告白~罪と罰 | centerswitchのブログ

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A PASSAGE TO ....

今映画でも公開されている、

湊かなえの「告白」を読んだ。


本当は映画を見ようと思ったが、

たまたま誰か家の者が買ったか借りたかで、

家にあったのを今朝見つけたため、

夕方から一気読みした。


内容はとある中学校の女教師の一人娘が、

担任を務めるクラスの誰かに殺されたことを

告白する、という章から始まる。


犯人は第一章に明かされて、

それ以降は殺人に関わった生徒とその家族、

そしてそのクラスメイトの告白もしくは手記めいたものによって、

物語は展開をしていく。


私の捉え方としては、この小説は

「平凡な、どこにでもいる人達が、

それぞれちょっとした勘違いから、

ほんのちょっとだけいつもの行動から逸脱する」

ことによって結果的に大きな間違いにつながっていく、

という事の怖さを描いた作品だ、ということかな。。。


人が良かれと思って行動する。


が、自分の心の中のコンプレックスを正当化するために行動すると、

最終的には人のためにはならない。


でもそれぞれが良い事をした、と思っている。

もちろん自己満足だ。


登場人物は特にエキセントリックな人物というわけではない。

心に特別深い闇を持っているのでもない。


それがまた救いがたい結末となるのであろう。


読みながらドストエフスキーの「罪と罰」と被るなぁ、と思っていた。

「選ばれし者は社会規範から逸脱した行為も許される」

というラスコーリニコフに「告白」の登場人物が少し似ているからだ。


そうしたらやはり物語の中で「罪と罰」について語るくだりがあったので、

作者はドストエフスキーのその作品を意識していたのだ。


ただ、「罪と罰」はラスコーリニコフが罪の意識が芽生えるまでを描いたのに対し、

「告白」では一部を除き殆んどの登場人物にその意識は感じられない。

(「罪と罰」はキリスト教観が強いので・・・)


救済する観点が無いのが、また救いがたい。


ただ、私が「罪と罰」を読んだのが、

告白の中の子たちと同じ中学生だったのだが、

実は殺人犯であるラスコーリニコフについて、

「この悪党が!」という意識はなく、

淡々と「人ってそういうもんだ」くらいにしか感じなかったので、

実は「告白」って中学生くらいの子にとっては

案外リアリティがあるのかも知れない。


あと、この小説、息子の溺愛に対しては厳しいので、

溺愛傾向にある人は反発を覚えるかも。。。。


読み終わって映画を見るか迷っている。

他の人がどう考えてどう描くか興味あるし・・・