今年のドブ川2019。及び目黒勤務時代の思い出の地巡り。 | PRYCE16写真日記

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このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

2007年3月30日。記録開始。

 

2008年春、画面右端の茶色いマンション(大、小)が建った。

 

2009年3月31日。日本書道専門学校の建物がなくなり、円柱タワーマンションが建った。

 

2010年4月6日。円柱タワーマンション背後のビルが完成した他は特に変化ナシ。

 

2011年4月8日、日本書道専門学校跡地に建物が建った。

 

2012年4月12日。円柱タワーマンションの麓に建設中のビルの緑の覆い。

 

 

2019年4月7日。円柱タワーマンションの手前に首都高速山手トンネルの換気塔が完成している。77mmで撮影したものをトリミング。

 

 

ちなみにこちらはP7100で撮影したもの。露出オーバーでもないのに桜が妙に白っぽい。

 


通勤途中と違い、今日はこんなにもにぎわっていた。

 

 

2つ先の橋から山手通りに出てみる。見慣れた光景だ。

 

 

だがローソン前から反対側を向くと、よく似た見慣れぬ高層ビルが建っている。

 

 

見慣れたバス停だが、そこにはLA ISLA BONITAの姿はない。

 

 

再び川辺へ。こんなヒトが提灯を出している。

 

 

高さ150mを誇る、目黒の象徴のようだった清掃工場の煙突が残りあとこれだけとなっていた。NHKの重機番組で解体の様子がとりあげられていたのを見て知り、桜の季節に訪れてみようと思っていたのだ。

 

 

在りし日の煙突及び清掃工場建屋の雄姿。その後、同じ高さの近代的な煙突が再び建つという。

 

 

通勤途中の目黒川の桜のレポートのタイトルは「今日のドブ川」だった。あの頃は絵筆を洗った水のようなものすごい色をしていたが、今ではまるで清流のようである。

 

 

鳥も清流で小魚を追う。色だけでなく機能的にもドブ川のようなものだと思っていたのだが、、一応生態系が存在しているようだ。

 

それからかつてのちょっと遠回りな通勤帰路を通り、そこから少し外れて西郷山公園へとやって来た。ココもかつて「北の国から」を初めとした数々のロケに使用されているのだが、昨日は何と凸凹凸凹がココでチェキ会をやったそうである。

 

 

宴会禁止の看板のすぐ近くで盛大な宴会が開かれている。同様の警告が出されていた目黒川で宴会をしているヒトは皆無だったというのに。そしてこんな状況で、一体どういったチェキ会が開催されたのだろうか。昔と違って詳細なレポを上げていた人が「他界」してしまった為、イベントの全貌は不明だ。

 

 

公園の目の前には代官山LOOPというライブハウスがある。ココも一時は毎月のように通っていた。

 

 

流石はリミテッドレンズ。イイ色出しているではないか!と思ったらP7100だった。

 

 

再びかつての通勤経路に戻る。この広場は、かつては「エスフォルタ渋谷」の広告がなく、一面のガラス貼りだった為、ダンス系の学生達が夜な夜なココで課外レッスンに明け暮れており、そんな世界には(当時)うとかったボクでも、目が釘付けになるようなものすごいパフォーマンスを披露していたものだ。その後、何か問題があったのか、現在のようにどうでも良いステッカー広告がガラス部分に貼られてしまった。単に若者達がうるさいという程度の理由でこのような仕打ちをしたのならば、随分酷い仕打ちだ。

 

 

そのすぐ近くにあるビルの一角に、かつての五島プラネタリウムで活躍した投影機が保存されている。泣く子も黙るZEISS製。昭和30年代初頭ので7000万円程だったという。現在の価格では15億円程にもなる。1億円を超える物ともなると、それが高いのか安いのかはイメージしにくくなるが、EF210型電気機関車が1両4億円程度という事を考えると相当の高額である事が判る。当時円が安かったとはいえ、それをふまえてもゼロが1コ多いような気がする。やはりプラネタリウム投影機はこの鉄アレイ型がしっくりくる。おわんに浮かべた野球ボール型は論外として、2つの光球部が中心部に寄ったモリソン型ですら違和感を覚える。まあ魚眼レンズを用いたプロジェクタータイプに比べれば遥かにマシではあるが。

 

 

先程の広場で鏡もないのに練習をしていた一団がやって来た。ココは五島プラネタリウムに変わる新たなプラネタリウム施設が入っていると共に、大きな劇場も併設されている。かつてココで元劇団四季の大口嬢と初めて言葉を交わした場所でもあり、実は非常に思い出深い場所なのであった。

 

 

この坂を少し登った所にあるライブハウスは、初めて「姫charat」目当てで、お金を払ってライブを見、またその時の対バン相手がCandyGo!Go!だったという大変思い出深い場所だ。そんな坂の様子を着物姿で撮影する美女の様子を撮影。

 

 

同じ坂で、何やらゲリラ個撮が行われていたので、それを勝手に便乗。P7100ではあるが、一応それらしく撮影させてもらう事が出来た。この位置からだとこれ以上アップにすると、桜が写らなくなってしまう。P7100、105mm相当。

 

 

かつて渚奈子嬢生誕が行われたDESEOや、BAND-MAID(R)のワンマンが行われたもの激混みで、モニターですらその姿を見るのが困難だった乙…と書いて「おつ」ではなく「きのと」と書くライブハウスがあった思い出の界隈が再開発の波に飲まれていた。少し離れたDESEO-MINIやスタジオ音楽館といったやはり思い出深い場所も含めて、ごそっと一帯が再開発の波にに飲まれてしまっていた。(DESEO/乙はもう少し先だった)

 

 

乙とDESEOはまだかろうじてこの町内地図に名前が残っていた。

 

 

一旦は帰路につくものの、少し物足りなかったので一駅手前で降り、聖橋の上でカメラを構えると、程なくして「三線交差」に遭遇。運が良い。この時だけは回りにいた同業者の方々の顔色も変わった…のを、見た訳ではないが感じた。43mm。

 

 

すっかり様変わりしてしまった神社にも立ち寄ってみる。

 

 

毎日のように…は少し大袈裟だが、週に何度かは通っている電気の街。ただし今日はいつもより明るく、そして「ホコ天」となっていた。

 

 

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