体罰問題 | Aprikos blogg

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色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

こんにちは。(^^)

 

今日も体罰問題でお昼のバラエティーは盛り上がっています。

 

指導者の認識が古いとか、親御さんの考えが古いとかいろいろ…

 

実際に手をあげる暴力は悪いけど、言葉の暴力はある程度容認とか…

 

いろいろ意見が出ていますが…

 

子供の気持ちはどうなのかな?

 

習い事にしましても何かをするにしても、主役は子供たちのはずで、その自主性が最も重視されなくてはいけないのでは?

 

勝利の美酒や何かで評価されるということは、今までしてきたことに対してのご褒美にしかすぎず、それだけが人生の全てではない気が致します。

 

そしてそのことで、誰かが偉くなったり凄いものになるということはありえず、結局はその人はその人でしかない…変わらないはずなのですが、誰かが高い評価を行って喧伝すると、それが正しいことのように独り歩きしてしまう。

 

そんなことを考えていますと、人というものは権威やブランドにめっぽう弱く、どこかで自分の感覚よりも他人の評価の方を優先して生きていくものなのかも? とか、思ってしまい、少々寂しく感じたりもします。

 

もちろん、人というものは一人では生きていくことは大変困難ですが、集団になると自我と集団(社会)心理とがごっちゃになりやすいと思いますので、どこかでバランスをとることが必要なのではないでしょうか?

 

特に集団で行うスポーツや芸能や企業活動などでは、集団内での評価やヒエラルキーがどうしてもモノを云ってきますから、なおさら難しいですよね。

 

縦割り社会の方が命令も素早く伝わりますし、下にいる者たちを支配して、駒の一つとして使っていくことの方が組織としてはやりやすいのかもしれませんが、それは結局幻想にすぎません。

 

ある日突然、反乱を起こして革命が起きることだってあるわけでして…独裁者の末路ってどれもそのようなものですよね。

 

歴史がそれを証明しているのに、未だに学べない。人間ってやっぱり愚かな生き物なのでしょうか…

 

暴力や体罰は連鎖していき、最悪多くのものを破綻へと導く。殺し合いになったり、奪ったり盗んだり騙したりする(お金持ちになる最も手っ取り早い方法)最悪の世界になってしまう。勝利至上主義、結果がすべてだとすれば究極、そのような世界が最も良いってことになってしまいます。

 

そんな殺伐とした世界、嫌です。

 

恐怖や支配、殺し合いや奪い合いなどがまかり通る世界がすごく嫌だから、第二次世界大戦後、平和を皆望んだのでは?

 

色んなところに視点が向いてしまって、脱線気味になってしまいましたが…

 

 

結局、体罰や暴力をなくそうと思ったら、親御さんの勧めや周りの評価の前に、

 

本当にお子さんが望んでいること

 

に耳を傾ける。嫌だと思ったその気持ちも尊重することが必要ではないかなぁ~と、そう思った次第なのでした。

 

難しいですが、子供さんの自主性をもっと信じてみませんか?

 

人として間違っている、誤った方向へと行きそうになった時にそれを正すことが大人の役割のような、そんな気が致します。

 

未熟な私が偉そうなこと言えませんね。A(^^;; 不快に思われましたらごめんなさい。

 

 

ヒマワリあぷりこっと