絶望的だったギックリ腰が回復に向っている。
それもこれも、ドクターのおかげ。
「来てもらっても意味がないのに」なんて考えは、傲慢というものでした。

我が主治医は、まず、いまの状況をゆっくり聞いてくれ、過去の症状と診断についていくつかの質問をし、なすすべもなくベッドの上に横たわる私をてきぱきと診察してくれました。そして、痛み止めの注射+薬の処方+学校への証明書類+来週のMRI検査と、プールでのリハビリ治療のアドバイスなどなどを、やさしい笑顔付きでやってくれた。

まだ30歳そこそこの若いドクター(しかもハンサム)だけど、私の絶望的な気分を察してくれ、また同時に私の性格をもその洞察力で見抜いたのだろう。
「この注射と薬で、たぶん明日や明後日にはかなりよくなるでしょう。ですが、治ったと思わないでくださいね。そこで動き回ると、さらに悪化しますから。必ず1週間は横になっていること。必ずですよ」と念を押しておっしゃった。

フランスでは、医者になるためには最低10年、学校で勉強。そして「病に倒れた人を、いかなる人であれ助けるべし」と誓います。なので、フランスの医者は、「お金がない」病人を拒否することはできず、無料で診察、処方する。そして、それを義務というよりも、みなが当然のことと考えているのです。

私はそれを聞いたとき、東京のかかりつけの病院のことを思いました。一番近所なので通っていた赤坂の山王病院。数十万円払って「会員」になれば、優先的に診察してもらえる、そのシステムのことを。グランドピアノが自動演奏しているホテルのようなロビーのことを。

「近所なのだから、何かあったらいつでも遠慮なく電話してくださいね」とやさしく微笑みながら、私に握手して、「では、さようなら」とドクターは帰っていかれました。

暗かった気分がすっかり晴れた私。医者は人間的に優れていなければと、あらためて実感しました。あたりまえのことなのに、日本はなかなかそういう医者におめにかかれない。オートマティックに診察されて、薬をもらってお支払い。
国家的に、システムが間違っている。そのシステムを作っているのは、哲学だと思うのです。