いつも学校帰りの道中、歩きながら花を見つけては、
少しだけいただいて帰ってきます。
「花泥棒は罪にならない」ってのは世界共通かな?なんて思いながら。

今日は、うちの裏の道で、小さな秋を見つけました。
紅く色づいた葉と、紫の実。

東京からもってきた小さな陶器の箸置きにあしらって、洗面台に置いてみました。
そこだけに漂う日本の秋の気配。

フランスにも四季があるけれど、
こうした身近な草木の小さな花や葉に、季節の美しさを見出す感覚ってあるんだろうか?

欧米の花生けは、フラワーアレンジメント。
どっさり生けてこそ、美しさが際立つものです。
それはそれで素敵だけど、私にとっては、「キレイ」で終わってしまう。

日本人は、たった1輪の花にひとつの世界を表します。
利休が一面に咲いた朝顔の花をすべて切り、一輪だけを薄暗い茶室の床の間に生けたという有名なエピソードがありますが、まさにそれが、日本人の美学といえるでしょう。

ひっそりと咲く花に、艶やかに咲き誇る花に、凛と咲く花に、
身近な人の面影を見るのも、日本人ならでは。

そんな日本的な美が、とても好き。
小さきものを愛で、重箱の隅っこの細部にまでこだわって細工をするような感覚は、日本独特のものだと思います。利休のエピソードを知らなくたって、誰もがDNAのなかにもっている美意識。
私の体の中にも、染み込んでる。

他の部屋では、こないだ買った球根がスクスク成長して、
ピンクのヒヤシンスがいい香りを放ってます。

秋と春が同居してるみたいで、ちょっと妙な気分。