いつもの馬鹿げた記事じゃなくて申し訳ない限りです。
しかも超長くなってしまった。
深い意味もないただの興味から開いた動画だったけど、いつの間にか腕を組んで考え込んでしまっている自分がいた。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9061025
幼いころからいじめ、虐待に苛まれ、自殺を決意した19才の少年の掲示板への書き込みをまとめた動画。
ただただ、人間は二度とやり直せないところまで「辿り着けてしまう」という事実にやりきれなさを感じた。
彼は書き込みで度々「何があっても思いとどまるつもりはない」と言っている。
この「何があっても」というのは、とても重要な意味を持つと思う。
彼は「10億貰えたら?」とか「今からでもいい、家においで」などの書き込みに一貫して「もしそれがもっと昔なら」と答えている。つまり、もうこれから先にどれほどの幸せがあったとしてもこの意志を変えることができないという意味。
生きてればいいことがまだいいことがあるというのは極めて当たり前で、彼も「これから先もつらいだろうから」とは言ってない。なぜだろうか?
たぶんそれは、彼に何があろうと過去を「なかったこと」にできないってことなんだと思う。単純なダメージの深さの問題じゃない。
これが数学の問題だったらよかった。
-100+30+50+20=0
これから次第で帳消しにできる。0に戻れる。
でも人間はそうはいかない。
-100に1000を足そうが10000を足そうが、
-100+1000+100000=-100+11000
↑この-100が残り続ける。「なかったこと」にならない。死ぬまで決して消えない。
彼はこの死ぬまで消えない苦痛を、耐えられないほどに背負ってしまったんだろう。
また、こんな話は知っているだろうか?
海に深く人間を放り込んでも、肺に入った空気やらの軽さのおかげで浮いてこられる。
でもそれがある一定の深さを超えると、人間は浮かばなくなる。水圧で肺が押し縮められ、空気の体積が減り浮力がなくなるからだ。
そこまで沈んでしまうともうどうしようもない。ひたすら深く、深く海の底まで沈んでしまう。
彼はきっとそんな風に手遅れになってしまった、人生に「積んで」しまった、そんな風にも思う。
そんな文字通り「絶望的」な人間に、いったい誰が「死ぬな」と言えるんだろう。
彼にとって「生きている」というのは、ただ医学的に「生存している」というのと同義だったんだろう。意味を持たない肉体的な生を維持し続けることを止めようと英断した彼を、いったい誰が止められるというんだ。死の選択は、そんな人間に残された最後の可能性なのだ。
「死ぬな、生きろ」なんて、そんなのは「苦しみきれてない人間」が「苦しみきった人間」に吐きかける言葉だ。おまけに思慮も思いやりすらもないまったく浅はかな言葉だ。軽すぎる。
彼が一切悪くないとは言えない。「超人見知り」「人間関係を先送りにしすぎた」とも言っているし、彼自身の性格の責任も少なからずあったと思う。
でもそれは「彼を苦しめた行為の原因」には決してなりえない。彼は人見知りで人間関係に非積極的だったから虐げられたわけじゃない。彼の周りにいたのが、「彼のような人物を虐げる人間だった」のが原因なのだ。家族までもそうだったのだから、最早手の打ちようがない。
まったく悲運の人生だった。そうとしか言いようがないように思う。
しかし最近、この悲運の人生を送る人がどんどん増えている。
何が原因なのかはしらないが、確実にこの悲運の確率は上昇しつつあるように思う。
今のところ、自分や自分の周りにそんな人間はいない。みんないろいろ事情はあるみたいだけど、なんとかやっていける水準を保てている。
もし、今後自分の身辺にそうなってしまいそうな人が現れたら、いったいどうすべきだろう。
間違いなく言えるのは、なすべきことは自殺の「実行」を止めるのではなく、自殺の実行に至る「原因」を止めることだ。そう思う。生きてることに意味を感じなくなってしまってからじゃ、どう足掻いても遅いのだ。
そんなことを考えながら、死にゆく人のメッセージを読んだ。当然自分のような「幸せ者」に理解できるようなものではないけれど、全力で理解しようとはした。彼は何を思い、何を求めて死んでいったか。大事なのは理解することじゃなく、理解しようとすることだと強く感じた。
今日もきっと、何処かで、孤独に「生」という苦しみから解放されていく人たちがいる。
「死ぬと無になるという考え方は、死ぬと天国にいくという考えと同じくらい非科学的だ」
という言葉があるけど、もし死に「先」があるのなら、それが彼らにとって少なからず幸せな物であることを切に祈る。
ではまた。