年末になりました。マヨエールは村の聖地の小路をいつもの方角へ。
さまざまなカップルが向かう先には例の・・・・・・
いつものPJといつもの部屋でいつものことをします。
頭足類のように、四肢をからめあって、ぐにゃぐにゃになって、経産婦のようなやわらかい中へIN
つゆを吸ってやわらかくなった天ぷらのような感覚。境界がふわふわになります。
後のせサクサクがJDとしますと、いつものPJはまたちがった味わいです。天ぷらを食べるのではなく、天ぷらの溶け切ったつゆを賞味するかんじ。皮脂の酸化したにおいは、古い揚げ油にも似て、奥からかすかに新鮮なイカのにおいがナマのオンナを主張する。これがまた味わい深い。
初電がうごきはじめました。
全身に余韻をのこしたまま、駅前に。
夜明けの浩然の気を破り、虚空にむかって、なにかが突き立っている!
ああ、なんということでしょう。朝焼けが、東のどぶ運河に光をもたらしているというのに
銀ビカリする禍々しい棒が屹立しているではありませんか!
棒を背中に、少し歩くと最近開店したばかりの店があります。
新星のように登場し、帝都の立食いそば界に衝撃を与え続けているお店です。
げそ天というか、これは「いか天」ですね。
1杯のドスイカをまるごと使っています。そのイカがやわらかくて、そう、あの古PJみたいなんです。
やわらかくて、甘いなあ、そしてちょっとヒネた油、ああ、昨夜を思い出す。
このげそ天、柔らかすぎると文句をつけられることもあるそう。
帝都のげそ天は、ムラサキイカの硬いゲソを刻んだものをかき揚げにしたような、六文そばの系統が有名なので、これはげそ天じゃないという人もいるでしょうね。
でもいい、このPJはこのPJだ。これでいいんです。
追いオキアミ天150円。
南極でとれるオキアミ(冷凍)ではなく、ツノナシオキアミという、岩手沿岸でとれた生のオキアミという。
ああ、岩手、あの新米のにおいで頭の中がいっぱいになります。ほどなくして揚げたてのオキアミ天がくる。
まるで桜えびのような香ばしいかおり、でもそこまで華やかではない。ああ、まさにあの新米のかおりですね。
そして店をあとにしました。
六文そばで天ぷら2つもたべれば胸焼け必至ですが、ここは揚げが上手なのか、さわやかな空気のなかをまた小路のほうへと歩いていったのです。
おわり




