悪用厳禁! | Aprikos blogg

Aprikos blogg

色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

こんばんは。(^^)

 

是枝監督の「万引き家族」、ただいま大ヒット中だそうですね。(^^)

 

是枝監督作品は、観る人に問いかけるスタイルになっていますので、結論が欲しい方にはモヤモヤしてしまうらしく、好き嫌いがはっきりしてしまいやすいと思います。(^^;;

 

映画の中で出てくる万引きの手口など、お子さんには刺激が強すぎる描写もあるようで、表現の自由と、配慮の狭間で悩ましくもなりますが、見る人の良心に委ねるしかない場合もあり、難しいですよね…

 

あれはダメ、これはダメ!と、規制ばかりかけてしまいますと、現実に目を背ける結果にもなりますし、残酷な現実がある世界で、それがなくなるようにするにはどうしたらいいのか?考えることも大事だと思うのですが、親(大人)としましては見せたくないのもまた現実で…

 

そういえば昔の映画や時代劇では、残酷な殺し方や血が噴き出るシーンなど、当たり前のように描写されていましたが、今はそのような描写はありませんものね。ただ、海外作品には時々、あまりにも残酷すぎる描写(「ジャンヌ・ダルク(リュック・ベッソン監督作品)」では、煮え立った大量の油を頭からかけて殺すシーンなど、壮絶なものがありましたし…)をしている作品も見受けられますけど…基準が分からん。A(--;;

 

そういったこともありまして、業界ごとに規制がかけられています。映画ですと、「R」指定が一番有名ですよね。(^^;

 

そして、ネットでもそういった規制が存在します。

 

特に、SNS関連ではとても有名な規制が、DMCA(デジタルミレニアム著作権法)だったりします。

 

これは元々、ある人物の著作権が侵害されたりした場合に、相手に対して削除やアカウントの凍結などを求めることが出来る権利なので、単にネットへの投稿記事の権利をはっきりさせるモノだったはずですが…手軽に申請できることが、

 

「気に入らない相手のアカウントの凍結」

 

などに悪用されていまして、現在問題になっています。何でこんなことをするかな?

 

確かにネットには、ヘイト発言やそれを煽る投稿で溢れています。その多くは、「民族」や「人種」、「宗教」や「国籍」や「性別」といった、ある集団に対して向けられていることが多く、たまに行き過ぎて「○○は○○だからこのようなことを言うのだ!」などと、個人攻撃に走ることもあり、それらを封印したくなる気持ちも分からなくもありません。

 

ただ、「目には目を!」というのはどうかな?と、思うんです。

 

けど、最近のツイッターで起こっているアカウント凍結事案の中には、明らかな嫌がらせのものもあり、これでは自由に発言も出来ません。

 

元々、自分の発言には見ている人の数に関わらず、それなりの責任が発生すると思うんです。もちろん、ただの呟きですし、それは壁の落書きと同じなのだから、それにいちいち責任も持てないし、目くじら立てる方も悪いという理屈も分からなくはありません。でも、ネット上ではそれでは済まされないのですよね。それに、壁の落書きだったとしても、それに怒りを覚える人もいて最悪、それが恐ろしい事件に発展することも…ですので、完全に責任がないとは言い切れないのですよね。

 

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と、かのマリー・アントワネットが発言したことがフランス革命へとつながった…と、日本の世界史では習いますが、これはどうやら違うようで、マリー・アントワネットはそのような発言はしておらず(元ネタは、ルソーが1766年に執筆した「告白」という著書の六巻目で書かれた一文だそうです)、彼女を妬んでいた貴族たちが広めたガセネタだったという話もあるぐらい、人の不満や憎悪というのは、とても恐ろしいものだと感じます。

 

実際のマリーアントワネットは、飢饉で苦しむ人々のために寄付を行ったり、寄付金を募ったりと、優しい方だったという話もありますので。人というものは分からないものなのですよね。

 

法律も表現も、本当は人がもっと豊かに、安心して暮らしやすくするものであるはずなのですが、悪知恵を働かせる人間にとっては、体のいい攻撃の武器や盾に使われることもあり、本当に両刃の剣だなぁ~と、考え込んでしまいました。

 

悪用、絶対ダメです!゛(`ヘ´#)

 

 

ヒマワリあぷりこっと

編集バイアスも、フェイクニュースも、メディアに関わらずたくさんあるのですよ。一人の強権を持つ人の発言には特に振り回されないように、様々な視点を持つことは重要ですね。こんな時代だからこそ尚更…(^^;;