チャック・イェーガー | AIRPLANE NUT

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ブログタイトルは「ヒコーキきちがい」という意味です。航空ショーや航空博物館を見に行くのが趣味です。

1947年10月14日、米空軍のテストパイロットだったチャールズ・チャック・イェーガーはベルX-1に乗って音速を超えた最初の人類になりました。今年はその記念すべき年から70周年にあたります。上の写真は米国ワシントンDCにある有名な国立航空宇宙博物館、通称スミソニアンのアトリウムに展示されている実物のX-1、「GLAMOROUS GLENNIS」です。グラマラス・グレニスというのは彼の当時の細君のことで、こういったパーソナルなネーミングが許されたということは彼がX-1計画において確固たるチーフ・テストパイロットだったことを示します。

 

私は2010年に米国ウィスコンシン州オシュコシュで毎年開かれているEAA(試作機協会)主催のAir Venture(エア・ベンチャー)という大会を訪れたのですが、その際チャック・イェーガー氏の講演を拝聴する機会に恵まれました。私はそれほど英語力が高くないので彼のスピーチのすべてを理解したわけではないのですが、彼は欧州でP-51マスタング(この機にもGLAMOROUS GLENNISと命名していました。愛妻家だったのですね。)を飛ばしていたころの話をとても楽しそうに話していました。P-51は飛行できる航続時間がとても永いので爆撃機を護衛して英国まで送り届けた後、引き返して自由な狩りをしていたそうです。ある日、彼の編隊がドイツ空軍の基地を機銃掃射した際に迎撃してきたドイツ機の射撃を彼がかわすとドイツ機の発射した砲弾は自軍の格納庫を爆破してしまったそうです。EAAエアベンチャーは1週間続き、私は彼の講演を何回か聴くことができました。彼が毎回P-51が刺繍されたボールキャップを被っていたことからも彼がいかにP-51で戦った日々を懐かしんでいるかわかるでしょう。

 

講演がひとしきり終わると質疑応答があり、「どうしてX-1のチーフ・テストパイロットに選ばれたと思うか」の質問に対しては「システムやメカニズムに最も精通していたから」と答えていました。自分では言いませんでしたが、伝記によると彼はとても優れたパイロットだったようです。また、私は彼をかなり近くから見ることがあったのですが、年老いているという点を差し引いても彼は米国人としては小柄に見えました。これは私の想像ですが小柄であることはテストパイロットとして適した条件だと思います。機体を小さくできるからです。

 

彼に先んじてマッハ2を達成したスコット・クロスフィールドについてどう思うかと聞かれたとき、彼は意地悪な質問を不快に感じたのか、はじめ何度か聞こえないようなそぶりをしたのですが、質問者がそれでも食い下がったので彼は「私が速度記録をを更新し続けている間に彼は墜落していただけだったよ」と答えていました。ほんとうのことは私は知りません。

 

私は1997年にネバダ州ネリス基地で開催された米空軍50周年記念航空ショーを見に行った際に彼がP-51を飛ばすところを見たことがありますが、このときのように彼のような歴史に名を残す人物の姿を間近で目にし、肉声を聞くことができたことは本当に感激でした。この年、エアベンチャーにはボブ・フーバーやバド・アンダーソンなど、チャックとともに欧州で戦い、また危険なテスト飛行を行った戦友たちも講演や著書へのサインを行っていました。

 

個人的にイェーガー氏の写真を撮影することは許されましたが、ウェブなどでの公開は禁止されているので残念ながらこの場でお見せすることはできません。彼は今年の音速突破70周年記念式典に参加したようです。歴史に触れたい方はチャンスをみつけてぜひ米国を訪れてみてください。