終焉を目の前にして | 植民所在地3丁目

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Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

おがっちの物語の終焉を目の前にして、まさかまさかの出来事が起こりました。



尾  形  俊  太  郎  の  素  性  が  明  ら  か  に  な  る



以前載せたブログで私なりの尾形さん像を描き、そのイメージに則ってストーリー作りをしてきたのですが、実際の尾形さんは永倉さんと同い年(入隊当時24, 5歳)なのですね。そして、彼の本名は三嶋 俊太郎というらしいのですが、尾形(緒方)からどういう経緯で三嶋へと姓が変わったのか、ルーツ的なものが気になります(三嶋ってあんまり熊本でポピュラーな姓な気がしないので...(/ω\))



新選組幹部を長らく務めていながら、また、自分の故郷の偉人なのに謎が多すぎる故に殆ど評価されない(出来ない)事を歯がゆく思っていたのですが、物語の終了を前にして尾形さんの素性を知れた事はとても嬉しい事です。

中でも一番嬉しい事は、実に145年もの間消息不明としか言われておらず、生き延びている事や消息が明らかになる事を諦めるしか無いと半ば覚悟を決めながら書いていた中で、無事に熊本に帰り(心の傷や視力など失ったものはあっただろうけど)、故郷熊本で過ごし(嶽間村: 鹿本郡植木町→現・熊本市植木町で私塾を開き)、長生きしてくれた事。大正まで生きた新選組幹部は、永倉 新八と斎藤 一だけで、斎藤さんは年齢が彼らより若かったから享年だけでいくと永倉さんに次いで2番目に長生きした事になる。やはりこれは、地元の人間としてはとても嬉しい事ですよ。

そして今年の6月が、そう、まさに今の時期が尾形さんが亡くなって100年なのだそうです。1913(大正2)年6月、75年の生涯だったそうです。お疲れさまでしたと心から言いたいですね。
それにしても、尾形さんの身の隠し方がプロすぎます。ある意味で山崎さんよりすごいんじゃ(爆
あと、ものすごく達筆ですこの人。さすが文学師範。しかし、農民出身だとして近藤さんのブレーンまで漕ぎつけるって、どれだけ頭が良いんだこの人は。。。

この時期にこの事実が知れるというのも、何かの縁だと思うので、熊本には帰らないまでも、京都で現在尾形さんの漢詩が展示されているので、見に行こうと思っています。京都へのお誘いがちょうど来ているのも何かの縁なのだろう。

そして小説の方もおがっちの出番はあと1回を残すのみに。いろいろな面でお疲れさま。今回の小説は、非常に感慨深いものになりそうです。




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