CRAZYは褒め言葉。 | centerswitchのブログ

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今日、明日は東京大学の入試らしい。

東京は天気は悪いが雪は降らず、まずまずのコンディションで受験生にはラッキーだったかも。



さて入学と言えば、最近「4月入学を9月入学にしようではないか」という議論が上がっている。

もちろん日本の美しい四季の感覚から、桜咲く時期をスタート地点にしたい、という意見も根強い。


確かに、現状だと風邪やインフルエンザが流行っている時期に入試を行っており、

また北半球の多くの国が9月入学であるから、

ここらで一度いろんな面から考えておいたほうが良いかも知れない。


ただ問題は時期だけではなくて、現在の入学試験の選抜方法にもある、という意見も後を絶たない。


東大卒で脳科学者の茂木健一郎さんから言葉をお借りすると、

日本のエリートは「恵まれた家庭において、敷かれたレールに乗ってきた人」

が多く、リスクを取れる人材が少ない、とのこと。


今のように点数の高い順から生徒を取る、というだけでは、金太郎飴的に同じような人材しか集まらない、と。



学問を積むことは非常に大事で、基礎的な勉強をせずに世界を渡り歩くことは難しい。


ただ日本のエリートと言われる人は、学生時代にグレたり周りに対して反発したり、

風当たりの強い中でも自分の主張を続けたり、ということはせず、

非常にリスクの少ない生き方をしてきているから、

リスクを取ることを怖がって思い切った事が出来にくいのではないか、

というのが大方の意見だ。


もちろん犯罪はいけない。


ただ人から怒られたくない、叩かれたくない、貧乏はしたくない等の理由で事なかれ主義の人が多いのも事実だろう。


日本が鎖国をするならいざ知らず、もし世界中の人々と今後付き合って行くならば、これからは教科書の勉強中心だけでは、なかなか難しいだろう。



そういう私は、学校の勉強が苦手だったし(勉強に対して粘りが無かった)、

それに対するコンプレックスは今も昔も変わらない。


だから大きな事なんてとても言えない立場だけれど、

大学時代にひとつだけ勉強になったことがある。



どうにかこうにか苦戦して滑りこんだ大学で、最初の2年はナメきった学生生活を送っていた私。


だが、3年生で入ったゼミで、ナメた学生生活は少し変わった。


ゼミの教授が、アイルランド系アメリカ人だったのだが、

まあとにかく「TALK,!TALK!TALK!」で、毎回自分の意見をガンガン出さないといけない。


それに毎回の課題が一筋縄ではいかないような問題ばかりで、

他のゼミ生と図書館で手分けして調べなけらばとても間に合わないようなものばかり。

(まわりの生徒も私と同じ程度の「出来」だったから、もう四苦八苦・・・)


ひとつ意見を言おうものなら「あなたの意見は分かるよ、でも・・・」と議論に持ち込まれてしまう。


ただ、ユニークなアイデアを出せば「あなたはクレイジーだ!」とよく言っていたものだ。


アメリカ人の先生にとっての「クレイジー」は褒め言葉。

人と違うことは評価されることだということだ。

(内容がとんでもなく素晴らしいものでなくても褒められた。)


ここで私は「批評すること」と「批判すること」は全く別なことであることを知った。



私の話はもう25年も前の話だが、日本の学校教育ってあんまり変わってない気がする。

変わっていないどころか、学力は低下するばかりみたいだし。

(私も子供を育てているので、自分の責任も感じてはいるが。)


だいたい、小学校でゆとり教育を進めてきた政治家たちの中で、

何人が自分の子供を公立の小・中学校に入れているだろうか。


自分たちの子供は私立学校へ入れていて、内情を全く知らないで議論しているのなら、

一体誰が公教育に納得できるのだろうか。


自分たちで作って施行した学習要領に間違いないなら、

まずは政治家の子供は公立学校に入れるはずだが、

私立に入れる人が多いのはなぜだろう。。。



なにはともあれ、どの学校に入学しても、どんな学習環境でも、

突拍子もない事をしたり言ったりする子供を潰してはならない。


その突拍子もなさ(=クレイジーさ)が日本を救うかも知れないのだから。