まー、本に書いているのだから、引用してもいいよね。

 

心理学者の岸田秀センセイは、教え子のJDを食って、その心情を詩にされて出版までされました。

”穢れをしらぬをとめごに 乱れて熱きわが心”

というものです。今こんなことをしたら、社会的に抹殺されちゃいそうですが、一昔前の日本はおおらかで、これは詩だしぃ!芸術だしぃ!みたいにとられる余裕が、世の中にあったのでしょう。

 

闇の活動をしていると、をとめごに遭遇することはけっこうあります。

マヨエールはどこか甘いので、そういうをとめごに遭遇すると、活動はいつでもできるから、いまはあせりなさんなとデートしてリリースしてしまったりする。ゲスい欲望はもちろんありますよ。だからリリースのあとで、大宮で🍓狩りをするんですけれどね!

 

をとめごに心を乱される、それは活動をしていても、いなくてもあることでしょう。

幼馴染と再会して燃え上がったまま駅前のラブホに婬したとします。

そこにはかつての溌剌とした同級生の姿はなく、男は銭、ジェニーがあってなんぼよねと、場末の大衆食堂においてある女性週刊誌にかいてあるようなことをつぶやく、生活に疲れ切って口が臭いオンナがいるのです。

くそっ、生活に追われたオンナはだめだ、魂の出会いを求めようと華の会メールに手を出すと、そこにはジェニー大好きな、まるで内親王を手にかけた令和の道鏡の母親みたいな妖怪ばっかり。ひどいものです。

 

JDはいいですよ。穢れを知らないんですもん。

そして、JDが美しいのは、ちょっとすれば、銭ゲバPJとか、したたかな婚活女性になってしまうことです。

日本の美意識というのは、万物はうつろうもの、という前提のもとに出来上がっているとマヨエールは考えます。

 

だから、初物のJDは美しい、心が乱される。

岸田センセイが歌にするのもよくわかります。

そして、この歌がすさまじいのは、岸田センセイは、自分はP活おぢと同じ、取引関係のような世界観でしか女性とつながれなくなってしまったということを赤裸々に語っている点にあるでしょう。

P活おぢどころか、これはグルーミングかもしれない。けれど、そういうゲスい心をそのまま活字にした。

 

闇の界隈から、これに匹敵する詩歌が出てくることを期待しています。

 

おわり