蒸し暑さが増してきました。花たちは嬉しそうです✨
祈祷会のメッセージはヨシュア記の講解説教が続きます。
15章にはユダ部族への相続のことが書かれています。
1️⃣1〜12節
この相続について、なぜユダ12部族の中の長男の部族からでなく4男にあたるユダ部族から描かれているのかについて語られました。
長男ルベン・次男シメオン・三男レビ。本来は長子であるルベンの相続地割り当てから始まるはずです。しかし、ユダの前の3人の兄は、悪行を行い父やコブの怒りを買ってしまいました。そのため祝福でなく呪いを受けたのです。(創世記49章)
四男であるユダ部族。彼らは12部族の中で「信仰と勇気」が特徴として表れています。創世記49章8〜12節を見ると、父ヤコブのユダへの祝福を見ることができます。そこには「勝利」「リーダーシップ」「繁栄」が語られていくのです。
ルベンから剥奪された長子の権利はヨセフが受けることとなりました。
そしてこの四男ユダには「王権」が預言され、このユダから生まれ出てくるダビデはイスラエルの王👑となり、そのダビデから出る「芽」・キリストが生まれてきてくださることが預言・約束されていったのです。
12人の兄弟の中で、ユダがいかに優位に立ち、祝福されているのかはその割り当てられた土地の広さからも知ることができます。他の部族よりもかなり広い土地です。
南は死海の南端、地中海まで(1〜4節)
東は死海沿岸からヨルダン側の河口まで(5節前半)
北はヨルダン川から地中海まで(5節後半〜11節)
西は地中海沿岸そのもの(12節)
なぜこんなに広い土地が与えられたのか。もちろん、14章後半に出てくるカレブの申し出からのこともありますが、最終的にはこの15章1節で「くじ引き」によって、決まっていったことがここで強調されているのです。
神様ご自身が決めて、与えてくださった土地であると言うこと。
ところが、です。
地図を見ると、このカナンの地の南のほとんどが、ユダ部族の相続地となったことがわかるのですが、死海と言うのは、塩の海です。水が流れ入ってくることがあっても、流れ出ることはなく、地平線よりも低く、よってこの土地は「不毛の地」と言われていたのです。
北から南へ至るまでの荒地。。。。
良い土地というならば、それは、北部にありました。ヘルモン山から雪溶け水が流れてきて、その土地は緑生い茂る豊かな土地でした。一方、ガリラヤ湖から死海に至るまでは雨季こそ緑は茂りますが、乾季は褐色の大地と化していたのです。
ユダ部族は最初にくじを引く特権を与えられたのに、南側か・・・・。なぜこんなハズレくじを・・・と落胆したでしょうか。
なぜ、神様はわざわざ、そんな不毛の地をユダ部族に与えられたのでしょうか。
神様は無駄なことをされないお方です。
ご計画のうちにふさわしいものを、ふさわしいところを、与えてくださるお方です。
実は「信仰」「勇気」が強調されるユダにこの場所が与えられたのは、不毛の地に置かれることにより彼らの信仰が守られるためだったのだ、と語られました。
北部は土地が肥えた緑豊かなところでした。しかし、農耕が盛んになり豊かさを増してゆくとそこに住み着いた民は、神様を忘れ、豊穣の神バアルをヤーウェの神と共に崇拝するようになっていったのです。
このような民が北イスラエル、そしてユダ部族が支配する南ユダ王国。イスラエルはこのようにして二つに分かれていきました。
そして北イスラエルは、敵国により滅ぼされてゆくのです。
神が見ておられたのは、ここでした。
ユダに与えられた信仰がもっと強くなるように願われ、神様はユダにこのような地を選び与えられていったのです。
私たちも「神の祝福」というと、心も生活も喜びで溢れて、豊かに過ごせればいいと思います。
しかし、そこから信仰が強められるかというと、そんなことはあまりないのです。
満たされて嬉しい。とそこで止まってしまうからです。
すべてが満たされ、人生に生活に満足していれば、それ以上私たちは求めず、神様に祈ることなどしなくなります。神様が必要なくなるからです。
しかし、厳しい状況に置かれる時、「ああ辛いなあ・・・」と試練に置かれるときに、神様を求め、信頼し、しっかりと神様につながることに導かれていることにふと気づくことがあるのです。それこそ神様が私たちに願っておられることであり
神様との関係が深められ、真剣に神様と向き合うということこそが本当の「神様の祝福」であるのです。
ユダ部族は不毛の地に置かれることによって、彼らの信仰が守られていったのです。
私たちの願いを真剣に聞いてくださる神様に求めて、応えられ、神様の愛をおぼえながら成長してゆく姿。これは何にも変えられない神様が与えてくださる最高の祝福なのです。
問題のないところで、信仰は育たない。
問題が大きければ大きいほど、不思議なことに、それだけ信仰が深められてゆくのです。
詩篇にこんなみことばがあります。。
「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。
それにより、私はあなたの掟を学びました。詩篇119篇71節」
この神様との深い関係、神様との深い交わり。これにまさるものはない。
ユダ部族はそんなところに導かれていったことを覚えるのです。
2️⃣13〜19節
カレブが求めた土地「ヘブロン」は、ユダ部族のものとなりました。
13節を見ると、カレブが、3人のアナクの息子を追い払ったと書かれています。さらっと書かれているので、敵である彼らが弱々しい人々で負かすことが容易だったように考えてしまいますが、かなりの強敵の3人であり、そんな彼らをカレブは、まとめて倒してしまったのだと語られました。
14章12節のカレブの信仰が、そのまま実現していったのです。
「しかし、主が私と共にいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます」
カレブは目の前の状況を見て「難しいからダメだろうなあ・・・」と言ったのではなく、
「神様がくださるならば、どうして否定的・後ろ向きになるだろう・・神様が言われるなら前進してゆく!」と進んでいった人でした。
神様が言われる言葉とは・・・・・。
イザヤ書55章10〜11節に
「雨や雪は、天から降って、元に戻らず、地を潤してものを生えさせ、芽を出させて
種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、わたしのところに空しく帰ってくることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしがいい送ったことを成功させる」というみことばがあります。
神様の言葉は、神様から出てきたら、必ず成るのです。
そして、そんな神様は信頼を裏切るお方ではなく、応えてくださるお方なのです。
愛の深い確かな神様に信頼し、期待して行きたいです。
「わたしはあなたに命じたではない。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神。主があなたと共におられるのだから。ヨシュア記1章9節 聖書」
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