ブログは相変わらずパソコンで書いている。


接続にはiPhoneのテザリングとかいうのを使う。


で、ネットの使用量?とでもいうべきものが決まっていて、一定量を超えると購入要となる。


月末になると切れてくるのであるが、三日や四日ネットが使えないからどうした居直ってしまい、ブログの更新も滞る。


私はネットもケイタイも30過ぎて手に入れた人だから、よくお世話になっている割には、なくてもいきていけるじゃねえかと、使えなくなってもすぐ居直る。



で、ネットが使えなくなっていた間に、カミュの異邦人を読了した。


この本こんなおもしろかったっけ?と誠にいまさらながらの感想を得た。



仕事はやっているがつまらん。


会社に不満はべつにないのだけれど、仕事自体はくだらん。



戦後70年とかで謝罪うんぬんの話がまたでている。


私も日本人の端くれだから、謝れと言われ続けて嬉しいわけはない。


ただし、いくら謝られたところで、なぜあなたはあんなことをしてしまったのか?という問いに対する冷静な自己分析と解答がなければ、謝罪など意味をなさない。


平身低頭しながら同じことを繰り返されるだけのことだ。


少なくとも私の周りでは「あんなこと」はうじゃうじゃ起きている。



というようなことを、ネットがつながらなくなっていた何日間かに考えていた。



今の仕事を始めてから8ヶ月を越えた。


日本人の人間関係にとって親しさとは、時間の長さに比例する。


今日は何かの通過地点だったらしい。


仕事で関わり合っている何人かの人間が、私と距離を詰めようとしてきた。


それは笑顔でもあったし、さして用のないことで話しかけられたりもしたし、距離感のない人間関係に特有の罵声イチャモンだったりもする。


同僚とか、まして取引先なんていうのは、対等な人間関係なんていうのはない。


力関係を気にしながら、気疲れしつつ放つ言葉など面倒なだけだし、そんなものを友人などとはいわない。


いずれにせよ、礼儀正しく、穏やかに、距離をとっていただけるのが一番ありがたい。



先日めずらしく小説なんぞ買ってきた。


ヘッセのシッダルタとカミュの異邦人。


図書館で借りればいい気がするのだけど、なぜか文庫でよみたくて買ってきた。


仰向けで読み、眠くなったら本を顔にのせて眠り、よだれだらけにする気でいる。


で、シッダルタは読了した。


若かりし頃に読んだことがあるようなないような。


その読後感が、なぜか今日の出来事とかぶる。


言葉に過ぎない・・・。


異邦人の、これはまちがいなく再読を始める。


そのあとでシーシュポスの神話を再読する。


たとえ言葉にすぎなくても。


そしてまた、明日という日を迎える。

今回の Sat Kriya Workout の連日の練習は23日目を越えた。


正座して頭上で手を組み、「Sat」で腹を引き、「Nam」で腹を緩める・・・だけのことである・・・が、


Satで腹を引くときは当然呼気だ。


Namで腹を緩めるときは吸気になる・・・と思っていた。


吸気でNamを唱えると、当たり前だけど声がでない。


Sat・・・Sat・・・Sat・・・になる。


Sat Nam のチャンティングをキチンと唱えるとなると、腹を緩める時も呼気にする必要がある。


ではどこで息を吸うのか?


Namで腹を緩めたあと、吸気するしかない。


気がついたのはここで吸気すると、腹を緩めたあともう一段腹を緩める感じになる。


クンダリーニエネルギーは会陰部に眠る。


もう一段緩めると、吸気が会陰部に届く。


呼吸の力で会陰部を引き上げる。


会陰部でとぐろを巻いて眠る蛇の形をしたクンダリーニエネルギーを引き起こすには、こちらがいいのではないか?


と思う・・・私の場合はね。


手応えはある・・・いろいろと。


練習を続ける。

またしても渋谷の映画館UPLINKでドキュメンタリー映画を見た。


トゥーマストというアフリカのトゥアレグ族のバンドの映画。


今回はバンドの映画なので、たくさんの音楽があった。彼らの住むサハラ砂漠のニジェールやマリについての解説も多く、ナレーションもセリフも多い。


「聖者の食卓」や「大いなる沈黙」とはだいぶ違う。


かなりおもしろかった。特に主人公ムーサの妻女?アミニトゥーの歌は興味深い。


遊牧民トゥアレグ族のアイデンティティを問うこの映画を見ていると、やはり我々日本人とは?という問いが沸き起こる。


昨今の情勢だとなおさら思う。この国が軍国主義化したわずか数十年を「伝統」だと思い込み、歴史を戻せると考え、自由や平等を踏みにじろうとするあほうが跋扈し始めたこの時代には、なおのことそう思う。


私は日本の伝統武術を学びながら、インドのシーク教徒の伝えたヨガの練習している人なので、我々とは何か?異文化とはいかに接するべきか?ということには、ひときわ敏感になる。


トゥーマストというのはトゥアレグ族の言葉でアイデンティティという意味なのだそうだ。


映し出されるサハラ砂漠の景色も、興味深く美しかった。


ドキュメンタリー映画はおもしろい。

何となくチュニジアのことを書いていたら、そのチュニジアでテロ事件が起きてしまった。


正直、博物館が襲撃されたというのはショックだ。


選挙で選ばれた総理大臣様が、日本人には指一本触れさせんなどと、まるで北斗の拳みたいなことを言ったもんだから、日本人のそばにいた人まで犠牲になってしまったのかと思ったけど、別にそういうわけではなく、無差別だったらしい。


察するに総理大臣様の発言は、知らなかったか笑殺されたか。


こういうことが起きるたびに、卑劣なテロは許さんという談話が発表される。


前にも書いたけど、圧倒的な力を持った敵を前にして正々堂々などありえない。


戦前のアンダーグラウンドソングにいわく


我らいつまで屈せんや 自由を無視する暴政に 六十余州の血はさかのぼり ここに立ちたるテロリスト


テロとは窮鼠猫を噛む一撃でもあったはずだ。


しかしツアーに参加していただけの女性が被害にあったのは痛ましすぎる。


でも彼らは言うだろう。あなたたちは民主主義国家の住人なのだろう?ならばあの人たちはあなたたちが選んだのだから、その責任はあるだろう。罪も科もないとは言えないだろう?


これで世界中の観光地すべてが、テロの標的になるのだろうか?


ならば明日は我が身ということか?