『フェイブルマンズ』

 

 

 

 

監督🎬

【スティーブン・スピルバーグ】

 

 

サム(サミー)・フェイブルマンズ

青年期【ガブリエル・ラベル】

 

 

母親ミッチィ

【ミシェル・ウィリアムズ】

 

 

父親バート

【ポール・ダノ】

 

 

ドニーおじさん

【セス・ローゲン】

 

 

ボリス叔父さん

【ジャド・ハーシュ】

 

 

配給[東宝東和]

 

本編[2時間31分]

 

 

 

私はこの作品が好きだ。I Like this movie!

 

 

1952年から始まる時代、家族構成は、主人公の少年、仲の良い両親、2人の姉妹。翌年(53年)に生まれる妹で5人家族。

 

 

他に、親友だという同居人(おじさん)が常に一家の中に居ます。

 

 

両親それぞれの母親(親族)がクリスマス(ユダヤ系なのでハヌカ?)など祝いの席で食卓を囲む機会はあるけれど、5人家族の一家+両親の親友のおじさんで都合6人家族のコミュニティとなります。

 

 

少年の名前はサム。

しかし少年の名前は映画の中盤に本人が名乗るまで極力明かさないよう工夫されていました。

普通の家族ドラマだと、名前を呼ぶことは、出だしから当たり前のことですから、字幕表示が出ないのが不思議でした。

 

 

私の推測ですが、その理由はこれかな。

 

映画の開始前、ユニバーサル映画の題名と共に、字幕者の名前が表示されていますが、普通、字幕者の名前が表記されるのはエンドロール終わりの明るくなる前です。

 

 

ユニバーサル映画

「フェイブルマンズ」

字幕 戸田奈津子

 

 

映画監督が76歳のスピルバーグならば、音楽は91歳のジョン・ウィリアムズ、日本も御年86歳の大ベテランに字幕作成を依頼したということか。

 

 

戸田奈津子女史は、何十年もトム・クルーズ作品を担当なさっていましたが、昨夏の最新作では担当を断ったというニュアンスの報道がなされました。大御所が身を引いていくのは時代の波とは言え寂しいものです。

 

 

戸田奈津子さんの日本語訳をとやかく言う人もいますが、私は大変お世話になった身で・・銀幕でお名前を観るたびに「あゝエンタメ映画を観た」という気分にさせてくれる気宇な存在。

 

 

映画のタイトルが『フェイブルマンズ』。

 

 

一見、英単語にありそうだけど、英単語ではない、謎のタイトル、フェイブルマンズ。

 

 

先程、序盤は名前を名乗らない(字幕に表記しない)時間帯が長いと伝えましたが、その意図は主人公が人種差別の激しいカリフォルニア州に引っ越ししてから明かされます。

 

 

「おい、お前の名前はなんて言うんだ」

 

「僕の名前はサム。サム・フェイブルマンだ。」

 

「フェイブルマンだって・・お前ユダヤ人か」

 

 

と言う流れ。正直、ここまで作中で引っ張らなくても良いとは思いますが、スピルバーグ自身がユダヤ系ですので、ここには人一倍意味の込められているのでしょう。

 

 

アカデミー賞最有力と呼び声が高い本作品のタイトルが「ユダヤ系の名字」だとは驚き。

 

 

カリフォルニアの若者たちは「フェイブルマン」という名字を聞いて、即座に「ユダヤ人か」という反応をしているので、そこまで珍しくない名字なのかも知れませんね。

 

 

日本だと「田中」や「佐藤」や「斎藤」を映画のタイトルにしてるみたいなのかな。ちょっと意味が違いますけど(^_^;)

 

 

戸田奈津子氏の字幕も、いい感じに其処に至るまで字幕で表さなかったのですが、以降は解禁されたように呼ばれていました。

 

 

では繰り返しになる部分もございますが、mAb調の作品紹介をしていきます。

 

 

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(以下はサムで統一します)

 

 

1952年 ニュージャージー州

幼い5歳のサムが両親と3人で映画を見に行くシーンから物語は始まります。

 

 

いつも行動を共にしているはずの2人の姉妹は、このシーンにはいません。

 

 

なぜだろう?お留守番?

まぁいい。サム(スピルバーグ)が初めて「映画に触れるきっかけ」となる大事なシーン!

 

 

劇場前で「暗闇が怖い!」と、まるでお化け屋敷に入るみたいに嫌がるサムに、父親が力説するモーションピクチャーの仕組み。

 

 

前記事『エンパイア・オブ・ライト』でも劇中の映画技師が殆ど同じ解説をしていたので、このシーンは個人的なリンクをしましたが、今作品の時代は1952年ですから仕組みを理解している人の解説はひと味もふた味も凄さが違う。

 

 

父親はコンピューター関係の仕事をしている科学者。頭脳明晰で穏やかな性格。

 

 

暗闇を怖がる息子に「映画の仕組み」を解説する際、この父親の人柄が表れていると思ったのが、子供の目線に姿勢を低くして話す優しさです。解りやすく短い言葉で穏やかに伝える。

 

 

「映画は素晴らしいものだ」というより「映画は素晴らしい科学だ」と力説している理系なんですけどね。私は文系なので母親寄りの考え方・捉え方が理解しやすいです。

 

 

母親はプロのピアニストで、劇中では母方:芸術家系(文系)vs 父方:科学者系(理系)だと言い切っていて、見事に感性の線引しています。

 

 

夜の時間帯の映画館という状況なので、周りには子連れは殆どいません。暗闇を怖がる5歳の息子を連れて行くというのも、ある意味、両親の荒療治みたいに感じます(^_^;)

 

 

その映画『地上最大のショウ』。(私は観たことがありませんが)1952年の公開作品。封切りのROADSHOWということでしょう。当時のアメリカ人にとっては超話題作を映画館に観に行く感じだったのかな。

 

 

 

 

昔の人々(今も欧米ではあると思うけど)の鑑賞中のリアクションは、観ていて楽しいです(^^)

 

 

大人も子供も老若男女が、驚いたり悲鳴を上げたり、少年サムのように目をキラキラさせて、映画の世界に魅了される者もいる。

 

 

21世紀に入り、日本もシネコンの普及で映画館や映画は身近になりましたが、以前は映画館で映画を観るということは特別なことだったと懐かしみます。時代は違いますが、それを思い出させてくれる映像でもありますね(^^)

 

 

 

 

映画を観るまでの彼はどんな少年だったのか分からないけれど、この鑑賞体験が大きなキッカケになったのは言うまでもない。

 

 

特に彼を引きつけたのが映画終盤の線路に侵入した強盗団の車が汽車と衝突するシーン。乗客を乗せた汽車は脱線して大惨事の展開に。

 

 

サムは、この時の衝突(クラッシュ!)に異常なまでに興味を示します。

 

 

この『地上最大のショウ』という作品は152分間の超大作。その中でも、汽車が衝突する1場面だけに執着したのは、少年の中の何かが目覚めた解釈になるのかな。(強盗の方向に影響されなくてよかった)

 

 

そしてクリスマスプレゼントに鉄道模型セットを願う。ライオネル社の機関車鉄道模型。

 

おそらく高価なものだろうから裕福な家庭だと思った。4人兄妹で男の子は1人だけですから、特に愛されて育ったのでしょう。

 

 

さらに母親から8ミリフィルムを手渡される。サム(スピルバーグ)の監督人生がスタートするのだ!!

 

 

 

早速、ガレージに作った鉄道模型を走らせ、「地上最大のショー」のワンシーンを再現する。

衝突音に就寝中の両親が飛び起きる。それほど、衝突こそにエンターテイメント性を感じたんだと思う。

 

撮影した映像を自ら編集して、結んで開いて、それを楽しむ。

 

 

 

 

年齢は幼稚園の年長くらいだろうから、すごい再現度!スーパー幼稚園児現る!だ。

 

 

後のスティーブン・スピルバーグ。エンタメ芸術の天才は幼少期から才能がずば抜けていた。

 

どちらかのDNAに偏るのではなく、

 

父親からは物創りの仕組みを、母親からは物創りの遺伝子を受け継いだんだろうと、この映画を観ていると解る。

 

 

____

 

 

 

父親が大手コンピューター会社にヘッドハンティングされ、一家はニュージャージー州からアリゾナ州に移住をすることになった。

 

 

1950年代中盤辺り。

 

 

この引っ越しの際に、

居候のトビーを連れて行くか、置いていくか、どうするか?で両親は少しだけ揉めている。

トビーは両親の親友だが、居て当たり前のような、精神安定剤のような存在で紹介される。

 

 

結局、今回はこれまで通り、一家+トビーでアリゾナへ移住するのだが、

 

はて?このトビーという男は何者なんだろう?という疑問が付きまとう。

 

 

父親の会社の同僚で、夫婦の親友という紹介をされているが、映画開始から一家の同居人であり、

 

子供たちにとっても物心付いた時から傍に居る「トビーおじさん」という両親の友人である。

 

 

父親バートがコンピューター技師として出世していくたびに、親友(同僚)トビーも連れて行くことがセットになりますが、

 

そのつど彼の仕事も面倒を見ることになるので、企業のレベルが上がれば、彼を連れて行くことが無理みたいになる。

 

 

それでも連れて行くのだから、彼の本音も描いてほしいところです。ヒモではないけど世話になってるように視える。

 

 

中年の独身で、性格や人格的にも爽やかな男ですが、腹の中は謎。

 

 

この映画は、母親役の【ミシェル・ウィリアムズ】[42]の感情や表現をどう読み解き・解釈するかで決まると思います。

 

 

トビーに執着しているのは、父親でも子供たちでもなく母親のミッチィであることは、序盤の描き方から何となく予想できるように創られています。

 

 

展開・舞台が移る前に、町に竜巻が出現するシーンがあります。

アメリカの竜巻のニュースは毎年のように日本でも報道されますね。

 

 

この竜巻のシーンでは、生まれたばかりの赤ん坊を旦那に任せて、子供3人を連れて「竜巻を見に行くわよ」と車を走らせます。

 

 

竜巻から逃げる人々と逆の方向に。子どもたちも「ママ!大丈夫なの!?」とパニックです。

観ている私も、どんな母親なのか?この前半のシーンでは解釈しきれていません。オズの魔法使いなら別世界に行けるけれども、明らかなリアル。

 

子供を連れて竜巻に向かっていくなんて・・イカれているとしか思えません(^_^;)

 

 

母親は自身の座右の銘を唱える。「出来事には意味がある」。それを子どもたちに何度も復唱させる。

 

 

そして舞台が移り、子役の子供たちもチェンジです。

 

 

スピルバーグのドラマで何が一番凄いか?と考えれば、子役の表現力だと私は思います。

 

 

子供の繊細な部分、あるあるの部分を見事に映像で表していて、なにより子役の選び方が神がかっている。

スピルバーグ映画に出演した子役でその後大スターになるのはドリュー・バリモアや(mAbが大好きな)エル・ファニングら女性が多いけれど、本当にその時の一番いい状態を引き出すのでしょうね。

 

 

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アリゾナ編は、映像や描写からスピルバーグらしさが充分に詰まっています。

 

 

アリゾナ州と言えばグランド・キャニオン!!。

アメリカの国立公園は入園料がかかるそうですが(グランドキャニオンの場合は1人12ドル。)この時代や地元の子供たちにとっては遊び場みたいですね。

 

 

グランドキャニオンの岩場に手を突っ込み・・真っ黒なサソリを手掴み。

 

 

黒光りをしたサソリを手掴みして大喜びをしている・・ある意味、衝撃映像。

同級生たちと行っているのは「サソリの捕獲」。捕獲したサソリは高く売れる、毒の強いサソリは更に高く売れると大喜び。

 

 

(この後、岩を持ち上げると20匹ほどのサソリの群れ。苦手な方はご注意をΣ(゚Д゚))

 

 

観ている私からすれば命がけに思えるけど、子供の小遣い稼ぎの方法が(手掴み・編みで掬う)ワイルドで面白い。

 

 

(猛毒のヘビなども売っていたのかな?サソリを獲るんだろうから、そうだろうな。)

 

 

サソリを売って手にしたドルで同志たちと映画を作る。そういう仲間と出会うのも巡り合わせですね。

 

 

8ミリカメラを手にして鉄道模型を走らせていた少年は、新天地で16ミリカメラを持ち撮影する青年に成長しています。

 

 

 

 

ティーン期を演じる俳優はカナダ系アメリカ人の【ガブリエル・ラベル】[20]。

撮影時期は10代ですから、表情にあどけなさがありますし、それがまたいい味を出しています。

 

私的には侍ジャパンのヌートバー外野手に視えて、外国人外国人していない親しみやすい童顔な顔立ちに想います(^^)

 

 

幼少期を演じた子役の名前や情報を知りたくてネットで検索するけれど・・探したけれど見つからないの(井上陽水かΣ(゚Д゚))

 

 

 

子供時代、青年時代と2人の男優がサムを演じています。

面白いのが比較できること。

 

 

ハリウッドの子役のレベルは「天才子役」と言われるほど高いので、こういうエンタメでも大人顔負けの存在感を出す。幼少期を演じた子役はそういう存在感です。眼力がありますね。

 

 

逆にガブリエル・ラベルのようにティーンになってから大映画に大抜擢されると、意識もするだろうし、透明感みたいな純粋な演技を観れることになる。眼力と言うより優しい目です。

 

 

子供(子役)の頃のサムは、買ってもらった鉄道模型と、手にした8ミリカメラで、自分の見た映画を再現し、自分の個性を出していた。部屋に引き篭もり凄い集中力でエンタメを作る。

 

 

それが子供時代から中・高生くらいに成長(役者交代)すると、「周囲を巻き込む」ようになっている。これはきっと成長力なんだと思う。子供時代は1人だったが、少年時代は10人以上で映画づくりをしている。

 

 

そして(スピルバーグの自叙伝)大器の片鱗はティーン時期から惜しげもなく魅せていて・・それが演出です。

 

 

戦争映画の自主製作に取り掛かっていて、アリゾナというロケーションを活かして荒野で銃撃戦。

主演の兵士役に演出をするサム。どう撮るか?というよりは、どう表現させるか?に感じます。

 

2人共(監督と主演)感情移入して号泣。いやぁ・・名シーンの誕生ですよ。

 

 

完成披露の上映会。

 

 

上映会というよりは、ボーイスカウトの発表会なので、出演者たちは自分が映ると誇らしい顔。保護者の喜ぶ顔。

 

 

だけれど手作り映画の発表会にしては異常な完成度。作品としての評価が高く「まるで映画」のスタンディングオベーション。

 

 

どんなに絶賛されようとサムはあくまでの裏方で、天狗にならないのが観ていて凄いなぁと思いました。

 

 

自分が作ったのだから、自分が役者の演技を最大限に引き出したのだから、もっと調子に乗ってもいいと思うのですが・・客席の中央通路で映写機を回して光の粒子を見つめる。観客の視線は常にスクリーンに注がれ、終演後に拍手喝采の中でもサムは静かなものです。

 

 

 

 

お調子者というタイプではないので、職人タイプですね。

 

 

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このアリゾナ編で、家族旅行で山にキャンプに行きます。

オフロードのような瓦礫道で、家族でギャアギャア騒ぎながら道中を楽しんでいる。

 

 

撮影役は勿論トム。

カメラを向けると皆ポーズをとる愉快な家族たち。

 

 

(関係ないけど、車酔いはしないのかな??)

 

 

トム以外の家族は、撮られる側です。

 

 

例えば、家族旅行や友人旅行などで、カメラ役の人に「あなたも撮ってあげる」と気を遣う光景は普通にあると思います。特に子供の頃なんて、家族の記録で子供の写真を撮るものですが、この家族はそういうのがありません。トムはカメラマン・撮影監督の役。

 

 

映り手側を勧めることは劇中に一度もなかったと思います。

 

 

スピルバーグの自伝的映画と、公開前から説明がされているから、誰もがそういう目線と意識でこの映画を観ていると思いますが、

なんだか家族旅行も、カメラを撮っているのは、なんだか寂しいなぁと私は思いました。本人が満足しているから、それでいいのだと思いますけどね。

 

 

この映画を観ていると・・少年トムは母親を被写体にすることが非常に多いと感じます。

それも異常なまでにピントを合わせています。

 

 

しかし映画全体を通してこの点を考えると、特別マザコン的には思えないんですよね・・自立していますし。

ならば被写体として優秀なのか?という意識で鑑賞しました。

 

 

目立ちたがり屋な性格の母親は、感情表現が豊かで、カメラを向けると常にヒョウキンです。

 

 

 

 

(例えるなら、大阪のオバちゃん的なノリ!?)

 

 

思春期の年齢の男の子がそんなに母親を撮るかなぁ?

中学生くらいの男の子が、30代中盤の母親を撮っているようなもの。

 

 

キャンプの火を囲み、スケスケのネグリジェで即興ダンスをするシーンなど、母親役のミシェル・ウィリアムズが、この演技でアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされていますが

 

 

映画を観る観客は、「母親を撮る息子」の二人の姿を、カメラワーク的に後ろから観ているわけで、第三者目線(俯瞰)になります。そういう目線で視ていると、それだけ被写体向きなんだと思うけど・・少し過剰表現に感じました(^_^;)

 

 

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(長女が父親の遺伝子を継いでいることが解るメガネ)

 

 

所変われば品変わる。

 

 

これまでと毛色が違うのがカリフォルニアに移住した時のこと。映画の中では3回目の引っ越しとなります。

 

 

ニュージャージー州→アリゾナ州→カリフォルニア州。東から西へ、アメリカ横断。

 

 

このカリフォルニア編で一番強く描かれているのがアウェイ感だと思います。

 

 

北カリフォルニアの高校に転校したサムがまず驚くのが身長差

劇中では、極端に思えるほど、巨人の中に入っていく様子が描かれています。

 

 

それまでいたアリゾナでは同級生たちと並んでも、少し背が低いくらいでしたが、まるで北欧に引っ越したくらいの映像。

 

 

身長差が20〜30cmはあるので、単純ですけどカリフォルニアの人達って背が大きいんだと思ってしまいます(^_^;)

 

 

まるでロード・オブ・ザ・リングのガンダルフとホビット族ですよ。

 

 

さらにフェイブルマン一家のストレスになったのが、住む家が借家ということ。

 

引っ越しが多い家庭なんだから贅沢なこと言ってるんじゃないよΣ(゚Д゚)とは個人的には思いますが(笑)

 

借家で、家の規模もこれまで住んできたものより落ちる、ということで子供たちは不満気です。

 

 

父親はそんな家族の様子を気にして、もう少し経てば、大きな家に住めるからとフォローしています。

 

 

日本的な考え方だと、家族一緒なら何処でも生きていける、に私は慣れていますので、普通よりもいい暮らしをしていて不満や愚痴を言うから、父親をもっと敬ってほしいとは思うのですが(^_^;)

 

 

そんな新しい土地や環境で、子供たちを苦しめたのがイジメ。

 

 

姉妹がどういう扱いを受けたのかは分かりませんが、主人公のサムは、学年の中心人物の男子生徒から人種差別を受けています。

 

 

アリゾナ編の終盤に、ある原因によりサムは撮影を辞めてしまいます。

 

 

 

おそらくアリゾナでは「映画を撮る人」と同級生や町民には認識されていたと思います。一芸があるので同級生からは尊敬されていたんじゃないかな。

 

 

それがなくなったわけですから、カリフォルニアに転校してからはイキイキしていませんし、巨人の世界に足を踏み入れて萎縮していて、「田舎(アリゾナ)から転校してきたユダヤ人の転校生」という見方をされています。

 

 

劇中では、サムをいじめるのは一部のグループぐらいで、実際にどれくらいのイジメがあったのかは分かりません。ただ、その一部による差別の描写だけでも、十分ダメージがありました。

 

 

そんな彼にカトリックのガールフレンドが出来ます。劇中では初めての彼女です。

 

彼女との出会いで、あからさまなイジメは減りましたし、キリスト教徒とユダヤ教徒の似て非なる宗教の葛藤も視れました。

 

 

 

(それにしても、広い一人部屋だなぁ)

 

 

サム役のガブリエル・ラベルのガブリエルは聖書で「神の言葉を伝える天使」とされ、名前の意味は「神の子」。この映画の人選にピッタリなのかも知れませんね(^^)

 

 

彼女と出会ったのをキッカケに、卒業記念のビーチパーティーで撮影係を任されたサムは、再びカメラを持ちます。

 

 

 

編集作業も1人で行う、その作業の工程自体が好きみたいです。

 

アリゾナではボーイスカウト隊で映画造りの同士がいましたが、カリフォルニアでは1人で作業をしているのも印象的ですね。

 

(実際には周りのサポートもあるかもしれないが、劇中での映画編集は常にサム1人で行っている)

 

 

そして、卒業プラムの上映会で大喝采を浴び、映画人の未来へ進む。

 

 

学園生活と私生活、この両方向を描きながら進行するドラマ映画です。是非とも劇場でご覧ください(^^)

 

 

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それでは最後の項目として、いくつか個人的に気になった点を書いていきます。

 

 

まずはフェイブルマン家がユダヤ教ということで、戦争映画を観る大人の家族を意識しました。

第二次大戦の終結から数年しか経っていないぶん同胞の悲しみにはどんな感情になるのだろう。

 

 

スピルバーグ監督といえば『シンドラーのリスト』でユダヤ人迫害を描いていますし、戦争ドラマを撮らせると右に出る者がいないというのが私の認識ですが、この場面は戦争映画を観ているのが、アメリカ人なのか、ユダヤ人なのか、を少し気にする私がいました。

 

 

サムはティーンの時に、仲間たちと戦争映画を製作し、完成披露上映会で拍手喝采を浴びます。

 

 

自主映画で学生製作・戦争という悲惨さを作品に取り入れていることに驚きます。

見たところ10代の男の子達で作り上げています。

 

 

中学生が「西部劇」を作るというなら想像できますが、「戦争映画」を作るという発想や想像がつかないので、1950・60年代とはいえ何というか・・凄いです。

 

 

 

兵士役の主演の男子に、「仲間も死んだ、敵も死んだ、君は生き残った」と台本の意味を説明し、2人で感極まって涙を流す演出シーン。撮影でカットがかかってからも、主演が役から抜けない状態となるので、演出家としてのスピルバーグは物凄いレベルにあると思いました。いやぁ・・何度でも観たくなる映画のワンシーンですね。

 

 

この映画の全体を通して、観ているだけで感情を揺さぶられたのが、劇中にそうして創られた上映会の様子でした。

それを観ている時の観客の様子がネ。友達とか親とかではなく、映画を楽しんでいる観客の表情になっています(^^)

 

 

彼が作った映像作品を、観客も劇中の家族や生徒たちと一緒になって鑑賞出来るのと、それを見る観客の反応も青春絵。

 

 

皆で作った映画を上映するというアリゾナ編の青春っぽさ。

卒業遠足の撮影係を任されたスクールカースト下位の目立たぬサムが、単なる記録映像に仕上げず、ドキュメンタルコメディ作品に編集し、拍手喝采で認められるカリフォルニア編。上映会の様子は、右肩上がりに気持ちが上がっていきました。

 

 

特に「引き立て役」も「ヒーロー」も1本の中に仕立てる卒業パーティー映像は、観ているだけで感極まって私の涙腺も緩みました。彼が映画人として歩いていく過程にこの上映会があるんだと思うと、なんだか誇らしい気分になったのです。

 

 

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先のゴールデングローブ賞で、今作品は作品賞(ドラマ部門)と監督賞の2部門を受賞しています。

 

日本では今週公開された『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』がコメディ部門で作品賞を受賞し、アカデミー賞でも2強になると呼ばれていますが・・

 

 

私としてはアカデミー賞も主要部門は作品賞と監督賞の2部門が『フェイブルマンズ』で良いのではと期待します。

 

 

演技部門からは【ミシェル・ウィリアムズ】[42]が主演女優賞にノミネートしていますが、今作での演技を見ていると・・個人的には彼女の演技が少々鼻(オーバーリアクション)につくので(^_^;) ここはミシェルはミシェルでも・・アジア人初の受賞がかかるミシェル・ヨーが大方の予想通りになるかなと。

 

 

これまで4度のアカデミー賞にノミネートしているミシェル・ウィリアムズですが、オスカー像は手にしていません。彼女が出始めた頃から映画館で出演作を観てきましたが、どこか演技&演技しているように私には視えるんですよね。レニー・ゼルウィガーみたいなタイプかな。功労者ですが、円熟味が増すのはまだ先のような気がします。

 

 

スピルバーグ映画の素晴らしさは、子役選びと、その子役の演技を最大限に映像で引き出せる能力。

出演者や制作陣はみなファミリーで、家族一丸で素敵な映画づくりをしているように想わせてくれます。

 

 

俳優部門から、劇中の中盤に10分ほど登場する、叔父さん役【ジャド・ハーシュ】[87]が助演男優賞にノミネートされています。

出演時間は短いけれど確実に印象を残したキャラクターで、映画会の大巨匠となるサム(スピルバーグ)に「芸術は栄光をもたらすが、一方では胸を裂き孤独をもたらす」とアドバイスし、人生の岐路に経った彼に大きな影響をもたらします。

 

 

 

 

叔父さんが訪問する前夜に、母親の夢に、死んだ母親(サムからみて祖母)が出てきて、明日、招かざる客が来るから家に入れるな!みたいな展開があるのですが、ここの祖母の夢枕の描写を考えるのも興味深いですね。映画はあくまで趣味にと、手に職を求める父親と、芸術に理解があるピアニストの母親。その前に現れた叔父はアメリカを旅する元サーカス団員の自由人。

 

 

劇中で観ている時間より、今こうして思い出して書いていると、ジワジワ上昇してくるワンポイント・キャラクターです。

 

 

そしてなんと言っても劇中に流れるサウンドがたまらなく良かったです!!

 

 

音楽を担当したのはアカデミー賞作品の巨匠【ジョン・ウィリアムズ】で御年91歳。

 

8ミリフィルムの映像が流れる中で、まるで奇跡みたいな、作品の進行を一切邪魔しない音楽が流れていて、映画の世界に連れて行ってくれました。

 

 

毎年、力作には沢山出逢っていますが

これほどの映像体験が出来るのはスティーブン・スピルバーグ作品だけのような気がします。

私の好き度が高いのかも知れませんが、映画の世界に引き込まれて行く感覚が、他の作品より強いんですよね。

 

 

エンタメ性もあって、その中にユーモアだったり、人の心の純粋な部分に触れる温かさが投入されている。

 

 

私自身2時間を超える最近の映画の風潮には苦言を呈していますが、都合がいいようですが、時間の進み方が早く感じた2時間30分でした。

 

 

普段は買わないポップコーンを買いました(笑)

純粋に映画を楽しむ気が満々でした。

 

 

映画を観て、その帰りに、お茶や食事をして映画の話で盛り上がる。スピルバーグにはそれが似合う。皆が楽しめる。

 

それこそ映画の在り方なのかもしれません。

 

 

アカデミー賞でよく言われる。

 

こんな映画、観たことない!

 

・・ではなく

 

こういう映画を観たかった!

 

です。

 

 

 

期待以上にいい映画でした。

This movie will win an Oscar!

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 15点

演技 15点

構成 16点

展開 13点

完成度14点

 

 

[73]点

 

 

 

明日13日のアカデミー賞で、この作品が大賞を受賞されることを心から願っています(^o^)

 

 

 

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