ポルトガル語では・・・、
ボンディアがおはようで、
ボアタルデがこんにちはで、
ボアノイテがこんばんわとおやすみ。
オブリガードがありがとうで、
ポルファボールがおねがいしますで、
エウティアモが、あいしてる。
これで十分。
完璧じゃないか。
(笑)
ポルトガル語では・・・、
ボンディアがおはようで、
ボアタルデがこんにちはで、
ボアノイテがこんばんわとおやすみ。
オブリガードがありがとうで、
ポルファボールがおねがいしますで、
エウティアモが、あいしてる。
これで十分。
完璧じゃないか。
(笑)
異邦人という歌がある。
かなり昔、久保田早紀というシンガーが歌ってえらく流行った。
そういえばこの人の歌の中にも、ファドという言葉が歌詞ででてくるなーと思い出し、Amazonで検索してみた・・・ら、
「サウダーデ」というタイトルの、CD化されたアルバムをみつけた。
「サウージ サウダーデ」でポルトガル人の固有の心象をさすとかで、意味は郷愁とかそんな感じだったか。
正確にはポルトガル人にしかわからんらしい。
こういうことはどこの民族にもありそうな気はする。
それはともかく、アルバム「サウダーデ」の一曲目は「異邦人」で、それもポルトガル録音とある。
MP3になっているので試聴してみると、なんと演奏はクラシックギターとファドギターでされている。
「異邦人」のファドバージョンですか。
で、CDを注文して聞いてみると、10曲中最初の5曲がファドバージョン?の歌だったりする。
全部ファドバージョンにすりゃいいじゃねえか、中途半端な、とか思いつつ、機嫌よく聞いている。
久保田早紀は一発屋なんかじゃないよねー、一曲目立ちすぎただけだよねー
オリジナリティの強い世界観が受け入れられるには、時代に多様性が必要になる。
先を行き過ぎいてたのさ。
それはともかく気分は盛り上がる。
まだもうちょっと先。
パスポートを引っ張り出して眺めてみる。
またSat Kriya Workout を繰り返している。
40日はやらないと思うけど、20日は続ける。
昨日その練習のあと、少しだけ目を閉じて瞑想してみた。
集中していたのは眉間ではなく、頭の中心、キルタンクリヤのドロップポイント。
5分ほどした頃、右耳の後ろ辺りから音が聞こえてきた。
耳鳴りというのとは違う、ものすごくクリアでシャープなな音。
コォーンという感じの音。
たぶん空気の振動を介さないゆえの、クリアさシャープさだったのではないかと思う。
他の何とも例えようのない音。
わずかにそれだけのことなのだけれども、妙にインパクトのある経験だった。
どこから、どうやって発生した音だったのか・・・?
不思議なもんだ。
ラジオで聞いたコマーシャルの中の親子の会話。
子供 「お父さんとお母さんはどうして結婚したの?」
父さん 「えっとねえ、それはねえ」
母さん 「会社で席がとなりどうしだったのよ」
子供 「それだけ?」
母さん 「う~ん そうかな」
父さん 「か、母さん・・・」
笑った。なんとまた日本人的なはなしであることか。
外見も内面も、まして「愛」など一切関係ない。
同じ集団に属し、長時間をともに過ごし、同じことをし、一人の同じ上司に属する。
あくまでも同じ小集団と序列化した人間関係の中にいることが全てに優先する。
個人とは多様なものなのに、みているのはひとつだけ。
ひとりの人としてとひとりの人と、対等に正面から向き合うなどということは絶対にない。
実際のはなし、婚姻の晩婚化と終身雇用の崩壊は、ほぼ同時に起きている。
そしてこの「同じ」は空気のごとき「当たり前」として存在する。
もういいか・・・長くなるのでやめる。
某所にて、随分旅慣れたる若き人妻との会話。
今度のポルトガル行きでは経由地にイスタンブールを通る。
トルコには何度か出かけているらしい彼女は、乗り継ぎ時間に空港からでることを勧めてくる。
そこから話がイスラム圏への話になった。
私はチュニジアに行ってみたいなと話し、サハラ砂漠でテントに泊まり朝日と夕日を見てみたいなと話した。彼女は私はそれをモロッコでやってみたいと話す。
言葉数が多いとはいいがたい私には会話が弾むのは嬉しい。
他人の嫁さんだというのが残念ではあるが。
それはともかく、なぜチュニジアが自分の脳からでてきたのかが妙に不思議で、自分の記憶を探った。
思い出したのはモダンジャズカルテットが演奏していた、「チュニジアの夜」という曲。
iTunesで探してみるとみつかった。150円でダウンロードして聞いてみると・・・
覚えている。そのフレーズが記憶にある。
はたと思い返すに、リスボン行きの動機はファドにあり、NYのハーレムを自分で見てからは随分ゴスペルにはまっていた。
ひょっとしたら自分の頭の中では、耳から入る情報と目から入る情報が交差し混濁する部分があるのではないか。
そこが私の魂をゆるがすような感動の中心ではないか・・・?
これは生まれつきなのか、それともチャンティング付きの瞑想を繰り返し続けた結果のうちのひとつか・・・?
いずれにせよまたひとつ自分を知ったことになるか・・・。
そしてやっぱり私は沈黙と瞑想と音楽を好む。