もう灯油がいらない夏になっても、封筒の中に灯油手当相当額を入れて、Kさんに渡していた。
Kさんは、中身を確かめることなく、毎回手をあわせて封筒を受け取るのだった。
ほかのPさんはどうしているのだろう。お手当をそのまま渡すというのは、ちょっと生々しいし、封筒にいれるにしても、銀行の封筒だとか、茶封筒では風情がなさすぎる。温泉宿で、女中さんに心付けを渡すときに使うポチ袋もちょっとちがう気がする。
そういうわけで、「お礼」と書かれた封筒を使っている。
ああ、しかしこの媒体はいいなw
もし、封筒の話なんか実名のSNSなんかに書いたら、ズッ友の女流作家に本気で殴られそうだ。(彼女は、女中さん、という言葉にすらキレる。ルームさんとか呼べばいいのか・・・?)作家の美しい手の拳骨は、それはそれは効くw
これは男女の仲だけではないと思うが、親しくなると、自らの生い立ちを話す、ということはよくあるだろう。男同士、女同士でも、親友の生い立ちは、どこかで聞いてきた筈だ。
私はこういう環境で育って、こういう価値観をもっているんですと、明らかにすることで、お互いに親しくなるのだ。
これは万国共通のことだろう。
一言でいうならば、Kさんは「サバイバー」であった。そして、この世の地獄を見てきたのであった。
中途半端な苦労人は、人に厳しく自身に甘い。そして、自らが成功したことを、自らの努力のせいだと信じて、お前らは努力が足りていないと、自己責任厨のようなことをいう。
上野千鶴子がいったように、「努力できる環境」にいられたというだけで、その人は十分に恵まれているのだ。
自己責任厨は、そういうことに気付かない。
Kさんは、地獄をみてきたというのに、屈折したところがなく、強くやさしい人だった。
彼女との思い出はつきない。けれど、まだ現役の方なので、詳細を書くのは控える。
きっと、彼女とはどこかで再会すると思う。だから、彼女にふさわしい人間でありたい。
自分の信念と言葉をもち、気高く、美しい彼女と、たとえ封筒を渡す関係でも、情を交わせたことは男冥利に尽きる、としか言いようがない。