「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

昨今の情勢もあり、

世界人類が

平和でありますように・・・


そう願う気持ちを

最近自覚する時がある。



工業化が進み、

物が溢れかえっている

現在においても・・・


薬や食料が行き届かずに

死んでいく子供たち。


主義主張を曲げずに

争いを繰り広げる人々。


震災の虚しさと・・・


人類の儚さと・・・


クロスロードして

そもそも

どうあるべきなんだと

柄にも無く考えてしまう。



そういう場面ばかり

見ていると・・・


人間は果たして

進歩しているのだろうかと

疑いたくなってくる。


だが・・・


きっと何時か、

争いの無い豊かな社会が
実現するときが来るはずだ。



少なくとも、そう信じたい。



ところで、

みんなが豊かになるためには

何が必要なのだろうか。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

「株式会社プラウドは、総ての人々の働く喜びと、

 感動と感謝、そして、物心ともに豊かな生活を追及します。」

経営理念として

豊かな生活を標榜するからには

豊かさについて

しっかりと

考えておかなければと思う。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」



自己犠牲の精神、

科学技術の進歩、

人類愛、

生産性の向上、
格差是正、

教育など・・・


考えられることは、沢山ある。



その全てを実現すれば、

豊かな社会は訪れるのだろうか?



もちろん・・・


それは簡単なことではない。


だが、

実現が困難な理由は

それだけではないと思う。


そもそも・・・


豊かな社会の

定義があいまいなこと・・・


それが

実現できない

最大の理由であるような気がする。



みんなが豊かになる。



あるいは、

みんなで豊かになる。


言うのは簡単だが

実現するのは難しい。


そもそも・・・


豊かさとは

何を表しているのだろうか。


例えば・・・


世界中の人々の収入が

10倍になるとしよう。


果たして

みんなが豊かになるだろうか?


いや、きっと・・・ならない。


全員の収入が

10倍になるということは・・・


貨幣の価値が

1/10になる事と同じだからだ。


収入は10倍になった。


しかし、

食料や衣料など
全ての値段が10倍になったのでは

意味がない。


とても皮肉なことだが・・・



お金持ちは

貧乏人がいて

はじめて成り立つ立場なのだ。



いくらお金があっても、
お金で動いてくれる人が

一人もいなければ・・・


お金は

何の役目も果たさない。



掃除も、洗濯も、食事の用意も・・・


全部

自分でやるしかないのだから・・・


スッキリしないが、

お金持ちにとって

貧乏人の存在は欠かせない。


つまり・・・


豊かさ=現在のお金持ちのような生活


という図式で考えるのなら・・・


その実現には

格差が必要不可欠であり、
みんなが豊かになることは

物理的に不可能だということになる。


 

みんなが豊かになるというのは、
みんなが金持ちになることではないと思っている。


そんなことは解っている。


だが・・・


解ってはいても、
私たちは

知らない間に

それを求めているのではないか?


豊かさとは

有り余る物資に囲まれた生活ではないだろう。


何もしなくても

誰かが助けてくれるような

人生でもないはずだ。



大きな家に

住んでいなくても・・・


フランス料理を

食べられなくても・・・


健康で勤勉に

生きていける毎日。



辛いことがあっても

それを乗り越え、
何年かに一度の

不景気なんかにも負けない。


苦しい時には我慢もし、

明日を夢見て一生懸命に努力する。


それが・・・


十分に豊かな生活なのだとすれば、
私たちは、
もうすでに

それを実現しているのではないだろうか。


この日本での暮らしを

豊かだと呼ばないのなら・・・


世界に

豊かな日が訪れることは

永遠にないだろう・・・


震災を過ぎて、

本当にそう思う。



本当に大切なのは

豊かさの定義なのだと思う。


どこかの、

誰かが決めた、

国際的な定義などではなく・・・




自分の心の中にある、

豊かさの基準。



その基準が

世界の人々の中で、

普遍的なものに統一される事。


難しいだろうが・・・


その時、きっと・・・



みんなが

豊かに生きる世界の

第一歩がスタートするだろう。



「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」