ひとつ
言っておくが
人は
何でも
変えられる
世界中の
何でもだ。
ジョー・ストラマー
ジョー・ストラマーという人物について、
あるいは人気バンド「ザ・クラッシュ」の誕生から隆盛、
崩壊に至る道筋について
皆さんは知っているだろうか?
クラッシュが終わって以降の彼が、
どこで何をしていたのか?
一応、
ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスというバンドを結成して、
地味に活動していたのが最後の姿だった・・・・
ことまでは知っていたのだが、
そこに至る紆余曲折については、
まったくフォローしていなかった。
彼の人生は単なるパンク・ロッカーの
一軌跡という枠を超えていると思うのだ。
外交官の息子として、
上流の階級に生まれたこと。
出生地のトルコ・アンカラをはじめ、
アフリカはマラウィ共和国など、
幼い頃に
第三世界のにおいを嗅ぎ・音に触れて育っていること。
僕が昔からストラマーについて
不思議に感じていた「雑食性」の謎について、
その資質の根に触れたような気がした。
あるいは
こちらの年齢の蓄積のおかげで、
同じ情報でも推測がし易くなったせいもあるのだろうが・・・
とにかく、
彼という男の一つの核心は、
「インプットなくしてアウトプットなし」という
口癖に表れているように、
俗なパンク・ロックのそれとは
だいぶかけ離れたものだった。
「ジョー・ストラマーズ・ロンドン・コーリング」なる
ラジオ番組の、
選曲の多様さにも、
それは露骨に表れていた。
彼は本質的に、
外から入ってくる様々な刺激を
マルチ・チャンネルに束ねて、
そこに
自分のメッセージ書き添えて
送り返すようなことが
性に合っていたのかも知れない。
片や社会変革の必要性に向ける眼差し、
そして
その表現の通俗性を維持するという面では、
彼は徹底的に一本気であり続けた。
それも
意識してそうしていたわけでなく、
自然にそうなってしまう、
それも彼の核心なのである。
やろうと思えば出来そうだったのに、
彼くらい「高尚」なものと無縁なアーティストは、
ちょっといなかった。
潔かったというのでも、
それしか知らなかった、
というのでもない。
いつも一番安いオモチャで、
人の何倍も楽しめてしまう「天然」、
そんな風にに見えるのだ。
彼の音楽人生を貫いて流れる
「俗なる生」への滾るようなパッションというのは、
「高尚なる死」を乗り越えんが為ではなかったのかと・・・
そう思えるのだ。
昔は大声で叫ぶだけだったが、
今は火を囲んで静かに仲間と語り合うのが好きだ、
と語る、彼の口調からは、
単に歳をとって
人間が丸くなったというだけにとどまらない、
何かがある。
現に
この期間を経て、
新バンドの方向性を模索しながら、
あるいは売れない映画の
売れない映画音楽を作りながら、
彼はクラッシュの幻影を
確実に振りほどいていった。
これは、
僕のまったく知らなかったストラマーだ。
湾岸戦争の時、
イラクに落とす爆弾に、
米兵が「Rock The Casbah」
(「アラブの城市をぶちのめせ」
クラッシュの米での最大のヒット曲)という
文字を書き入れていたというニュースを見て、
ショックと怒りで泣いたというストラマー。
クラッシュの全期間を通じて、
「アメリカの野蛮」に喧嘩を売り続けてきた彼にとって、
これ以上に皮肉で、
深刻な侮辱はありえなかっただろう。
新バンドでの再起は、
一個の人間として、
落とし前をつけなければならないという、
責任感も抱きつつ、だったはずだ。
“メスカレロス”でのライヴ当日、
閑散とした通りに立ってライヴのビラを配るストラマー。
それが
「あの」ストラマーだということを知らない若者達はシカトし、
受け取らない。
ある女の子二人連れに渡すことに成功し、
「今夜だぜ、来てくれよな」と念を押し、
「やったぜ」とつぶやくストラマー。
彼は最後まで、
音楽で世界を変えられると信じていた。
「ひとつ言っておくが、人は何でも変えられる。世界中の何でもだ」
そういう彼にこそ、
逢ってみたかった。
