こんにちは!
ありさです^^
気づけば久しぶりの投稿になりました
もうすぐゴールデンウィークですね。
皆さま予定は決まりましたか⁇
私はお仕事をさせていただいたり、
最近は、お天気も最高なので、
海に入りに行こうと思います^^
今日は「般若心経」についてのお話です。
瞑想やヨガとともに毎朝唱えることが
日課になっているのですが、
経過を通して、
とても穏やかで
深いくつろぎに満たされます。
自分の大切な深いところとつながる感覚も
なんとも言えなず、たまらないく好きなのです^^
あの淡々とした言葉の音がまた落ち着きます。
一語一語の深い意味は分からないでいましたが、教えていただいた「現代語訳で見る般若心経」がわかりやすくて、素晴らしかったのでシェアします。
ご興味のある方はお読みいただけると幸いです^^
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超すげぇ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。
もっと力を抜いて生きるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減なものさ。
安心しろよ。
この世は空しいものだ。痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くものだ。苦を楽に変えることだってできる。
汚れることもありゃ背負い込むことだってある。
だから抱えこんだもん捨てちまうことも出来るんだ。
この世がどれだけいい加減かわかったか?
苦しみとか病とか。そんなもんにこだわるなよ。
見えてるもんにこだわるな。聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ。何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃだめさ。それが「無」ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。辛いものを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。
先のことは誰にも見えねえ。無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えないことを愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってやつだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。でも、明るく生きるのは誰にだってできるんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ。
苦しんで生きる必要なんてない。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクなことにならねえけどな。
適度な恐怖だって生きていくのに役立つもんさ。
勘違いするなよ。非常になれって言ってるんじゃない。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな。
それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ。ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッタになれるんだ。
この般若を覚えとけ。短い言葉だ。意味なんて知らなくていい。細けえことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる。そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。でも、これだけは覚えとけ。
気が向いたら呟いてみろ。心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか。耳かっぽじって聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する』
心配すんな。大丈夫だ。
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以上です。
ここからは私の個人的な見解と感想です^^
見えてるものや、聞こえているものに
こだわると苦しみの原因になりえますね。
私自身も先をどうしても見たくなり
確証を持ち、生きて行きたくなる時もありますが、
見えないことを愉しむという境地はまさに涅槃です。
最後の方の一文にある、
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
心というときに暴れ牛のような、なかなかコントロールできない存在。
だけど神から授かったもの。
そんな心が消えて、魂が静かになり、全てが此処にあって、全てを越えたものである、
その境地はまさに悟りです。
ヨガの目的は「チッタブリッティ二ローダハ」
yogaścittavṛttinirodhaḥ।
ヨガスートラ 1-2
〜心の動きを死滅すること〜
死滅したあと、
そこに残るエッセンスこそ。
本当の自分と言われるものです。
そんな悟りの境地で生きていこうと改めて感じます。
愉しむ菩薩っていうのも可愛くていいですね^^
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございます。
ではでは、また〜