「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」


お金で買えないものはない・・・


というホリエモンの発言が
物議を醸してから、

もう、どのくらい経つのだろうか。


今でこそ・・・


お金の権化のような批判を浴びているが、
逮捕される前・・・


時代の寵児ともてはやされた頃には、
彼を支持する人のほうが

圧倒的に多かったような気がする。


今も

ツイッターでは

物凄い数のフォロワーがいる。


私が知っている限りでも、

ホリエモンに憧れて
経営者を目指していた若者は

決して少なくなかった。


たった

数年前の出来事だ。


だが、

時代は変わり・・・


成功者のイメージも

すっかり

変わってしまった。


今は昔の感が強い。


まあ、彼の発言が

上等なものだったかどうかは

ともかくとして・・・


その内容については

資本主義の本質を突いていたと

私は思う。


マスターカードのCMの通り、

お金で買えないものもある。


それは

当たり前の話だが・・・


あえて・・・


そんな反論を

しなくてはならない理由は・・・


ほとんどのものが

お金で買えてしまうからだ。


一部の例外を除く、

全てが

お金で買える。


それが

正しい表現なのだろう。


そうでなければ・・・


通貨として

お金の意味がない。


 

お金には

いくつかの役割があるが・・・


その第一は

何といっても

交換の手段としての

役割だろう。


お金がなかった時代、

物と物、

あるいは事と事は
直接交換されていた。


いわゆる

物々交換の時代である。


魚が欲しい人と、

米が欲しい人が出会った場合・・・


お互いに

相手が欲しい物を持っていれば、

交換は成立する。


だが・・・


そんなに

上手い具合に

ニーズが

一致するとは限らない。


相手が欲しいものを

提供できない場合は
直接の交換が成り立たないので・・・


お目当てのものを

手に入れるためには
何人もの人と

交換を繰り返さなくてはならない。


物々交換は、

想像する以上に

とても効率の悪い方法だ。


そこで

発明されたのが

お金である。


お金は人類史上、

最高で最悪の発明だと言われているが・・・


その

最高たる所以は

交換の便利さである。


米でも・・・


魚でも・・・


肉でも・・・


野菜でも・・・


全てが

お金と交換できるのならば・・・


その便利さは

計り知れない。


そう・・・


どんなものでも

お金で買える。


それが
貨幣経済を成り立たせている、

根本的な考え方なのだ。


もしも・・・


お金で買えるものが

半分しかなければ・・・



貨幣は

流通しなくなるだろう。



そういう

意味において・・・


お金は

万能でなくてはならない。


 

だが・・・しかし。


お金は

ある意味・・・


万能になりすぎたのかも

しれないとも感じる。

例えば・・・


吉野家の牛丼は、

誰が食べても

同じ値段だ。


それは

それでもいい。


だが・・・


肩揉みが

同じ料金なのは

如何なものだろう。


私が

揉むほうの立場なら、

中年のオヤジの肩と
若くて綺麗な女性の肩とでは

値段を変えてほしい。


吉野家の店員だって・・・


本当は

美女とオヤジを

区別したいはずなのだ。


相手によって

値段を変えてはならない。


気分によって

変えてはならない。


物の相場というものを

安定させなくてはならない。


それが

今までの常識だったのだろう。



だが、これからは・・・



相手によって

値段が

変わることもあるかもしれない。


いや、

あってしかるべきだと思う。



買わない自由があるのなら、

売らない自由があってもいい。


「金はいくらかかってもいい。

 でかい家を建ててくれたまえ」


「お断りします」


なんて・・・事が起こってしまうのだ。



性格が悪いと

牛丼も食べられない・・・という時代が

来るかもしれない。


来るわけないか・・・