第三弾の今回はジ・ミョンヒさんをご紹介したいと思います。
ミョンヒさんは前回のイ・ミヨンさんと同様に中国との国境境にある両江道に8人兄弟の末っ子として生まれました。
高校卒業、軍服務を終えてたのちに結婚し二人の息子を授かりました。
しかし、1996年旦那さんが病気によりなくなってしまい、
一人で小学校低学年であった二人の息子を育てることになりました。
経済的に生活が苦しかったため、
中国から商品を密輸にし販売・取引することによって生計をたてていました。
しかし、これは違法行為であったため、軍の強制労働施設に計五回送還されてしまい、合計6ヵ月服務をしたそうです。
またその後、北朝鮮政府により貯めていたお金を徴収されてしまいました。
(北朝鮮では税制度がないため、強制的にお金を徴収するそうです)
ミョンヒさんは米470キロ買えるほどのお金を貯めていたそうですが徴収により69キロ分に減ってしまったそうです。
このような出来事や生活の苦しさが重なり、2010年脱北を決意しました。
まず一人で脱北をし、準備が整ったのちに息子たちを脱北させようと決め、息子たちに「お母さんが必ず迎えに来るから」と約束し、生活できる分のお金を渡し、中国へと渡りました。
しかし10月に中国に脱北ししばらくの間、
息子たちのために準備をしていると中国在住の朝鮮族の人に密告されてしまい、
中国の国家安全保障委員会につかまってしまいました。その後中国人の受刑者とともに牢獄へ連れていかれましたが、
ミョンヒさんは北朝鮮人という理由で独房室に入れられました。
食事もトウモロコシパン一個やトウモロコシ飯といった粗末なもので
中国人の受刑者とは違う扱いを受け、
牢獄の監視員の洗濯など雑用をさせられ、人として扱われなかったと語っています。
一か月後、北朝鮮への強制送還のため別の施設に送られました。
そこはよりひどく、施設の軍人同士が喧嘩をしたり、
排出物を捨てられる日が一か月に一回のみなど悪臭に満ちており人が住む場所ではなかったそうです。
ご飯も軍人の残り物で量も少なく、体調不良でも対処してもらえず、
さらに泣いているものがいると「うるさい」と拷問されたそうです。
3か月後北朝鮮の両江道にある強制収容所に強制送還されました。
この強制送還(強制北送、강제북송)という4文字が脱北者にとってどれほど怖いのか、
外部の人たちが想像するのは難しいと語っていました。
強制収容所では拷問を受け、体中がパンのように膨らんでしまい、
今でもアザや痛みなどの後遺症に悩まされているそうです。
自分に拷問をしてきた人たちの顔は人間には見えず、
今でもフラッシュバックしてしまい、トラウマもあるそうです。
「脱北するつもりではなく、中国でお金を稼ぐつもりだった」と何度も説得し、
収容から50日後釈放され、その後再び中国へと脱北し、2016年韓国に入国を果たしました。
2019年再び中国と北朝鮮の国境付近に行き、
息子たちにも脱北させ、現在は3人で幸せに暮らしているそうです。
「脱北に成功するものはほんの一部で成功できなかったものは今も拷問にあっている。
そのような人たちの代わりに国際社会に北朝鮮の現実と
中国政府による本国強制送還について知らせる責任が私にはある。
中国政府は今すぐこのような非人道的なことをやめるべきだ。」と語ってくれました。

