何をしようか迷いに迷った名古屋での一日。向かったのは「ナイルのほとり」ではなく、名古屋港のほとり | PRYCE16写真日記(~2017)

PRYCE16写真日記(~2017)

このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

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チェックアウトの9時丁度に宿を出て名古屋駅へ向かうと、変な色のDD51が丁度やって来る所だった。稼動するDD51を間近で見るのは、98年に札幌駅に到着した北斗星を出迎えた時以来か?


 

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側面の形態が左右非対称なEF64 1000番台牽引のコンテナ貨物列車…としか書かないとまるでシロウトなので、「南長岡を前日の15:56に出発し、名古屋貨物ターミナルまでゆく7092列車」と付け加える。ダイヤグラムには掲載されていない為、(帰宅後)探すのに難儀した。


 

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それからやって来たこんな電車に乗る。この意匠はどう見てもゆりかもめのものだが、普通の線路上をゆく。


 

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度々話題にするこの派手な傾張橋を、電車の車内から見上げる事になるとは思わなかった。


 

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やって来たのはリニア・鉄道館。入館してまず通る「シンボルホール」に足を踏み入れた瞬間に目の前に現れるC62 17に度肝を抜かれる。無煙化時に解体をまぬがれ、長く公園で展示されていたものを、当館開設にあたり徹底的に当時の姿に戻したものである。まるで動態保存機かと思う程に光り輝いている。ただでさえ日本最大の蒸気機関車C62である。これだけでも感動的だというのに、当機は1954年に狭軌SL世界最速の時速129km/Hを記録したレコードホルダーである。電車方式として当時世界記録の時速443km/Hを記録した955形(300X)と、超伝導リニアとはいえ鉄道最速記録である時速581km/Hを記録したMLX01-1と共に並ぶC62 17のあまりの存在感に圧倒され、闇に乗じて密かに落涙した。


 

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車両展示エリアには、これでもかという位に実車が所せましと並んでいる。JR東海の管轄だけあり、新幹線車両は充実している。つい先日引退した300系を、量産車と試作車とを並べている所が凄い。フロントウィンドウの末端の処理が微妙に異なる点が注目所だ。300系には2007年の大阪マンマの帰路に乗った。服をかけるフックが、座席に対して1つしかないのが特徴だ。


 

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御存知0系こと初代新幹線。もう随分前に完全引退した筈だが、ボクの中では今でもこの姿が「新幹線」だ。


 

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0系内部。国鉄/JRの特急に乗ったのは97年の廃止直前の横軽に向かう189系あさまが初だったが、両親共に兵庫出身なもので、新幹線には幼少の頃から親しんでいた。なのでこの光景はあまりにも懐かしい。


 

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この洗面台も懐かしい。当時新大阪まで3時間10分もかかっていたので、車内は格好の遊び場だった。先頭車から最後尾まで散歩に行ったのは勿論。ビュッフェの速度計や、食堂車の脇通路も思い出深いが、その両者共当館に保存されている。グリーン車をも平然と横断出来たのは、子供ならではか、それとも当時がまだおおらかだったからか。


 

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小学生の時分、「黄色い新幹線があるんだよ!」といっても誰も信じてくれなかった。当時はまだ新幹線に接する機会のあるヒト自体が少なかった。これらの人達が100%新幹線に接したのは中学校の修学旅行だったか。

 

 

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通勤の為に毎日東京駅を通っているので、こんな電車は毎日のように見ていたが「ぎょろ目」は珍しいかもしれない。近年のシールドビーム車にはない味がある。だが更に特筆すべきは、当車両がクハ111-1である事だ。


 

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181系特急気動車。エンジンの出力不足に悩まされた82系気動車をターボ化したものだというのと、制御車以外は屋根上がラジエターで埋め尽くされているという事だけは知っている。列車名が掲げられているのでこれが181系だという事は判るのだが、なかったら82系との区別がつかない。国鉄の101系と103系や東武の8000系と3000系を見分ける時のように、何か小さな違いがきっとあるのだろう。なお当館には長く美濃太田で保存されていた82系も収蔵されている。


 

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2階の展望回廊のEF58とC57。当館は何故か、2階から撮るとどれもが鉄道模型のように見える。


 

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同じく2階から。一通り拝見した車両を一望出来る。パリのモンパルナスタワー効果がここでも味わえる。


 

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屋外展示のオリジナルカラーの117系。晩年の117系は変な色に塗られ、しもぶくれでぶさいくな印象しかなかったが、この塗装は今見ても格好良い。それまではスペシャルカラーをまとった153系が「新快速」というヘッドマークを誇らしげにかかげて京阪神間を爆走していたが、ポートピア81の頃に117系に置き換わった。そのどちらも見た事があると書くと、歳がバレそうだ。


 

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屋内の車両は着座禁止であるが、この117系の休憩スペースになっており、ここで弁当を食う事が出来る。


 

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なので館内でご当地モノの駅弁を購入。駅弁鉄道の旅が無性にしたくなった。


 

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この手の施設には、今や必要不可欠となった鉄道模型ジオラマ。名古屋駅前が忠実に再現されている。


 

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見よ!この野外コンサート会場のすさまじい人の数を。後方では熱中症で倒れ、看病されている人までいる。


 

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新幹線検修庫の脇では交通事故も起きている。この他にも、ウサギとカメが勝負していたり、金太郎が熊と相撲をとっていたりと、あらゆる所に見所がちりばめられている。このノリはリニア情報館のジオラマに通するものがある。もしかしたら鉄道車両の方が添え物なのかもしれない。


 

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再び展示スペースを2階から。やはり模型が並んでいるように見える。そしてジオラマを見た後なので、写っている人々までもが、精巧に作られた人形のように見えてしまう。


 

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帰路に見たDD13疑き。1986年頃に新鶴見操車場の片隅に20重連位で留置されていたのを見て、子供(?)心にも、「廃車待ち」であると直感した。なので21世紀になり、稼動するDD13を見れるとは思わなかった。
(もどきだけど…。京葉臨海鉄道では色は変だがホンモノのDD13が今でも活躍してるけど…)


 

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帰路の14:10発のN700系のぞみ124号。自由席は座れないだろうと思い、40分も待って指定席を確保した。だがこだまの自由席はガラガラ。長く乗っていられるし、のぞみの運行を妨げない為に、駅間は全力でぶっ飛ばすという話も聞いていたので、こだまにすればよかった。もっといえば、ぷらっとこだまにすれば値段も安かったし、1000円増しであこがれのグリーン車にも乗れたのだ。だがアイーダを見るか、鈍行で帰るかといった事を迷っているうちにあっという間に席は埋まってしまった。


 

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富士川を渡る車内からの富士山。トラス橋梁にもかかわらず、奇跡的に邪魔される事なく綺麗に写った。


 

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自宅すぐ傍のターミナル駅で、東武8000系原型顔原型色に遭遇。何だか40年前にタイムスリップしたような感覚に陥るが、方向幕が白地黒文字でない所に違和感を感じる。


 

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更にはこんな、6050系改造の634形(?)との2ショットとなった。どうりでギャラリーが多かった。

 

今日も鉄道三昧だった。当ブログが元は自撮りブログであり、オートバイブログであった事をもはや完全に忘れてしまいそうだ。