マイケルが死亡してから早くも10年が経過しました。

 

生誕61周年を迎える今、”彼の業績を称える動き”が活発化する一方で、


性的虐待疑惑や麻酔薬を過剰摂取した上での異常死などの

負の情報を拡散する動き”も同時に活発化しています。

 

多くの人々の目には、二つの動きが対立しているように見えることでしょう。

 

しかし、実際には、どちらも、邪悪な支配者が拡散したい情報なのです。

 

何故、そう言えるのか....?

 

 

第一に、支配者が流したくない情報が拡散されることはあり得ません。

 

第二に、MJは、彼の業績が称えられることを望んでいたのではなかったからです。

 

確かに、彼は、表向きにはそれを望んでいるように振舞ってきました。

 

しかし、THIS IS ITショーのクライマックスに演奏されるはずだった

Beat Itのエンディングは、MJのキャリアを象徴する赤いジャケットを燃やす

という演出になっていたのです。

 

この演出は何を意味していたのでしょうか?

 

 

 

彼の死....、いや、むしろ彼の生き方に関する真実について、.....

たとえどんなに受け入れ難い事実が含まれていたとしても、

 

見せかけではない正真正銘の真実を知りたいと思われる方のため、

 

また、彼の生き方を通して、この闇の世の裏側にある真実を知り、

今、何をするべきなのかを見極めたいと思われる方のために....。

 

 

今日は、MJ麻酔薬死亡事件の真相解明の鍵となる人物たちの

当時の動きにスポットを当ててみることにします。

 

 

━-━-━-━-━-━-━-━-

 

 

隠されてきたジャクソン一家の逆行する動き

 

 

マイケルが生涯深く愛し、最も信頼していた人物として知られているのは

彼の母であるキャサリン・ジャクソンです。

 

マイケルの死の直後、彼女は、「THIS IS IT」のスポンサーになっていた

プロモーターAEGを相手に不法死亡訴訟を起こしました。

 

 

彼女によれば、マイケルが亡くなるまでの数ヶ月間、彼は、

混乱し、怯えやすく、記憶が困難であり、強迫観念にかられ、

見当識を失っていた(見当識障害であった)。」ということでした。

 

彼は記憶障害で、食欲がなく、脱水症状で、エネルギーもない状態で、

夏のショウのリハなのに寒くて震えていた。」と証言したのです。

 

http://mjlap.blog100.fc2.com/blog-entry-169.html

http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-1496.html

 

 

明白な”健康不良状態”を把握していながらリハーサルを強行しようとした

AEGに責任があるとして、400億ドル(約3兆8000億円)の損害賠償を

求めて起こした民事裁判でした。(判決はキャサリン側の敗訴)

 

 

ジャクソン一家全員が、”当時のマイケルが50回公演をこなすのは

到底無理な健康不良状態”で、

 

彼は、”50回公演の契約を理解すら出来ていなかった”にも関わらず、

AEGがリハーサルを強行してしまったため、

身体的にも精神的にも追い詰められてしまった、と主張しました。

 

 

しかし、生前のマイケルの”著しい体調不良”に関するキャサリンとファミリー

による説明は、当時の彼らの動きと比較すると、甚だ矛盾していたと言えるのです。

 

 

何故なら、当時、ジャクソン一家は、マイケルを含めたフルメンバーで、

ジャクソン5再結成コンサートを開催すると

再三、メディアを通してアナウンスしていたからです。

 

当時のジャクソン一家の動きを再確認してみます。

 

以下は、当時のニュースの一部です。

 

 

    ─━─━─━─━─━─━─

 

08年10月29日(死亡事件より8か月前)

http://bmr.jp/news/54507

 

『マイケルの兄ジャーメイン・ジャクソンは豪メディアに、

ジャクソン5を再結成し来年にはツアーを行うことを発表

 

マイケル・ジャクソンを含む全メンバーが集まるとしていた。

この発表に対し、MJもコメントを発表。

 

(MJ)

「私は自分の兄弟達をとても愛しているし、とてもすばらしい経験を共にしてきた。

しかし今回、私は彼らとのレコーディングやツアーに参加する予定はない

 

今はスタジオで新作を作っており、このエキサイティングなプロジェクトを

ファンとコンサートで分かち合えるのを楽しみにしている」としている。』

 

     

 

ジャーメインによるアナウンスから5か月後の09年3月5日

マイケルは、ロンドンのO2アリーナのステージに立ち、

7月に単独でTHIS IS ITショーを開催するとアナウンスしました。

 

 

 

 

   

 

彼の登場時間は短いとはいえ、

それまでに見たことのないエキサイティングな会見でした。

 

一部のファンの掛け声を耳にして、調子を合わせ始めるマイケル。

 

 ”THIS IS IT!THIS IS IT!

  

 

興奮した様子で、

空手のようなエキサイティングな素振り(ダンス?)をして見せる。

 

  

 

 

 

(アナウンスの内容)

このコンサートがTHIS IS ITです。

ロンドンでの僕の最後のショーになります。

 

”THIS IS IT!(これぞお待ちかねのもの!)”と言う時、僕は本気です。

 

だって......... 

 

”だって(何故なら...)”と言ってから、....「エヘヘ」とはにかみ笑いをして

下を向き、もったいつける仕草をするマイケル。

 

O2アリーナ会見 

 

 

嬉しそうな表情で、「だって.....」の答えをどう表現しようかと考えている様子。

 

  

 

手を胸に当て....、もう一方の手も胸に当てて、

 

 

 

次に、両手を広げてみせた。

 

  

 

言葉では語れない気持ちを「仕草」で表現したと思われる。

 

       嬉しそう。

 

 

(アナウンスのつづき)

......ファンの皆が聴きたい曲を歌うよ。

皆さんを心の底から愛しています。本当だよ。

これが最後のカーテンコールになります。

 

....THIS IS IT!(お待ちかね!これこそがそれだ!)

 7月に会いましょう。」

 

 

 

彼にしてはとても珍しい、ファイティングポーズ。

 

 

   しかも、挑発的....

 

 

 自信に満ち溢れていた。

 

 

 ━-━-━-━-━-━-━-

 

 

 

以下は、MJのエキサイティングなアナウンス以降の

ジャクソン一家の主な動きに関する時系列です。

 

 

O2アナウンスから2か月後の5月12日の報道 (「MJ全記録」463Pより)

 

ジャクソン5再結成のプロモーターであるオールグッドエンターテインメントが

THIS IS ITコンサートのプロモーターであるAEGに停止命令の書簡を送る。

 

その主張によると、フランク・ディレオがマイケルのマネージャーとして

働いていた08年に、マイケルはジャネットを含む家族の他のメンバーと

一緒にジャクソンファミリー再結成ショーへの出演を約束する契約

交わしたという。

 

そのショーまでの間に他のいかなるコンサート契約も交わすことを

禁じられているとされる。』

 

http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-808.html

 

 

以下の記事は、ジャクソン一家が、マイケルが死亡する直前まで

ジャクソン5再結成ショーにマイケルを参加させるためにあらゆる手を尽くし、

THIS IS ITを妨害し続けたことを示す貴重な記録(時系列)です。

 

マイケルが死亡する直前までのジャクソン一家の逆行する二つの動きの時系列

  1.と. 英文元記事

 

 

記事の時系列から一部を抜粋します。

 

 

09年3月26日
ジョー・ジャクソンとレオナルド・ロウが、マイケル・ジャクソンの

THIS IS ITショーを引き継ごうとしていることをロジャーフリードマンに

知らせるために、(ジョーが)電話をかけた。
 
「3月26日、ジョージャクソンさんご自身が、

わたし(=ロジャーフリードマン)に電話をかけてきました。

O2アリーナで行われると発表されたコンサートを引継ぎたいと
言っておられました。

なぜなら、自分(ジョー)と彼のパートナーのレオナルド・ロウだけが、
コンサートの興行の仕方を知っているからだと。」

それからすぐ、ジョー・ジャクソンとロウは、

もう一人のコンサートプロモーター(オールグッド)と手を組んだ。

そのコンサートプロモーターは、マイケルのAEGライブとの契約を中断

するようにとマイケルに対して訴訟を起こした。

 

 

※ジョー・ジャクソンが、THIS IS ITの主導権を握ろうとしたり、

 契約を破棄させるために訴訟を起こすなどして

 圧力をかけていたことが分かる。


  
4月3日 
過去2年間、ジョー・ジャクソンはマイケルと会っていなかったが、
パリスの誕生日に、レオナルド・ロウと一緒にマイケルに会おうと姿を現す。

 

 

※交渉に応じないなら、子ども達にも問題が起きる可能性があると

 プレッシャーをかけようとしていたと推測できる。



4月14日 
ジョーとロウは、3月25日にロウの弁護士が作成した指示書の

下書きをたずさえてマイケルを訪れた。

マイケルはその文書に署名した。ただし、O2ツアーに関してロウは、

財政面の監督のみを行うとすると変更をし、念を押した。

 



5月15日 

ジャクソン一家がビバリーヒルズ・ホテルで会合。

その後マイケル一家はトムズ・トーイズで買い物。

MOONWALKERさん過去ログより

 

ジョーと家族は、マイケルに(兄弟と)一緒にツァーをしてもらおうと、

まだ努力を続けていた。

ビヴァリーヒルズホテルで秘密の会議があった。

 

 

 当時集まったジャクソン一族の集合写真 5/14撮影

 

 

※写真からすると、近しい親族のほぼ全員が集合したのかもしれない。

 

わざわざこのタイミングで集合していることから、

何としてもマイケル当人を呼び出す口実をつくり、

 

どう決定するかによって「一族の存続や将来が懸かっている」と、

圧力を掛ける意図があったと推測できる。

 

 

皮膚科に立ち寄り、ビバリーヒルズでショッピング 5/15

 

 

殆どノーメイクだったようだ。

 

  

 

 

 

翌日の外出写真と比較すると、家族との会合の日の彼の表情は暗く、

疲弊して見える。

 

 

 

 

(記事のつづき)
そこで(会議で)、マイケルは、はっきりとさせた。
自分は、ジャネットとも、ジャクソン5とも共演はしないと。

 

オールグッドは訴訟を起こすと迫った。

 

 

※マイケルのマネージャーフランク・ディレオが、マイケルのためを思って、

ジャクソン5再結成契約に署名をした、という報道になっていました。


しかし、実際には、それはまずあり得ません。

ディレオは有能なプロのマネージャーであり、マイケルに対して忠実でした。


さらに、BAD期に、ファミリーが交わした同様の空契約「ムーニーズ問題」の

悲惨な結末の一部始終を目の当たりにしてきた人物だからです。

 

ムーニーズ問題とは、

 

マイケルの承諾を得ていないにも関わらず、ジャクソン一家が

韓国のプロモーター(統一教会)とコンサート契約を交わし、

 

プロモーターから数々の高価な贈り物や巨額のギャラを受け取った

虚偽契約の責任に対する賠償請求訴訟のことで、

 

この判決が一因となって、ジャクソン一家は破産したといいます。

 

以降、彼らはクレジットカードを使えず融資を受けることも出来ないため、

「全てを現金で行っている」と言われています。

 

(記事に戻る)

会合で議論されていたジャクソン5再結成企画とは、翌年テキサスの

スタジアムで兄弟、姉妹と一緒に共演するというものでした。

その契約条項の一つに「18か月間は他のコンサート契約を結んではならない」、

というのがありました。


しかし、マイケルは、7月に予定されているロンドンコンサートの

契約に署名していました。


ジャクソン5ショーの興行主オールグッドエンターテイメントは、
ビヴァリーヒルズホテルの1室にマイケル、父親のジョー・ジャクソン、
他にも何人かに集まってもらいました。


ジョーは、家族ツアーをやるべきだと、マイケルを説得しようとしていました。

が、マイケルはてこでも動きませんでした。

会議は、白熱しましたが、誰も、何も、合意に至ることは出来ませんでした。

パトリック・アロッコ氏(オールグッドエンターテイメントの代理人)は、来週、
マイケル・ジャクソンと家族を訴えるつもりだと話しました。



5月20日 マイケルはレオナルド・ロウとジョー・ジャクソンを解雇。

6月25日 マイケル死去

 

 

その後、オールグッドは、ファミリーの責任を問うことなく、

マイケル(代理人のエステート)だけを訴えました。

 

 http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-511.html

 

 

  ━-━-━-━-━-━

 

 

これが、マイケルが死亡するまでのジャクソン一家の動きに関する時系列です。

 

彼らが、マイケルの体調不良を気遣っていた形跡はありませんでした。

 

ジャクソンファミリーが、マイケルの死に大きく関係していたことは明かです。

 

 

キャサリンやファミリーが主張し続けてきたように、

死の直前までマイケルが、

 

混乱し、怯えやすく、記憶障害で、強迫観念があり、見当識障害で、

食欲がなく、脱水症状で、エネルギーもない状態で、

 

しかも、長年に渡る痛みや睡眠障害や薬物問題を抱えていたのであれば、

 

ファミリーが、マイケルの死の直前までジャクソン5再結成ツアーに

加わらせるために、執拗に彼を説得しようとしていた事実との整合性がない

ということになります。

 

THIS IS ITのリハ映像にはっきりと見られるマイケルのパフォーマンス力や

指揮力の高さを考え合わせると、

 

死亡事件の後になって、ファミリーは、マイケルの健康状態に関して

死亡事件との辻褄合わせのために、一致して嘘を語っていたことが分かります。

 

また、上の記事で目立つ動きをしていたのはジョー・ジャクソンでしたが、

主導的立場にあったのはキャサリンであったと思われます。

 

彼女は、マイケルが説得に応じなかった場合に打つ手に関しての

主導的立場に居たと考えられるのです。

 

 

 

  ━-━-━-━-━-━-━-━-━

 

 

さらに、マイケル死亡事件前後の家族の動きを確認します。

 

 

マイケルが死亡する前のジャネットの証言

https://ameblo.jp/psalms83-18/entry-12090373730.html?frm=theme

 

 

08年2月28日 ラリーキングのインタビューに答えたジャネット

 



家族の再結成ツアーに、マイケルも参加してくれるように働きかけている

ことをジャネット・ジャクソンが、ラリーキングに語りました。

ジャネットジャクソンは、彼女がジャクソン5再結成ツアーを避けようと

しているという報道記事を否定しました。

「兄弟たちに、是非、ツアーに出てほしいと願っているのはこの私なのよ。

伝説のバンドのあの人(マイケル)が、ツアーに参加さえしてくれたなら、
家族でツアーに出ることは本当に楽しいでしょうに、と話しています。」

ラリーキングに、彼女はこう言っています。

「みんなとツアーに行きたいです。いつでも、兄弟たちとは電話で話しているの。
私が、ジャクソンズ、ジャクソン5の一番のファンですからね。

ジャクソン5が大規模なツアーをするようにと勧めるカンファレンスコールが
(重要な相談の電話)がいつでもかかってくるんです。

もしツアーがやれるのなら、みんなのために(家族のために)
オープニングアクトをやりたいわ、と話しているのよ。

他の誰のオープンニングアクトもやったことがないの。

自分の一番最初のツアーをやった時、私が主演だったから。
全国ツアーだったのよ。誰の前座もしてこなかったけど、
(兄弟のためにやれるなら)名誉なことになるわ。」


しかし、兄弟のうち、誰がカムバックツアーに遠慮しているのか尋ねられた時、
それはマイケルだという報道を認めずに、はにかんで付け加えました。

「みんな やりたがっているわ。
でも、兄弟の中の一人が日和見的な態度なの。それを尊重しなくちゃ。

ソロキャリアを、彼は一生懸命頑張っているんだもの。

分からない。多分、同意してくれるでしょう。
まだ、彼には、働きかけているところなのよ。」

 

 

  ━-━-━-━-━-━-━-

 

 

マイケル死亡後のジャネットの証言

 

09年11月21日

https://www.cinematoday.jp/news/N0020934

 

『急逝したマイケル・ジャクソンが処方せん薬を乱用していたことを

知っていた家族は、薬物摂取をやめさせようと何度か介入を試みたが、

失敗に終わったとジャネット・ジャクソンが語った。

マイケルの薬物の使用について聞かれたジャネットは、

「愛する人がそういう状態になったときは、ほっとくわけにはいきません。

家族で何度かやめさせようとしましたが、うまくいきませんでした」と。

家族がどんなに説得をしても、マイケルは自分が薬物中毒であることを

認めなかったらしい

マイケルの兄ティトもマイケルを薬から立ち直らせようとしていた

ことを今年初めに明らかにしている

 

 

※彼らは、ジャクソン5ショーに出演させようとマイケルに執拗な圧力を

 かける傍ら、徐々に”薬物依存説”を流していたことになります。

 

 

テイトは、「マイケルは黙認をする人に囲まれていた。人によっては、

他人の健康よりも自分の仕事の方が大事だという人もいる。

家族もそれに直面したよ。僕たちに弟の様子をチェックさせるよりも、

自分たちの給与の方が大切だと考える従業員や警備員もいた」

と語った。』

 

 

10年4月6日 オプラ・ショーで

http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-618.html


『ジャネットは、「家族は彼に問題があるということを知っていた」と明かした。

「私たちは現実から目を背けていたとみんな思ってるけどそうじゃないの。
私たちは何回か忠告したのよ。彼は認めていなかったけど。
彼は自分に問題があるとは思ってなかったのよ」。

マイケルに最後に会ったのは死のおよそ1ヶ月前、

彼女が両親のために開いたパーティーでのことだった。(09/5/14)

「彼はその時とても痩せていたの。みんな彼には問題があるとわかってたわ。
みんなよ」と彼女は言う。

タイラー・ペリー(ジャネットの共演者)はウィンフリーに、

ジャクソン・ファミリーがどれほど懸命にマイケルを助けようとしていたかを

繰り返し言う必要があると思っていると語った。

「すみません、だけど僕はこのことをみんなに知ってもらいたいんだ。
彼らがどれほど試みたか。本当に救おうとしたんだ、家族全員が。


僕は全世界に、彼らがどれほどマイケルを救おうと努力したかを
知ってもらいたいんだよ。」

 

家族は心配していたとジャネットは言う。そして何度か介入したのだという。

そのうちの一度、ジャネットは、

 

「彼に会い、彼が目を背けているという問題があるのを知って」打ちのめされ、

その部屋を去らねばならなかったという。』

 

 

※ジャネットによるこの証言は、09/5/14の家族会議で、

「マイケルはジャネットともジャクソン5とも共演はしないときっぱりと告げた。

彼はてこでも動かなかった。」という報告と合致します。

 

とはいえ、ジャネットが「打ちのめされた」のは、

ただ単に共演を拒否されたことではなく、

マイケルが成し遂げようとしていたこと』に対してであったと思われます。

 

 

 

マイケル死亡後の長女 リビー・ジャクソンによるコメント

 

http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-664.html

 

弟は薬の問題を抱えていました。そしてその問題から目を背けていました」

とリビーは言う。

家族が何度もそれに口出しました。私も何度も加わりました

それはとても悲しいことでしたし、精神的にも苦しいことでした」』

 

 

彼らが、苦々しさを露わにして口を揃えて言うところの『薬の問題』とは、

何を意味していたのでしょうか。

 

マイケルの死因として有名になったのは『麻酔薬プロポフォール』であり、

マイケルは、それを『MILK』と呼んでいたというシナリオでした。

 

これは、ジャクソン一家が否定しなかったシナリオでしたが...?

 

 

━-━-━-━-━-━-━-━-━

 

 

マイケルが死亡する前のジャーメインによるアナウンス

 

先程は08年のアナウンスでしたが、07年にもジャクソン5再結成の

アナウンスが発信されていました。

 

07年11月27日

https://www.afpbb.com/articles/-/2317733

 

【11月27日 AFP】ジャクソン・ファイブが2008年に再結成ツアーを
計画していることを、メンバーのジャーメインが明らかにした。

同日、BBCの番組に出演したジャーメインは、「マイケルも参加する。

ファンやみんなのために、もう一度やらなければならないと思っている

と語った。日程もすでに検討されているという。

ジャーメインによれば、2年前、マイケルが児童に対する性的虐待で

起訴されたことが再結成を遅らせたという。


マイケルの裁判のため、あまりにも多くのことが起こり、立ちはだかる

全ての障害を乗り越えねばならなかった。でもわたしたちは強くなった。

欧州、特に英国でわたしたち家族に対する愛情と支援を示してくれた

すべてのファンに感謝したい。」

 

 

  ━-━-━-━-━-━-━-━-━

 

 

明かに、ジャクソン一家の長年に渡る一貫した執着、強烈な欲望、

マイケルへの執拗な要求は、ジャクソン5再結成ツアーに加わらせることでした。

 

BAD期のムーニーズ問題の頃から全く変わっていなかったのです。

 

したがって、彼等の言うところの「介入」とは、実際には、

薬物問題からマイケルを立ち直らせることではなく、

 

マイケルをジャクソン5に戻らせるために圧力を掛けること

を意味していました。

 

彼等の数々の情け容赦ない執拗な「介入」の事例の最たる例は、

93年と03年の児童性的虐待訴訟、とりわけ05年裁判をねつ造したことです。

 

この悪質極まりない「介入」により、徹底的にマイケルをねじ伏せようとした

と容易に想像できます。

 

ジャクソン一家のメンバーは、”あれだけの目に遭わせてやったのだから、

今度こそ、我々の要求に応じるに違いない”と考えたのでしょう。

 

 

ジャーメインは、「再結成にマイケルも参加する2年前、マイケルが児童に

対する性的虐待で起訴されたことが再結成を遅らせた。と語ることにより、

 

我々の正当な要求に、”マイケルが断固として抵抗し、てこでも応じようとしな

かったために、あれほどのダメージを負わせざるを得なかった。

 

彼の無駄な抵抗のために2年も遅れてしまった。”という意味で

語っていたと推測できます。

 

 

彼らが、これ以降も、ジャクソン5再結成のアナウンスを発信し続けたことから、

明かに、彼ら(ジャクソン一家)の目的は、彼らから離れようとする

マイケルの考え、彼の意志を変えさせることにあったと言えます。

 

 

実際、容赦ない屈辱的攻撃の連続で、05年にはあれほどの仕打ちを

受けてもなお、マイケルの意志が揺らぐことはありませんでした。

 

そして、あらゆる屈辱を耐え忍び、辛抱に辛抱を重ねてきたその先に、

ついに!待ちに待ったTHIS IS ITショーを開催するチャンスを得たのです。

 

 

ジャクソン一家は、暴虐の限りを尽くして説得に説得を重ねても、

マイケルの決意を打ち砕くことに成功しない可能性を想定し、

 

説得するための介入を続けるのと同時に、最後の手段として、

彼を薬物依存者に見立てて殺害する準備を着々と進めていった、

ということになります。

 

兄のティトが、マイケルを薬から立ち直らせようとしていたことを

09年の初めに明らかにしていたというのは、

 

「殺害計画の一環」であったのでしょう。

 

死亡直前に、皮膚科のクライン医師のもとに度々立ち寄らせたことや、

マーレー医師を送り込んだことも然り、(殺害計画の一環)

 

薬物依存者に見せかけた「殺害計画」を見せつけることで、

マイケルを脅迫することも兼ねていたと考えられます。

 

 

到底、敵う筈のない相手(強大な悪魔崇拝者のネットワーク)であるにも

関わらず、マイケルの意志が揺るぎなかったのは何故ですか?

 

THIS IS IT計画を妨害し、マイケルの本当の生き方や人格を歪め続け、

彼の本当の考えや意志を徹底的にかき消して闇に葬り去るために、

 

悪魔崇拝者のネットワークが総動員されたのは何故だったのか?

 

その謎を解き明かすためのヒントとして、ジャクソン一家とその支持者たち

による真相を封印するための悪意に満ちた数々の行動が、

 

皮肉にも、封印したはずの驚くべき真実を浮き彫りにしているのです。

 

 

彼らは、マイケルを、単なる薬物依存者に見せかけるのでは飽き足らず、

激しい憎悪ゆえに、彼を「麻酔薬プロポフォール依存者」に見立てた上で、

 

マイケルがその麻酔薬を「MILK」と呼んでいた、というシナリオにしたからです。

 

そして、死亡事件現場のベッドの上に、

わざわざこのような赤ちゃん人形を置いたからです。

 

 

 

マイケル・ジャクソンの死亡事件現場を演出し、

事件現場写真を撮影してメディアに売ったのは、ジャクソン一家だったのです。