昨日は激しい二日酔いにより、一日おとなしくしていた。パソコンであれこれググっているうちに、先日訪れた成田空港の更にディープな事が判り、是非また訪れたくなってしまった。5日前と同様北向きの離着陸なのだが、またひこうきの丘では能がないので、今日は「さくらの山」へとやって来た。ココから離陸姿を撮るのは厳しいという事は判っていたのだが、重量が重くて離陸距離の長い大型機ならなんとかなるのではないかと思って来てみた。
しかしこれから飛び立つ飛行機は小型機ばかりだった。例によってデジタルズームを使用した800mm相当でノートリミング。特大サイズではないが、適度に背景が映っており、バランス的には好みだ。ただこの赤白の派手な構造物が映っている事は果たして良い事なのか?(多分駄目なのではないか…)
頭を上げた瞬間とか、画面いっぱいに映った所(ただし腹しか見えない)とか、色々撮ってみたのだが、結局はこの構図がお気に入りのようだ。ただこの次に離陸する予定の機体が写ってしまうのはどうか?。ずらりと並んでいたら良さそうだが。アリタリア航空の機体を見る度に「ランチャストラトス」をどうしても思い起こしてしまう。宣伝効果は絶大だったと言えるのではないだろうか。
またもや小型機。ただでさえ巨大な上に、離陸距離の異様に長い747の貨物機といった大型機だったらどんな写真が撮れたのか興味深かったが、当分離陸する予定はなかったので、諦めて次の場所へと向かった。
オートパーラーシオヤのうどんそば自販機にも流石に飽き、梅ちゃんに教えてもらったローソンの「げんこつメンチ」が最近のマイブームだ。このローソン、店名は天神峰店だが、あの「東峰十字路」のすぐ傍にある。県道44号の北側が天神峰で、南側が東峰なのではないかと睨んでいる。本物の十字路があった場所は空港に飲み込まれてしまい、道の線形が変わった為、ココが現代の東峰十字路と言っても良い。昨日この界隈の航空写真を穴が開きそうな位みつめて何やら怪しい区画を見つけたのでその周辺を注意深く見ながら車を走らせていると…
このような碑を発見。すぐさま車を向かいの空き地に(勝手に)止めて近づいてみた。
更にそこから100m近く南側に3つ目を発見。ココは廃道のような空港敷地内のような所にあり、すぐ傍に警備員が立っていてヒヤヒヤものだったが、訪れない訳には行かなかった。この廃道風の道がかつての東峰十字路へと続いていた道だ。昭和46年9月16日に起きた東峰十字路事件の詳細は
ココに記されているが、その内容は極めて凄惨なものなので、読むにはかなりの覚悟が必要だ。3つの碑に対して、献花もしなければ手を合わせるような事も特にしなかったが、この場からなかなか離れられなかった。
ココ「木の根ペンション」もまた、とんでもない場所に建っている(というか周りが変貌した)。ここもかつては「団結小屋」だったようだがその後改修し、ペンションとして不定期に営業している模様。個人の敷地へと伸びる道なので流石に行きにくかった。…が、いづれは訪れなければ。出来れば宿泊させてもらいたい。
それから航空博物館へとやって来た。入館料は大人500円だが、JAF会員だと2割引ときいて、わざわざ会員証を取りに戻った(笑)。ココへ来るのは飛行機写真に凝っていた頃以来なので、おそらく20年振り位だ。
以前訪れた時は、DC-8とYS-11の断面が展示してあったのを覚えているが、今回はそれにB747の輪切が増えていた。客席が2階建てになっており、「地下」が貨物室になっている事がよく判る。
だがその貨物室には何故かNSR500Vが脈絡なく置かれていた。隣の大型ディスプレイにはその詳細スペックが記されていたが、まったく意味が判らない。LD-3型コンテナ(の輪切り?)で良かったのではないか?
2階東棟にある1/800スケールの成田空港の巨大模型。だがどうしても気になるのがやはりこの付近だ。東峰十字路は道が付け替えられないまま空港に飲み込まれている。「への字誘導路」は改修後のようだが、それにしては異様に道幅が狭い。そして東峰神社は記されていない(印部)。
こちらはC誘導路付近。地図には記されていない(が航空写真には写っている)横堀大鉄塔はやはり再現されていないが、その鉄塔の為に滑走路が曲げられ(手前印部)、滑走路としては役にたたずに「C誘導路」としてシケイン化され使用されている様子は再現されている。また木の根ペンションは後方印部に建っている。こちらはC滑走路の使用にはギリギリ影響しない模様。
西棟屋上にある展望台。34L滑走路に着陸する飛行機を午前中に見るには良い場所だが、15:46、例の不細工な飛行機が微笑みの国から到着したものの、夕刻はご覧の通りの大逆光だ。午前中はココで撮り、午後はひこうきの丘に移動すれば一日中良い飛行機写真を堪能出来る。但しそんなにずっといたら飽きそうだが…(笑)。
そこから視線を50度程左にずらすと、このような構造物が今も残っている。かつてこの地には、高さ60mの「岩山大鉄塔」がそびえ立ち、航空機の着陸を妨害していたが、1977年5月6日に強制撤去。その翌日には着陸試験用のYS-11が早速飛来したという。これは1977年末に建てられた岩山要塞。鉄塔上部が天に向かっている写真を観た事がないのでこのままの姿だったのか、或いは飛行に支障のある部分だけが撤去されたのか、現在も当時のままの姿を保っている。
この仏舎利塔は、空港の平和利用と地域住民への完全補償を祈念し、昭和44年に現在の34L滑走路の南端に建立されたもの。空港反対が目的ではない点が他の妨害構造物と異なる。それらの合意を経て移築されたとの事だが、実際にこの地に建立されたのは平成13年。移築ではなく実質は新築のようだ。
北側目の前は日本貨物航空のエリア。B747貨物機がずらりと並ぶ。かつて日本航空と全日本空輸がB747を数十機づつ保有していた頃は、羽田等はジャンボだらけだったが、それも今や昔。日本の空からジャンボは消えた…と言われていたが、同社は現在でもB747-400Fを4機、B747-8Fを8機所有している。当初はそのカラーリングから全日空の関連会社だと思っていたのだが、元々は日本郵船系で、どちらかと言えば日本航空寄りらしい。
当博物館名物ともいえるジャンボの生首をこんな良い角度から見る事も出来る。このカラーリングからてっきりジャンボの初号機だと思っていた(し、そういう話を訊いた事もある)のだが、実際には2002年頃退役したノースウェストの200型らしい。螺旋階段がある機種を選んだとの事だったが、200型は普通の階段だったのでは?。詳細は見過ごしたので次回要確認。また館内には当生首が設置されるまでのドキュメントがスライドショー形式で放映されていたが、首をそぎ落とされ「残りはスクラップに」とテロップの入った首ナシジャンボ機の姿は妙に生々しかった。またこの生首部も、7個に分断されて輸送され、現地で組み立てられたのだが、よく見ると切断部分の表面には「当て」が施されている。勿論言われなければ判らない範囲である。
日も暮れてきた頃に博物館を後にし、すぐ近くにあるひこうきの丘にちょっと立ち寄ってみたものの、もう写真が撮れるような状況ではなくなっていた。感度をヤバいレベルまで引き上げ、しかも暗目に撮って増感(パソコンで補正)してやっとどうにかこんな感じ。当ブログで見る分には一見それらしいが、元写真は勿論酷いブレである。
57.2 18.5