アマゾンで注文したTracy Chapmanの「Crossroads」のCDがきた。


この配信時代になんだ、という失笑をたまに受けるが気にしない。


やはり手触りのようなものを求める。


だいたいその昔、カセットやレコードからCDの音に乗り換えるのにどれほどの抵抗感があったことか。


最近はアナログ回帰のようなことが起きていて、やや興ざめしている。


はいれぞというのも耳にするようになり、気になり始めてはいるけれど。


Tracy Chapmanのアルバム「Tracy Chapman」と「Crossroads」はその昔カセットで持っていてよく聞いていたのだけど、長いこと聞かずにいたらテープが劣化してしまった。


で、「Tracy Chapman」に続き、「Crossroads」もCDで再度手に入れた。


若い頃と趣味が全然変わっていないということを確認したことになる。


変わったのはそういう自分を容認して、問われればこういうのが好きですよと答えるようになったということことか。


問われもしないのにブログに書いてみたりもする。(笑)


アメリカやヨーロッパではこの2枚のCDはバカ売れしたはずなのだけど、日本ではさっぱりだった。


あの現象は、バブルという私にとっては嫌な時代の残り香のように解釈しているのだけど。


ただ世の中には、この2枚のCDを結構大切に聴き続けている人もいるらしい、ということも知っている。


ひさしぶりにこのアルバムを聞きながら、やっぱりいいなーと思う。


来ないかな・・・Tracy Chapman・・・


誰か呼んでくれないかな・・・。

何回も同じようなことを書くのは嫌だけど、もう一回書く。


ヨギバジャンの日本人弟子1号というやつがいる。


あのバカは自分は1号だから「クンダリーニヨガ」を学ぶ日本人は全部自分の子分・・・後輩と言い変えようか・・・だと思っている・・・正確に言うと感じている・・・らしい。


彼のクラスには昔何回か行ったが、くだらんと思ったので行くのを止めた。


私は古流武術の経験から、自分の流儀との共通点を見出してこのヨガ練習を始めたので、他の人と違うアプローチの仕方をする。


誰のクラスに参加するかなど、そんなことは私が決めることだ。


しかし1号はそれが気に入らない。


そこで彼は自分のまわりにかき集めた日本人の「後輩」に向かって、あいつが気に入らない、練習もしてないくせに・・・という身勝手で根拠のない感情を吐露する。


自分のまわりの集団に向かって、私が気に入らない、という「空気」を醸成させる。


和をもって尊しとなすこの国の人間は、1号との和のために1号と同調したわけだ。


つまり私は村八分にされたわけだね。


もちろんこれは空気であって、1号は私の村八分に関して破門状を作って全員に回覧させ、血判捺印させたうえ、私と交流を持った人間は小指をつめさせ同じく村八分にする、などとは絶対に言っていない。(笑)


あくまで「空気」であって証言も証拠もない。


業界によってはこれを自主規制と呼んだりするらしい。


強制連行などしてはいないし、そんな証拠はない・・・でも強制してでもなんとかしたいという空気はあったはずだ。


「許し」などというムシのいいことをいうやつもいる。


上記の破門状のようなものが存在するのなら、撤回し謝罪のうえ「許す」こともできるが、空気などどうやったらゆるせるのかわからない。


東京裁判において開戦について被告達はこう言ったらしい。


「私個人としては反対であったけれど、すべて物事には成り行きがある」


仮に私がこの先何らかの力を手に入れ、私を村八分にした皆さんを被告席(笑)に追いやり、なぜあんなことをしたかと問い詰めれば、あのスピリチュアルなみなさんはきっとこう言うだろう。


「私個人としては反対であったけれど、すべて物事には成り行きがある」


あなたたちこそが自由や平等や人権を踏みにじるのだ。


そんなあなたたちは身勝手にもスピリチュアルを叫ぶ。


全ては同じ土台に乗っているのさ。


あなたたちに絶対に理解できない、オルテガ イ ガセットの言葉を送る。


「真に高貴な人間とは、他人より自分に多くを求める人間である」

サットクリヤで吸気をNamのチャンティングの直後に行うようにしたのは正解だったらしい。


何をもってして正解というのかはややこしい。

もちろん私にとってである。


全体としてのレベルがあがった感がある。


何をもってしてレベルがあがったというのかというと、これまでの練習で理解してきたものの方向性をかんがみて、ということになると思う。


内臓と中枢神経系とを合わせたユニットと、それ以外の移動運動に利用される骨筋系とのあいだに一枚の膜がはさまってきたような感がある。


自分の中のもうひとつの自分・・・で、マトリョーシカ(笑)


ひとつひとつのアサナやクリヤに対する「感受性」が良くなった。


もうひとつ、おかしな話だけれど、「自由」という状態に近づいた気がする。


まったくもって奇妙な言葉ではあるが。


40でクンダリーニヨガを始めてから、間違いなくひとつ言えることは、人生が楽しくなってきた。


爆笑や哄笑ではなく微笑。


この道に間違いはない・・・と思う。


たぶん(笑)・・・。



ケサル大王というドキュメンタリー映画を見た。当然渋谷UPLINKで。


ドキュメンタリー映画というのを何本か見てきて思ったのだけど、セリフやナレーションやインタビュー映像が増えれば増えるほどつまらなくなる気がする。


説明的になるわけだから、わかりやすくはなるのだけど、ひきつけられるものがない。


「わかる」というのとは違うなにかがあると思う。


ケサル大王というのはチベットに伝わる英雄伝の叙事詩だそうで、この映画をそれをテーマとしていた。


見ているといろんなものがてんこ盛りだった。中共政府による圧政とか、温暖化による環境破壊とか。


印象に残ったのは、チベットの美しい雄大なというのも陳腐だけれど、やはりあの風景だった。


こうやってみていると、あの「大いなる沈黙」という映画のすごさがよくわかる。


個室の中で祈り続ける修道士の姿で始まる映像。


僭越ながら、ひとというものに対する見方の違いだろうと思う。


そんな感じでした・・・すいません。

サットクリヤワークアウトは30日で切り上げた。


というより30日目の夜、また盛大に嘔吐してしまい、それ以上できなくなった。


今回は下痢も伴った。


意外な気もするけど、サットクリヤの練習で腹を下したのは初めてだった。


吸気をこれまでより下げて、横隔膜の力を会陰部まで届けるという形での練習は当たりだったらしい。


あれから5日経つのだけどものが思うように食えない。


以前にも似たようなことはあったのだけど、あのときは3,4日全く固形物がとれなかった。


しかし今回は少しだけ食えるという状態が続いている。


体重はこの5日で3キロ落ちた。


大臀筋からハムストリングスにかけて違和感がある。


体調がよくないというより、妙な疲労感に首まで浸かっている感じがする。


それが私の自己定義だから流儀の稽古だけは再開したけど。


とりあえず体調の回復を待つ。


次はまたしてもだけど、ベーシックスパイナルエナジーシリーズを繰り返す。


考えるところがある・・・。