日本人は

「どこか自分の外側に答えがある」と勘違いしている。


そのため、

何か困ったことに突き当たると、

最初から

「この問題の答えはどこにあるのか、何なのか?」

と考えてしまう。


自分が

「解決すべき問題は、そもそも何か」を考えずに、
目先の問題への答えばかりを見つけようとする。

これは、

受験勉強の悪影響としか言いようがない。

社会に出てみたら、答えのない世界が待っていた。

実際、

企業が遭遇する問題のほとんどには答えがない。

にもかかわらず、

日本の学校では答えを覚え込む訓練だけをする。


日本の学校が、

世界に通じる人材を養成できなくなって久しいが、

その最大の理由は、

学校が世界の現実と、

事ほど左様に乖離してしまったからではないだろうか。

教えるべきは、

「Googleで検索しても答えが出てこない問題を、

 どのように考えて、解くか」と
いうことである。


教師は、生徒にこう言わないといけない。


「指導要領のなかに答えなどない。

 答えはクラスのみんなで考えて見つけましょう」。

私は会社経営のかたわら、

クラブチームの監督として、采配を受け持っている。

その経験から言うと、社会人経験が豊富な30代~40代ですら、

最初の2~3カ月は、答えを知ろうとするクセが抜けない。


「とにかくアイデアを出せ」といくら言っても、

自ら制限をかける。

ゴルフ

心の中にゴルフの OB杭があり、

「フェアウェイはこのあたりかな」

とおそるおそる球を打っているようだ。

イタリアや返還前の香港で、子供達と話をした事がある。

彼ら彼女らに発想法を教えると、皆がアイデアを出し続ける。

ちょっとした方法を教えただけで、
「もう止めてくれ」と言いたくなるほどに、

次々にアイデアを出してくる。

ところが

日本人はなかなか解き放たれない。


それほどまでに、日本人には

「正解がどこにあるか探し始める」という

基本動作が染みついている。

世の事象の大半には答えがない。


だから、

その場その場で勇気を振りしぼって
考えるしか道はない。

「この世界でこの問題に答えを出せるのは自分自身しかいない」。

このようなメンタリティになれるかどうかが、

自分の創造性を発揮し、
本物となるための最も重要な条件ではないだろうか。


サッカー

若かりしころ、私は、ある選抜チームに参加した。

最初にショックを受けたのが

「自分で考える」というカルチャーだった。


コーチが私にディフェンスの動き方について質問した。

「早速、戦術書で調べます」と答えたところ、
コーチはラインズマンフラッグを投げつけ、怒鳴った。

「馬鹿者、お前と俺がやらなかったら、
 世界中の誰がこの問題を解決できるんだ。」

「ピッチの中は自分達で解決するしかないんだぞ!」。

本物=プロフェッショナルは、創造性を発揮できる人である。


どうすれば自分の創造性を引き出せるのか。


問題がぼやけている段階では、創造の力は出てこない。


解決すべき問題を特定し、

取り組むべき物事のスコープを狭めることが

重要なポイントなのだ。

前述のコーチと私は、2人で分かっていることを
ノートに書き出していった。


そして、その時点で分かっていないこと、

このテーマをまとめるに当たって

確認しなければいけないことを整理していった。

すると、

試すべきことや確認すべきことが非常に狭まってきた。

では、どうやって調べるか。


どうやって確認するか。


こうしたことを2人で議論していった。


すると、

ポーンと思考が“飛び”、良いアイデアがたくさん出た。


これが、

問題点を「狭めることの重要性」を

身をもって知るきっかけとなったのだ。

創造性を発揮するためには、右脳をフル回転させたい。

一方で、

ロジカルに考えるために左脳も使いたい。


本物=プロフェッショナルは、

この両方の脳を同時に駆動できる人間ではないだろうか。