均衡…対称性の破れなど… | Aprikos blogg

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色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

こんばんは。(^^)
 

ここ最近、人間関係やら何やらで色々あり過ぎまして。

それで、少しこのような事を考えてしまいました。


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ある国では、テロ活動と呼ばれ、別の国では、レジスタンス運動と呼ばれることがよく発生いたします。

同じように、ある国では残虐な殺人鬼ですが、別の国では、多くの敵をなぎ倒した英雄扱いとなることも…

どれが正しくてどれが間違いなのか。

実はどれも間違いであり正しいとしか言いようがないのですよね。(^^;;

視点の違いで、見え方や捉え方が大きく変化するだけで、その物事や人物は全く変わらないのですよね。不思議ですがそうとしか言いようがありません。

歴史認識で大きな問題はそこにあるような気がいたします。同じように民族問題や人種問題なども…


フォビアと呼ばれる人たちがいます。この言葉の意味は、「恐怖症」なのだそうです。そう、高所恐怖症とかのあの恐怖症です。高所恐怖症の場合は、「アクロ・フォビア」。先端恐怖症の場合は、「ベロネ・フォビア」という具合になるそうです。

私たちのような、いわゆる性マイノリティーの事を嫌う人たちをよく、フォビアと呼び、忌み嫌う事があります。私を怖がる? 何も危害を加える気が無くても、どうやら怖がられるようです。これが厄介。

マツコ・デラックスさんも仰られていましたが、「恐怖」はいつか「悪」に変わり、それを攻撃して排除するところまで行き着く…最も怖い流れです。でも、暴走が止まらないとそのように…

そうして最悪、ヘイトクライムにまで行き着いてしまいます。

そうなる前に、相手に理解を示してもらおうとしますが、これがなかなか…(--;;


何故そのようなことが起きるのか?

結局、私は「その人ではない」からだと言う事なのでしょうね。逆もまた然り。

元々違う個体なのですから、見えるものも聞こえるものも、感じるものも全然違うからなのですよね。「理解して!」と、望むことは即ち、「私になって!」に近いニュアンスを含むからかも、なんて思ったりしてしまいました。そりゃ、拒絶反応起こしますよね。(^^;; ある意味、相手の人格否定ですもの。

それでは、どうしたらいいのでしょう?

私個人が思うには、あ、あくまでも個人的な意見ですよ。(^^;;

河原に咲いている小さな草花を、私はかわいくてきれいだと思って、相手に見せても、その人にとってはただの河原の草花に過ぎなかったり。でもそれでいいのかもと思ってしまいます。相手が私がその花がきれいだと思っているという情報を得るだけでも。

そこで、「植物園に咲いていたバラの花の方がきれいだ」と言われたとしたら…私としましては、その人の価値観の一端を垣間見れたような感じがして、相手へのとっかかりと言いましょうか、そのような情報を得られて少し嬉しくなったりします。河原の草花とバラの花という価値観の違いが分かっただけでなく、「花を美しく思える」という共通の情報も同時に知ることが出来たからです。(^^)

フォビアに限らず、全てを理解してくれなくても、共通の部分を持てたら、最悪へと向かう事はなくなるのかも…理想論過ぎますか?(^^;;

フォビアが私たちを嫌うように、私達もまた、そういう人たちへと恐怖を抱く。それは永遠になくならないのかも知れません。ですが、何かのとっかかり、何かを共有できることが出来れば、何事も起こらず、うまい具合に均衡を保てるのかな…

ですが…

南部陽一郎さんのあの理論ではありませんが、人の性の部分での「対称性の破れ」みたいなものが発生しているから、マジョリティーとマイノリティーが発生し、それがフォビアを生む…まさか、ね。(^^;;

…まだよく分かっていない暗黒エネルギーの正体が、実は性マイノリティーだったらどうなるのでしょう?やはり逆転する?(をい)ゞ(^^;;

私の願うことは、望む性で何物にも指さされず、ごくごく普通に日常を過ごせ、人としての権利を人並みに獲得できれば、いいかなぁ~と。(*^^*) 今の世の中が、厳しいを通り越して、人非人だと感じているから、余計にそう思ってしまうのかも知れませんが…(^^;;


またまたぐちゃぐちゃですが、そのようなことを考えていた今日この頃です。m(u_u)m


あぷりこっと