第四弾の今回は、リュ・ヒジンさんを紹介したいと思います!

 

 

リュ・ヒジンさんは平壌で生まれました。比較的裕福な家庭に生まれ、8歳からアスリートを養成する学校に通い、シンクロナイズのナショナルチームに所属していました。ヒジンさんのお姉さんが中国北京にある北朝鮮レストランで4年働いて北朝鮮に帰国した際、メイクやファッションが韓国や中国の女優さんのように変わっていたことに感化されたヒジンさんは、自身も多くの面接を受けに行きました。シンクロナイズの経験が応募基準を満たすのに大いに役立ち、海外労働者として政府によりマルタに派遣されました。ヒジンさんの上司は、マッサージ店やスポーツジムなど様々なビジネスへの志を持っており、シンクロナイズをしていたヒジンさんが選ばれたのも、スポーツジムの運営に役に立つと考えられたようです。


 

マルタでの生活は非常に楽しいもので、インターネットも存分に使用でき、北朝鮮人もあまりいなかったため、制約が少ない中でかなり自由に過ごせたようです。しかし、監視も少ない中、次第に週に一回の自己批判セッションにも参加しなくなり、北朝鮮の洗脳から距離を置き始めました。マルタでの4年の中で北朝鮮人としてのアイデンティティが次第に崩れていく半面、両親が北朝鮮にいて、少しの愛国心のようなものも残っていたため、自分自身を追い込んで北朝鮮への気持ちを強く持ち続けました。

 

 

そんな中、一連の行動で北朝鮮の警備担当がヒジンさんを疑い始め、北朝鮮への送還が迫り、ヒジンさんに脱北を決意させました。マルタからイタリア、オーストラリアドイツへ渡り、在ドイツ韓国大使館へ逃げ込み、亡命しました。

 

 

北朝鮮での生活体験談として、北朝鮮では韓国を批判するテレビ番組が多いため韓国が貧しい国だと思っていましたが、小学生の頃に韓国ドラマの天国の階段を鑑賞し、いかに韓国が恵まれているか知ることになりました。そして、中学の頃には学校の先生が説明する韓国の姿は全て噓だと気づき始めました。他にも、友人と友人宅に集まって、監視が来ないようにドアの前で交代で見張りをしながら、小さな音量で韓国ドラマを鑑賞していたそうです。海外にて、インターネットで金正恩の名前を検索するだけで様々な情報を知ることができたことに非常に驚いたとも語っています。

 

 

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