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A PASSAGE TO ....

袴田事件の犯人とされていた袴田巌さんの拘置が停止され釈放された。

折しも「13階段」という、冤罪を扱ったミステリーを読んだばかりで、まさかフィクションをはるかに上回るような酷い出来事があることにとてもショックを受けてしまった。

この事件、証拠が捏造されたとも言われているが、そんなことがまかり通っていたなんて、こんな理不尽な事ってあるんだろうか。

48年前と言えば私の生まれた年。

私で言えば、乳幼児期を過ぎ、学童期を過ぎ、学校を出て働いて、子供を産んでその子供が社会に出る。

48年、てそのくらいの長さがあったわけで。

袴田さんはその間、やってもいない罪を着せられ、いつ死刑の執行が行われるのかその足音に毎日怯え、人並みに勤労したりパートナーを得たりする機会を奪われてしまった。

捏造を指揮したとされる人物は裁きを受けることなく他界しているという。

捏造してまで犯人を仕立てあげる意味が理解出来ないし、(お金でも絡んでるの?と疑いたくなる)、そんなことが許されるなら明日は我が身だ。

そもそも捏造したしないの前に、真の犯人はいったいどんな人生を送ってきたんだろうか。

法の元に平等。

この言葉が虚ろに感じる事件だ。



人間生きていれば、自分の中だけではどうにも解決出来ないナヤミというのが発生するものである。

最終的に決断・行動・解消するのは本人であっても、それまでの間には、他ではなるべく語りたくないようなお悩みや、叱咤激励を貰いたいと思うことなど、100回や200回では足りないほど、たーーくさんあるものだ。

そんな時、人によって相談する相手は色々だろうけど、(「悩み」と言いつつ、自慢話(←特に異性関係)をしたいだけの人は友達だろうがSNSだろうが、のべつまくなしに「私は困っているのよ」アピールをするんだろうけど)、打ち明けたものの悩みの根っこの部分を理解されないとなると、やはり打ち明けるのは気が引ける。

相手にとっても、どう答えて良いか逆に悩ませてしまうことになるし。
(どちらが悪い、というのではなく、そもそもの頭の中の辞書(解釈の仕方)の違いの問題。)

私も今となっては、自分の中で噛み砕けないほどの苦悩も無いけれども(歳を経て悩む体力もモッタイナイほどハイブリッドになったので(?))、それでも何か助言が欲しい時には、やっぱり話す相手を選んでしまうだろう。

そんな時、私が話を聞いて欲しい相手は、
「シュールな笑いのツボが同じ人」
である。

好きな音楽が同じとか、趣味が似ているとか、感動した本や映画が同じ、というのも近いものがあるけれども、同様にシュールなネタで笑える、というのも自身が出せる人、って心を許してしまうかも。

笑いのツボが同じなら、どうしたら心が軽くなって、とうしたら笑えるようになるかと言うことの答えも、持っている気がするんだよね。



例)
最近なら流れ星の「ひじ祭り」のネタがツボ過ぎる。
ひじ祭りネタと筒井康隆さんのSFストーリーが被る、という人がいたらだいたい友達。


ずっと「京都のお寺で写経がしたい」、と思い続けていた。

お勉強は嫌いだったし、文章も下手だったが、なぜか字を書くのは好きだった。

たぶん幼少時には、文字を「絵」と捉えていたからだろう。
(その意味では音符も絵と見ていた気がする、今思えば。)

が、いつまでたっても京都旅行の計画も写経も実現されず、で数年が過ぎてしまった。

今年はどうしても自分の中心軸(心身共に)を見つけたくて、その為にはいったん自身をできるだけ単純化したい。

だったら、他者によって表現された言葉に影響を受けた自分の言葉ではなく、その大元の言葉をひたすらコピーしようではないか、との思いが強くなった。

で、京都にはすぐには行けないので、我が神奈川県で写経を体験出来るお寺を探してみた。

そうしたらあったんですねー、鎌倉の長谷寺に。

さすが鎌倉!!

ゴトゴトと木の床の江ノ電に乗って長谷駅に。



入山料を受付で支払い、梅が満開の境内に。



大きな池があって、外国から旅行に来たと思われる子供たちが初めて見たのか、池の鯉を見て、マミー大きな魚がいっぱいいるよー!と大はしゃぎしていた。

そんな彼らを通り過ぎて進むと、写経会場である慈光殿がある。



門をくぐると石の庭があって、その奥が写経会場。



中に入って写経用紙代を支払い、写経用紙を受け取る。

これは3種類あって、
・般若心経
・延命十句観音経
・写仏(十一面観世音菩薩像)
今回私は般若心経を選んだ。(一千円也。)

中はお喋りは勿論のこと、撮影も禁止なので、部屋に入るとシンとした空気が。。

でも決して冷たい雰囲気ではない。
冬の時期は床暖房も入っているし。

写経するために必要なもの(筆、すずり、文鎮、写仏のための筆ペン)は全て揃っているので、ご宝前にお参りして、いざ写経!!

すずりをするなんて何十年ぶりなので、どのくらいすれば良い色合いになるか分からず、そこで多少手間取ったが、細筆でひたすら般若心経をなぞること80分。

出来たー♪

最後に心願と自分の名前を書いて、志を添えて奉納する。
(写経したものは5月と11月の18日に執り行われる写経清浄会で経蔵に納められる。)

出来映えは、、、上手いとは言い難いが(手に力が入り過ぎて指が固まった。)、なかなかリズム良く書けたと思う。

ただ読み返すと、やはり気が散った箇所というのは分かるものだ。

「払い」の部分が雑。

あと、画数の少ない文字ほど乱れが出やすい。

例えば「不」。

何回も出てくるが、満足のいく不は最後まで書けなかった。

自分が書いたものは永代に保存されるといいことなので、心を込めて書きたいものだ。

第一回写経体験は、まあまあ納得したものの、ひとつ気がかりなのは、日付を二◯十五年と書いてしまったかも知れないことかな!?
(もはや確認出来ない...)