8年続いた、Yさんとのこと。

Yさんとは、身体合わせもあるのだけれど、一緒に過ごすことが、出会ってから5年くらいすぎると多くなった。

 

このときは、秋の十和田湖にいこうということで会いに行ったのだった。

十和田湖への最短のアプローチは、二戸から。青森市からアプローチすると、距離は短く見えるのだが、八甲田をこえないとならず、この時期は奥入瀬渓流の観光バスの渋滞に巻き込まれる可能性が高まるから、標高差のない二戸ルートが最適だ。
 

彼女とレンタカーに乗って十和田湖へ。言葉はあんまりかわさない。
ずっと、手をつないで(オートマ車はこれができる)、あれは栃の木だね、とかそういう話。

十和田湖に近くなって、自分は手に汗が出てきて、何度も手をつなぎなおした。
彼女が昔くれたハンカチで、何回も手をぬぐった。
 

紅葉は、きれいだった。産卵を終えて、ボロボロになった鱒が、そこら中に浮いていた。

観光バスで混雑する奥入瀬を避けて、十和田の街へ。
終電を考えると、すぐそこの酸ヶ湯に入る時間もない。いや、彼女とのこの後がなければ、時間はあるのだけれど。

夕闇がせまり、雨脚が強くなってきた。
「そこ」
4号線沿いを、三戸のほうに走っていく。彼女は、右を指さした。
小屋があつまった「旅荘」がある。今は、このあたりにしかないかもしれない。
無言で自分は、彼女の手を握ったまま、ハンドルを切った。
親によく愛されて育った女性特有の、温かく、安定した手。なかなか希少な手だ。
オートマ車は本当に、こういうとき便利だ。

全国共通の支払い機の音声に歓迎されて部屋にはいった。彼女は「みず」の入ったビニール袋をくれた。
「もう、ほんとうにおわりのみずだけれど。」
「え、みず、大好きだよ、ありがとう。どうしてわかったの?」
「去年、鰺ヶ沢のほうの温泉にいって、みずがおいしかったって、いっていたでしょう?」
自分は、嬉しくてちょっと泣いてしまったかもしれない。
これは彼女が公務員で、芯からマメだからじゃあないのだ。彼女は、本当に情が深い。どうにもならなくなったとき、どれだけ助けてくれたことか。まる一日、手を握っていてくれたこともあった。

 

自分はいつものように、封筒を渡した。彼女は、いつものように、ガソリン代ね、といくらか封筒の中からかえしてきた。

「東京の人はやさしいね。」
そんなことを彼女にいわれたのは、まだ寝台列車が走っていた頃だ。でも、実際にやさしかったのは彼女のほう。その時から、だいぶたってお互いに、よく探せば白髪がみえるようになった。

雨が旅荘の薄い屋根をたたく。
「こんどの彼氏も、ダメ男だ。」(岩手弁がうまく表記できんw)
「またかあ。」
「結局、どこまで許せるかだから。」
彼女は、ピアニッシモのメンソールに火をつけた。
「わたし、本当は、わかいおかあさんになりたかったんだ。」
婚姻色がでて、ボロボロにになった十和田湖の鱒が浮かんだ。でも、彼女の肌はとてもきれい。
「俺、こっちで腰掛け探していいと本気で思うけどな。駆け出しのころは、死ぬ気でやったんだ。ちゃんと、できるさ。」
彼女は、前と同じように、閨房の睦言を笑い飛ばした。北国の女性は、リアリストだ。魚より、人間はもっと気まぐれなのだから。
それに、閨房の睦言は、盛り上がったひとときの感情によるもので証拠にならないと、裁判所だって再三認定している。新司法試験に受かって即独した若い弁護士は知らないかもしれないけれど。

けれど、「みず」をわざわざとってきてくれるひとも、大嫌いな柔軟剤のかおりが、このひとのならいいと思える人も、手をつないだだけで深い情を感じる人もほかにはいない。
多情なのは、悪いことではない。人を愛することを知らないか、情の薄いやつらのやっかみだ。吉行淳之介と許されぬ関係を続けた宮城まり子さんを悪くいうのは、道徳憲兵みたいな、人を愛することを知らない野暮なガマガエルおばさんばっかだろ。

ロブションの本に、「人を愛する心があるなら、冷蔵庫に卵しか入っていなくても、料理をするものだ。」という一節がある。出来合いの惣菜やら、時短レシピやら、そんなものばかり出すやつらは、我々の関係を、きっとふしだらだと誹るのだろう。


彼女は、最終の東京行きがくる時間まで、ずっと誰もいない田舎の駅の待合室で、自分の手を握っていてくれた。

彼女のつくる、かすべの汁は、絶品。決して、国道沿いのチェーン店にいこうとせず、彼女は、ほんとうにおいしいものを知って、料理も上手。
なにより愛情が豊かなのだ。濃い出汁とゆず粉の、あざとい味しかしない東京のキラキラ女子の料理とは大違いだ。

彼女は、八甲田ホテルに泊まって、フルコースでも食べようといってもあまり喜ばない。一緒においしいものを食べて、飲んで、おいしいね、と笑うときに、一番幸せそうな顔をする。
こんな自分に、ちょっと離れた時期はあるにしろ、昔とかわらない愛情をそそいでくれるのに、最終電車を待っている。今すぐに、切符を破り捨てて、彼女のところにいけばいいと、答えは出ているのにね。

自分も、彼女も、明日は別の顔に戻る。この関係が、幸せか不幸か、そんなものは当人たちが決めればいいことだけれど、やはり、最終電車というものが恨めしかった。