紫陽花が綺麗です☺️足を痛め、いつもの速度で歩くことができなくなった一週間。改めて健康のありがたさ、歩くこと一つとっても決して当たり前のことではないんだなあとしみじみ。あまり動けない時には、静まって神様の声に耳を傾け、養いを受けることが大切ですね。祈祷会に遅れて出席したので、後で音声を聞き、恵まれました。神様のみことばをいただくことは私たちの力です。
ヨシュア記14章を二つに分けて語られました。
1️⃣1〜5節【相続】
イスラエル民族は12部族でした。2部族半にはヨルダン川の東側がその申し出により早々と与えられてゆきましたが、ここでヨルダン川西側が残る9部族半に相続地として与えられてゆきます。
相続地を「誰が」「どのように」与えて行くかが重要です。
どなたかが語ったケーキカット配当の法則!?も語られました☺️
例えば「家族でホールケーキを切って分ける時に、切った人が最後に選ぶのが良い」😆
とのこと。食物と違って土地となると、さらには非常に大事な問題となります。
ここでイスラエルの12部族に土地を分割する役を担ったのは、リーダーのヨシュアと祭司のエリエゼル、そして諸部族のリーダーであったことが1節に記されています。
またそのやり方は、彼らが、ここからここまで、などと指導したのではなく「くじ引き」を持って割り当てられていったことが書かれています。(2節)
旧約の時代から「くじ」は、神様の意思を示すものとして用いられていました。それによって御心がはっきりと示されたのです。争いをして禍根を残すのではなく、
神様の御心として分割してゆくために「くじ」が用いられていったのでした。
またここで13章においても記されていましたが、レビ人には相続地が与えられなかったということにも目を留めたいと思います。
そのことを決められたのは神様ご自身でした。レビ人は「神様が所有とされた民」であるとお決めになり、彼らにとっては「神様そのもの」が彼らの「相続地」だと言われたのです。
今までこの祈祷会でレビ記や民数記を学んできましたが、そこで繰り返し言われてきたことです。レビ族が、神様によって選び分かたれた民であること。ゆえに、衣食住は神様が責任を持って与えてくださるということ。彼らには特別な対応を受ける約束が与えられたのです。ですから、ここで目に見える形での土地は与えられなかったのでした。
とすると、12(部族)ー2.5(部族)ー1(部族)=8.5(部族)なのに、なぜに2節には9部族と半部族と書かれているのでしょうか?聖書は間違っている????
いいえ。ここでまた素晴らしい主の約束の成就を私たちは見るのです。
4節に「マナセ」と「エフライム」とあります。
彼らはヨセフの息子たちです。創世記48章を読むとそこに、ヤコブが死ぬ前に息子ヨセフの二人の子たちを祝福した祈りが書かれています。彼らがヤコブの子たちとして祝福を受け継いでゆくという特別な祈りでした。孫ではなくヤコブの12人の子と同じ相続地を受け取る権利、親の相続を受け取る権利を、彼らは与えられていったのです。ヨセフは二倍の祝福を受け取ることになりました。
神様は、なぜこれほどまでにヨセフを祝福されたのでしょうか。それはヨセフの「信仰」ゆえであったのだと語られました。
創世記37章から始まるヨセフ物語には「主がヨセフと共におられたので」という言葉が何度も何度も記されています。10人の兄からいじめられ、売られ、奴隷として仕えていた主人から捨てられ、大変な思春期〜青年期を過ごしたヨセフです。しかし、どんなに辛い時も、苦しい時も「主が共におられて」ヨセフを支えられました。そして、彼はエジプトの国で首相となり、やがてイスラエル部族が飢饉に遭う時に、この部族を救う役割を担っていったのでした。
それでは、神様が共におられて助けてくださっただけだったのか、というと、ヨセフも神様に対して「信仰」を持っていたことがわかるのです。
ポティファルという主人の奴隷として家に入る中で、主人の妻から身を守った時(創世記39章9節)。彼は「どうして、そのような大きな悪事をして神に対して罪を犯すことができるでしょうか」と答えています。
また、彼がエジプトの首相となった時に、遠い地から兄たちが飢饉の中を食い繋ぐために食糧を求めてやってきました。自分をいじめ、売って、ひどいことをした兄たちです。しかしヨセフはそんな兄たちを、これは神様のご計画ゆえだと受け止め、感情で裁かず、信仰ゆえに赦し、家族をまるごと招き入れて彼らの生活を守ってあげたのです。
ヨセフ自身が深い信仰を持っていたことがわかるのです。それが次の祝福につながっていった。聖書の中には、ヨセフの話が丁寧に記されていますが、一方今回地を相続することになった二人の息子「マナセ」と「エフライム」についての信仰の記述はないことに驚きます。
つまり、父ヨセフの信仰ゆえに、そこから派生してきた祝福がこの息子たちの上に及んだということを見るのです。
このヨセフの子孫となったマナセとエフライム。特に、ヤコブが祝福の祈りをするときに手を交差させて祝福した弟のエフライムは、後に、その祈りの通りに(創世記48章17〜20節)強力な部族となっていきます。
ソロモンの王政の後、イスラエルは北イスラエルと南ユダと分割されていきますが、北イスラエルの国のことを「エフライム」と呼んでいることを見ると、それがどれだけ強大となったかを知るのです。
このヨセフによる祝福は一つの予表・型であるのだと語られました。
つまりヨセフの姿にイエス様の姿を合わせ見ることができるのだ、と。
救い主イエス・キリストは、私たち全ての人を罪から贖うために、この世界に来てくださいました。イエス様の十字架は、イエス様の信仰ゆえであったのです。「父よ。彼らをお赦しください」と十字架の上で叫んでくださったイエス様。
イエス様は神の子であったのに、神様の御心を理解して、地上に来てくださった。罪を知らないお方が、罪人とされ、罪人として裁かれたのです。義なる神様の前に罪をもつ者となるということは、父なる神との関係が切り離されるということを意味します。
イエス様は、私たちのために、そのような苦しい道を選び、通ってくださった。
それは、そこに「信仰」がなければできないことだと語られました。
このイエス様を信じ、罪を悔い改めるだけで、イエス様が持っておられる「神の子としての特権」を与えていただけるということ。神の子とされる時に、神が祈りを聴いてくださり、多くの祝福が及ぶようになるのです。
まるで、ヨセフを通して二人の息子が祝福を受けていったように、その信仰を通して私たちもイエス様による祝福をいただくことができるのです。
2️⃣6〜15節【従い通したカレブ】
この相続地分割の後。ユダ族のカレブがヨシュアのところにやってきました。
彼はヨシュアと共にモーセを支えた従者でした。
イスラエルの民がエジプトを出て、カナンの地を偵察に行った時に選ばれた12人のうちの1人です。彼は偵察の報告の時に、他の10人が「カナンは素晴らしい土地だけど、カナン人は強いし、無理」と否定的なことを言って民の心をくじく中、ヨシュアと共に、「いや、行くべき。敵がどんなに強く見えても、神様が必ず与えてくださる!」と言った人でした。
カレブという人の特徴は「主に従い通した人」なのだと。
エジプトを出た時、彼は40歳でした。「それから45年。今日、私は85歳です」と言っています。「ずっと主に従い通してきました」と。
私たちは「生涯にわたって神様に従い通してきました」と告白できるでしょうか、と語られました。
このカレブが自分に、ある土地を与えてくださいと申し出たのです。
ここで問題です。なぜなら彼が願い出た土地には「アナク人」がいて、なおかつそこには「城壁」があったのです。強い民族で大きな城壁。。。。なぜカレブはそんな土地を「下さい」と言えたのでしょうか。それは「信仰」があったからなのだと語られました。
「主が共にいてくださるなら、追い払うことができる」と(12節)彼はキッパリと言っているのです。😳
85歳です。神様に実直に従い続けて、なお、高齢だからできない、とか言わずに、まっしぐらに進んでゆくのです。
「見ゆるところによらずして🎶」という聖歌の賛美があります。まさにこのカレブのような信仰者の告白です。
神様が共におられるならば、神様が約束してくださったことは必ず成就するのだと確信して進んでゆくのです。
多くの障壁のあるところも、神様から与えられた信仰によって、一歩を踏み出してゆくカレブの姿。
このカレブが願い出た土地は「ヘブロン」という土地でした。(あ!これも今週の礼拝のメッセージで出てきた地名です!🫢)
ここはかつてアブラハムが住み、神様が彼に現れてくださったところで、妻サラを埋葬した場所でもありました。
例え、今カナン人が住んでいようとも、神ご自身が祝福された土地。
「私はその土地が欲しい」とカレブは願ったのです。ここにカレブという人の人格、信仰を見ます。
目に見えるものよりも、目に見えないものに、そして、どこまでも信仰を持って主に従い通した人材だったのです。
このヘブロンは、カナン人が住むようになってから「キルヤテ・アルバ」という地名に変わってしまっていました。それは、そこにいたアナク人の最も偉大な人物にちなんでそのように名付けられたと15節に記されています。しかし、このカレブによって、そのようなものは吹き飛んで籾殻のようになくなったのだ、と語られました。
どんなに強いと言われるもの、敵がいても「神。我と共にあり」と主の前に喜ばれる信仰を有して、一歩一歩前進してゆくことの素晴らしさを教えられたことです。
「主が共にいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。ヨシュア記14章12節 聖書」
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