願望法 (希求法)
というのを聞いたことがあるでしょう。
その名前の通り、
「○○でありますように」
というような、
話者の願望について語るときの動詞活用で、
マントラなど神様への祈念文にもよく出てきます。
(呪いをかけるときにも使われます)
「法」という用語だとわかりにくいですが、
法のことを英語ではムードmoodと呼びます。むしろその方が分かりやすいかもしれません。
つまり事実や客観的事象について述べるのではなく、話者の気分や気持ちを表わすんですね。
この願望法、
○○しますように
という願望の意味だけではなく、
○○かもしれない(可能性)
○○だろう(推測)
とか
○○すべきだ(義務)
○○せよ(命令)
という意味にも使われます。
文脈によって訳を考えなければならないので少しややこしい。
ちょうど、英語のcanやmustやmayに似てますよね。
命令法というのもまた別にあるのに、なんで願望法でも命令や義務を表すんだろう???
と疑問に思いますが
やっぱりもとを辿れば
願望法は話し手にとっての願望=「こうあるべきだ」=「当然だ」という前提をもとに話すときに使われているのだろうと思います。
最近ふと思ったのですが、
「○○しなさい」
という直接的な命令口調も嫌ですが、
「○○して当然なのに」という言外の圧力を込めつつの
「○○した?」
とか、
「△△の状態が当然なのに」という言外の圧力を込めつつの
「△△になってない」
という指摘が多いのも、けっこう精神的に疲れます。
特に、
あなたは○○して当然と思うかもしれないけど、私にとってそれは当然ではないですが?
と言えないような人間関係の場合は、ストレスたまりますよ。
もちろん日本語には願望法はありませんが、
「○○して当然」という言外の前提を匂わせている点で、
「○○するべきだ」という願望法と同じ用法だわ、と思いました。
このことに気付いてからは、イラッとする原因が分かって、
相手の言葉を客観的に見られるようになった気がします。