第二弾の今回はイ・ミヨンさんです。

 

 

PSCOREで脱北者として数多くの貴重な証言を提供してくださっています。

北朝鮮北部にある両江道(リャンガンどう)で生まれたミヨンさんですが、

生後9か月のころ、ポリオウイルスに感染してしまい、両脚が不自由になってしまいました。

※ポリオとは急性灰白髄炎または脊髄性小児麻痺と呼ばれており、5歳以下の子どもが感染しやすい病気で、手足の筋肉等に麻痺を起こしてしまいます。日本ではワクチンが普及しているため1980年以降症例はないそうです。

 

両脚が不自由であったため、生まれてからほとんど家で過ごしていたそうです。

6、7歳になり小学校に入学するはずでしたが、北朝鮮では障害がある子どもは学校に行かないのが普通であったため、ミヨンさんはそれが自分の運命で、どうしようもできないと受け入れていたそうです。

しかし、9歳の時とある先生に出会い、学校に通うことを勧められて通うことになったそうですが、ミヨンさんのお母さんが1時間かけておんぶして学校まで送ってくれたそうです。

 

※北朝鮮に障碍者の学校はあるにはあるがエリートなど特権階級の子どものみが通うことができ、

経済的に苦しい家庭は飢えさせて殺してしまうという話も聞いたことがあったそうです。

 

高校卒業後、ミヨンさんは大学入学のために勉強をしたが、「大学は障害のある人はいけない」と教師に言われてしまい、高校を卒業してから家にいる日々が続いたそうです。

そもそも北朝鮮では道が整備されていなく、エレベーターなどもないため外に出ることができず、外に出ても「障害」という概念に慣れていない北朝鮮の人々の視線が怖かったと語っています。

 

また軽労働という体に不自由のある人々が働けるところがあると聞いたことがあったそうですが、一日5時間働き、給料などはもらえず、いわゆる強制労働の一種だったそうです。

北朝鮮ではある意味「学校に行かなくてもいい」「働かなくてもいい」というのが体に不自由がある人の特権のようであると語っていました。

 

ミヨンさんは自分にできることを考え、家にいる間独学で裁縫を学び、その才能を開花させて有名になったそうです。そして現在の旦那さんと出会い、結婚をし娘が生まれたそうです。

そんなミヨンさんですが、一番つらかったことは自分が差別されることではなく、自分の娘を名前ではなく、「병신(ピョンシン)の娘」と呼ばれるのが一番つらかったそうです。

 

※병신(ピョンシン)とは「障がい者」という意味ですが、差別的な意味を含んでいる表現です。

 

その後ミヨンさんは旦那さんと娘と3人で脱北を支援するブローカーを通じて中国に行き、電車やバスに乗りその後ベトナム、ラオスの難民キャンプに渡り、最終的にタイの韓国大使館に向かい、2018年韓国に入国を果たしました。

脱北をしている間、旦那さんがミヨンさんをずっとおんぶしてくれていたそうです。

 

韓国での生活は夢のようだとミヨンさんは語っていました。

大学に通うこともでき、車を運転して自由に出かけることができ、仕事もできる。このような当たり前のことが北朝鮮では想像すらできなかったとも語っていました。

 

また北朝鮮の体が不自由な人々の厳しい現実を世界が注目し、彼らが自由に選択でき笑顔で暮らせる、または彼らの両親がたとえ障害があったとしても自分の子どもに自信を持てるようになったらうれしいと最後におっしゃっていました。

 

ミヨンさんの北朝鮮での生活の体験談はYouTubeの動画でご覧になることができます!

詳しく知りたい方は下記のURLからアクセスしてください。

(英語と韓国語バージョンのみですアセアセ

 

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