新年初都心徘徊?! | PRYCE16写真日記

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このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

所用があり、先月舞台を観に入って以来1カ月ぶりに都心に出た。なので当然街歩きへ。都心の怪しげな自販機ショップはまだ健在。ポップコーン自販機も復活していた。

 

 

大都会の下町の催しで展示されていた落書き可能な車。よく見れば黒板のような色だが、今の子供達は黒板やチョークなんて知っているのだろうか。そしてこの車はこの後どうするのだろうか。やはり廃車寸前というような兆候はない。このまま走りつづけて欲しい所だ。

 

 

早くも「ココは何処?」な区画に迷い込む。町名が記されているが、「北乗物町」とはまた古風な名称だ。昭和48年の地図への記載があったが、果たして現在はどんな無粋な名前なのだろうか…と思ったら、何と現存する町名だった。旧町名が残る数少ない区画だったようだ。

 

 

ココは見覚えがある。がしかし(店名でググらずに)ココへ行けと言われると結構苦労する。よく通るのに、いざ行こうとすると迷うという場所は多数存在する。

 

 

何処かの橋の上であり首都高の下である事は予想がつくが、ココは覚えがある。日本橋だ。25年後にはこの首都高速がなくなるとの事だが、流石にそれを見届ける事は出来ないだろう。リニアを見届けるのも怪しいが、あれは夜の旅客機と同じで、気づいたら名古屋というだけのものであり、まったく興味がない。開通後も中央本線がJRで残存する事を強く望む(そうすれば青春18きっぷで名古屋日帰り往復が出来る!)。

 

 

日本橋のすぐ横にある旧日本橋野村ビルディング旧館。足場に囲われ、「解体か!」と懸念されたが、綺麗な姿となっていた。但し内部は変わり果てた姿になるであろうが。

 

 

滋賀物産館。あの映画の影響で「飛太」が多数並ぶ。当時はまだ子供がサッカーをする時代ではなかった為、サッカーボールは後付けだろう。しかしこのポーズはどうみてもサッカーボールを夢中で蹴っている姿にしか見えず、フライやゴロを夢中で追っている少年には見えない。来たるサッカーブームを当時から予見していたのだろうか?!

 

 

警察博物館にて。鑑識用のカメラがP社製ではない。レンズもストロボもストラップもN社製だというのに、本体だけは何故かF社製。しかもプロスト。いったいどういう力関係だろうか?

 

 

三愛ドリームセンターの解体が随分進んでいた。自分には無縁な高級な場所だと思っていたが、リコーイメージングの講座他で何度か入る事が出来たのは良い記念だった。会員だったのだからもう少し無駄に入りびたっておけば良かった…

 

 

↑GR3 ↓iPhone14 どっちが美味しそう?

有楽町からJRに乗り、品川駅構内の吉利庵で冷やしかき揚げそば大盛。かき揚げは大きいが、崩せば適量。麺は2倍盛りらしくものすごい量だったががなんとか。味は良かった。

 

 

同じ駅構内にある「常盤軒」とどちらにしようか迷いそうだ。

 

 

品川駅から横浜駅を目指すが、途中の川崎駅から変な色のヨ231系に乗り換えて一駅。

 

 

更にそこから浜川崎支線に乗り換えると、見た事もない車両がやって来た。新型かと思ったらそうでもないらしい。

 

 

座席上に居座っている変な箱は後付けのATS-P装置。客の多くは小田栄駅で降りていた。

 

浜川崎駅で鶴見線に乗り換える時には、ICカード改札にタッチしてはいけない事がよく見ると小さく書かれている。一筆書き乗車中に誤ってタッチしてしまうと顔面蒼白となるので要注意。

 

 

浜川崎駅南部支線側。上は鶴見線と東海道貨物線とを結ぶ線だが、もう列車は走らない。

 

 

浜川崎駅の鶴見線側。跨線橋下の店は、平日の1630~2300の間営業するらしい。

 

 

鶴見線改札。やはりSuica改札はタッチしないが、もしココでタッチしたら何が起きるのか?!
 

 

鶴見線浜川崎駅ホーム。ココから後ろ方面へ向かう列車は極端に少なくなる。

 

 

やはり見た事のない電車がやって来たが、こちらはホンモノの最新車ヨ131系。しわしわずカラーのE129系と何が違うのか知りたいような気もするが、JR車には元々あまり興味がない。「国鉄形が絶滅したら鉄道ファンをやめる!」と10数年前に冗談半分に高らかに宣言したが、いよいよそれが現実のものになろうとしている。
 

 

都心の駅(のはしくれ)なのに、一部木造の柱が残る。必要にして十分。

 

 

鶴見駅の乗り換え改札をはじめてみた時には「一筆書き乗車が打ち切られてしまうのでは…」と恐怖し通れなかったが、単に残高を表示するだけで記録はされないとの事をネットで調べて知った(JR職員でもないのに何故そう断定出来るのか不思議だが)ので、堂々とタッチしようと思っていたのだが、改札機は撤去されていた。

 

 

鶴見で京浜東北線へ乗り換える時に単機のEF65を見かける(2074)。
 

 

横浜から品鶴線に乗り新川崎で下車。目の前の新鶴見機関区には多数の機関車が停泊している。
 

 

GR3で撮影した写真を拡大してみると、機番がかろうじて読めるような読めないような…。2065のように見えるが、昨年末に大宮工場へ回送されている。という事は2066号機か。

 

 

こちらは2090号機である事が(拡大すると)はっきりと判る。

 

 

こちらのパック(2089号機)は肉眼でもかろうじて読めた…気がした。

 

 

2085機。しかしEF65の姿は僅か4両しかなかった。つい先日訪れた時には8両はいたのに…。(JR貨物で)実働しているのは15両程になってしまった。
 

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