ケストレルとゴスホーク | AIRPLANE NUT

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ブログタイトルは「ヒコーキきちがい」という意味です。航空ショーや航空博物館を見に行くのが趣味です。

上の画像は英国、ロンドン郊外のRAFミュージアムで撮影したホーカー・フューリー戦闘機です。フューリーは戦間期の英空軍で使用されました。エンジンにはロールスロイスのケストレルが使用されています。ケストレルはのちのマーリン、フューリーはハリケーンへと続く、どちらも英国航空界にとってはマイルストーン的なヒコーキとエンジンです。

 

さて、実は今回は前回のスーパーマリン224の続きです。前回もお話しした通りこの224を語るうえで大きなウェイトを占めるのがゴスホーク・エンジンです。ヒコーキに限らず動力を用いて作動する機械において心臓部となるエンジンが重要な役割を果たすことは言うまでもないことです。その選定や出来、不出来は製品の良しあしを決定づけます。224はこのゴスホーク・エンジンのおかげで失敗作に終わったといっても言い過ぎではないと思います。なぜならそのやぼったい形態は大いにゴスホークエンジンゆえに形成されたものだと思うからです。

 

ロールスロイス・ケストレル・エンジン 帝国戦争博物館ダックスフォードで撮影

 

ゴスホーク・エンジンは前述したケストレルから発展したエンジンで、その最大の特徴は蒸気冷却方式を採用したことです。蒸気冷却方式とは、液体が沸騰、気化するときの気化潜熱を機関の冷却に利用する方式です。224の仕様書はF7/30ですのでそれが空軍からメーカーに下達されたのは1930年です。その仕様書の中でこのエンジンの使用が推奨されていたそうなので、仕様書が出された時点でゴスホークの開発にある程度目途がついていたことになります。この1930年はシュナイダートロフィーレースで英国が最終的な勝利を獲得する前の年です。それまでに1927年と29年のレースで英国はスーパーマリンのミッチェル技師が設計した水上機で優勝しました。27年のS5型に使われていたエンジンはネイピア社のライオン・エンジンでしたが、29年のS6型にはより出力の大きなロールスロイスの「R」が搭載されました。この「R」はケストレルを拡大した「バザード」というエンジンをレース用にハイチューンしたものです。

ロールスロイス「R」 ロンドンの科学博物館で撮影

 

これらシュナイダー・レーサー機は蒸気冷却方式のエンジンを搭載していました。エンジン冷却のために気化した冷却水はそのまま外部に放出するわけにはいきませんから機体表面を利用した表面冷却装置を通過させて液体に戻し、再びエンジンの冷却に使われます。我々が家庭などで使うエアコンと原理は同じです。

 

スーパーマリン S6B ロンドンの科学博物館で撮影

 

スーパーマリン/ミッチェルとロールスロイス、そして英空軍はシュナイダーレースを通じて緊密な関係を築き、必然的にその技術を軍事転用できないものか模索したのでしょう。ゴスホークエンジンが形になる目途が立った時点で空軍は仕様書F7/30を下達したのでしょう。

 

では蒸気冷却方式のゴスホークエンジンが224の造形にどう影響したのか、得意の藪にらみで考えてみます。上掲のS6Bのように薄翼のレーサー機を設計したミッチェル技師がなぜあの224の形態に至ったのか。ミッチェル技師はS6Bのことを空飛ぶラジエーターと呼んだそうです。翼とフロートの多くの面積が大出力の「R」エンジンの発する熱量に対応するための冷却に使われたためです。対する224はというと主翼の主桁より前方のみが表面冷却に充てられているらしいです。出力の差を考えてもなんと少ない面積でしょうか。この冷却エリアを確保するためでしょうか、戦闘機の必須の装備、機関銃4丁のうち2丁はいかつい固定脚のなかにしまいこまれました。残り2丁は翼の付け根に搭載されました。どうやって冷却面積を決定したのかは知る由もありませんが高速機に薄翼が有効であることを誰よりも熟知していたであろうミッチェル技師はこれら冷却装置や武装、その他の実用装備を盛り込むために薄翼をあきらめざるをえなかったのではないでしょうか。

 

ミッチェル技師にとっては初めての戦闘機設計だったと思います。その彼に実験的なゴスホークエンジンは重荷だったことでしょう。ではもしオプションとして従来のような冷却器を用いたエンジンが使えたとしたら彼は即座にのちのスピットファイア並みの名機を生み出したでしょうか。私はそうは思いません。おそらく多少薄翼にはなったかもしれませんが224に通常のラジエーターをつけただけの駄作に終わったのではなかろうかと想像します。スーパーマリンはそれまで飛行艇のメーカーだったのです。想像するに表面冷却を熟知し、高速レーサーを作ってきたメーカーに新型エンジンを与えたら何かよさげなものができるかもしれないという実験的な期待しか空軍側にはなかったのではないでしょうか。その証拠に(?)空軍はゴスホーク・エンジンを必須条件とはしておらず、結果的にゴスホークを使わなかったグラディエーターを採用しているのです。はたして経済的に低迷していた当時、そんな不謹慎な理屈が通ったかどうかはわかりませんが。スーパーマリンとしても空軍から予算は出るし、戦闘機試作の経験値を獲得できるわけで損はなかったのでしょう。実際に航空技術が劇的に向上した数年後にミッチェルは名機スピットファイアを生み出したわけですから。もちろん、その間、224での失敗を彼がしっかりと分析、消化したことは間違いないことでしょう。

224の回はやっとおしまいです。支離滅裂で自分でもよくわからなくなりました。次はもっとしっかりやります。おやすみなさい。