書いているので、肥後人に分類される幕末の人の名前は概ね記憶の片隅に置いてすぐに引っ張り出せるようにしています。古閑 富次、緒方 小太郎、その他どマイナーどころもろもろ。
中には経歴や人物像をまるっきり無視し、名前だけ借りて小説に出している人間もいて、上にも書いた緒方 小太郎なんてその最たる例です。これはさすがに・・・と思ったので、(志士、というより神風連の人間なので)物見櫓ではないですがなろうの活動報告の方に史実緒方の素性を書きました。この記事もまた長くなったので、リンクで済ませる。


とはいえ、私も神風連についてそれほど深くは調べていないので、志士紹介のレベルにもなりませんが。
はべろんの趣味にヒットしたら物見櫓の方にも載ることになろう。
そういえば、ほんの少しだけ別れを惜しんだ川崎市からお手紙が来て、「なんね?」と思ったら市民税の取り立てでした。その日は奇しくも給料日、しかも舛添さんの政治とカネの問題が世を賑わせている時期で、その上えねっちけーが家にBSアンテナがついているからとかよくわからん理由で受信料を倍額請求しに来るし、あの時ばかりは「日本しね」と12回唱えた後に「必ず、かの邪智暴虐の政府を倒さねばならぬ」と決意したものです。なるほど、倒幕の志士ってこういう感じで量産されたんか。違うか。
節子、それエロスやない、メロスや、と誰かがツッコんでくれるのをいつまででも待ってる。