性別変更に手術は必要か? | Aprikos blogg

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色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

こんばんは。(^^)

 

読売新聞記事より

 

昨日の最高裁の判断についての記事です。

 

一部には「はぁ?」ってなる部分もあるのですが、現時点での司法の判断としましては妥当とも言えます。

 

性別適合手術については、その人の意思も当然ですが、例え手術したくても体力や精神的な面で医者がゴーサインを出さないケースもありますので、結構難しいのです。前にも書きましたが、ただでさえ大きなリスクを伴いますから、手術で命を失ったり、精神疾患になったりしてしまうことは、出来れば避けたいです。

 

違和感を取り払い、少しでも安定した…こういうと誤解を招くかも知れませんが、楽になりたいから。

 

ただ、その楽になりたい(安定したい)ための手段として、手術が絶対という訳でもなく、これは人それぞれですが、服装や生活スタイルを望む性に変えていくだけでよい人もいれば、ホルモン治療を受けることで、ある程度望む性に近づけるだけで精神的に安定する人もいます。

 

ただ、これらは個人的な問題とも言え、性別変更になりますと社会的な部分が大きく関わってまいります。例えば保険証や銀行口座など、本人を証明するものが大きく変わりますし、それだけでなく、精神的に繊細な事象に対して世間がどこまで受け入れてくれるのか?といった問題も絡みますので、難しいです。

 

世間には未だにそれを望んでそうなっているのだろうなどという誤解もあるのですが、ひとこと言わせてもらえば、「望んでそうなったのではない!」ということ。結構悩みますし、きついのです。

 

LGBT'sにはいろいろと誤解が未だにあり、それが差別にもつながっています。生まれた時からそうだったというだけで、誰も望んでいませんし、むしろ周辺に流れている「常識」の中で悩んでいるのが現実だったりします。それでも、精いっぱい生きていますし、社会の一員として頑張っている人達ばかりだったりします。なので、「生産性」という言葉で排除しようとする人たちの意見にはやはり嫌悪感を覚えるのです。(--;;

 

今回の判決は現時点の日本社会からの答え。

 

ただ、一部の裁判官から「規定によって望まない手術を受けることもあり得る」との指摘もあったそうですから、時間はかかるかも知れませんが、いずれはこの答えも変わる可能性が高く、希望がまだ残っているところが救いだと感じました。まぁ、当事者としましてはあまり、のんびり出来ないのも本音ではありますが。A(^^;;

 

ヒマワリあぷりこっと

コミックスでよくある「目覚める」ということはまずないです。これも大きな誤解。あるとすれば、「元からそうだったけど、(今まで)気づいていなかった」だけなのですよね。A(^^;;